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第103話 ダモクレスの剣

 俺は不穏なものを感じながら、視線をキング・ダモクレスへと戻した。


「ジャック! 一旦SPを回復する。タンクスイッチだ!」

「わかった!」


 戦場に、マテンローとジャックの声が響く。

 このゲームでは、スキル使用時にSPスキルポイントを使用する。それはタンクの使う挑発系のスキルも同じだ。挑発系スキルは消費量が少ないため、クエストのボス級モンスター相手ならSPが尽きる前に戦闘は終わるが、さすがにHNMクラスになるとそうはいかない。タンクといえども途中でSPを回復させる必要が出てくる。そんな時に、メインタンクに代わった敵ターゲットを取るのが、サブタンクの役目の一つだ。


「スキル、挑発! キング・ダモクレス、こっちを向け!」


 ジャックがヘイト上昇効果のあるスキルを使う。しかし、敵は依然としてマテンローを標的とし続けている。

 マテンローはこれ以上敵ヘイトを高めないため、スキル使用をやめ棒立ち状態で、ただキング・ダモクレスの攻撃を受け続ける。ヒーラーやアタッカーと違い、タンクは休息を取りたいと思ってもすぐに取れるものではない。敵から攻撃を受けては休息状態が解除されるため、ターゲットがサブタンクに移るのを待たなければならない。


「スキル、陽動! 俺を見ろ!」


 何も行動していないマテンローが殴られ続ける中、ジャックがヘイト上昇スキルを連発する。

 しばしの後、ようやくキング・ダモクレスは90度向きを変え、ジャックをその金色の目で睨んだ。


「よし、ターゲットを取ったぞ!」


 ジャックの誇らしげな声が響く。アタッカー陣は、キング・ダモクレスの動きに合わせ、背後へと急いで位置を変える。

 フリーになったマテンローは、キング・ダモクレスから距離を取ると、休息のためにしゃがみこんだ。


「タンクスイッチを見るのは初めてだけど、思ったより手間取るものなんだな……」


 SP回復のために休息中の俺は、つい正直な感想を口にしてしまう。

 マテンローは、ヘイトを稼がないため、防御系スキルも使わずに殴られ続け、余計な被ダメージを受けていた。キング・ダモクレスにはこれまでのマテンローに対するヘイトが蓄積されている。一旦ターゲットが離れても、ジャックがダメージを受けた際にヘイトが逆転し、休憩中のマテンローにターゲットが戻る可能性がある。もしそんなことになれば、ダモクレスの剣が飛んでくることは確実だ。安全にタンクスイッチするためにも、ヘイトを稼がないよう一切行動をしないのは賢明な選択だが、被ダメージが増えることを考えると、必要なこととはいえ、タンクスイッチはやはりリスクを伴う。


  キング・ダモクレスの攻撃 ジャックにダメージ164


 マテンローにターゲットが戻らないかと、戦闘ログを見ていたが、敵の攻撃はジャックへと向けられ続けている。ひとまず安心しかけたものの、マテンローとジャックの被ダメージ差が気になった。

 デバフのアタックダウンが入っている状態なら、マテンローの被ダメージは150前後に抑えられていた。しかし、ジャックの被ダメージはそれを上回り160を超えている。装備やステータスの違いによる差は避けられないが、その増加はそれだけリスク増加を意味する。回復量が増えれば、それだけヒーラーのSPを圧迫するし、ヘイトも溜まりやすくなる。

 そんな不安な気持ちを払拭するためにも、俺は早く戦闘に戻りたいと身体がうずうずしてくる。

 とはいえ、中途半端な回復で戦いに戻っても、またすぐに休息を取ることになって、意味がない。休息時間が長ければ長いほど、回復量が多くなるため、一度休息に入ったら、フルまで回復させるのが基本だ。

 早く時間よ進めと心の中で叫びながら待っていた俺だが、ついにSPが全快する。


「待ってろよ、キング・ダモクレス! また俺の料理スキルをぶちこんでやるからな!」


 俺が気合を入れて立ち上がったその時だった。

 ジッャクの方を向いていたキング・ダモクレスが、突然くるっと向きを変えた。


「――――!? マテンローのヘイトが残っていたのか!?」


 一瞬そう思ったが、キング・ダモクレスはマテンローが休息している位置とは明らかに異なる方向を向いている。

 嫌な予感が胸をよぎり、俺はキング・ダモクレスの視線の先を追った。その先にいたのは――白魔導士のミキだった。


  キング・ダモクレスはダモクレスの剣の構えをとった


 非情なメッセージが流れる。

 ダモクレスの剣はすぐに発動するわけではない。構えに入ってから発動までしばし猶予がある。

 だが、それは、逃げるための希望の時間ではない。絶対の死までの無情なカウントダウンでしかないのだ。

 一度キング・ダモクレスが構えに入ってしまえば、そこから近づいてももうダモクレスの剣は止まらない。しかも、ダモクレスの剣は範囲攻撃なため、下手に接近すれば、周りにいるタンクやアタッカーまで巻き添えにしてしまう。また、逆に遠くに逃げようとしても、この技の有効範囲は相当に広く、今まで逃げきれたという話は聞いたことがない。それどころか、周りのギャラリー達の方へ逃げ、無関係のパーティを道連れにしてしまったという不幸な話が溢れかえっている。

 そのため、ダモクレスの剣のターゲットになった者が取るべき行動は一つ。周りに誰もいなところで死の瞬間を待つ――ただそれだけだった。


「ごめん、みんな!」


 一人、みんなから離れた場所へ駆けこむミキ。その声が彼女の最後の言葉となった。


  キング・ダモクレスのダモクレスの剣

  ミキにダメージ2568

  ミキは死亡した


 圧倒的なダメージ量が表示され、場に重苦しい沈黙が流れる。この技のダメージに耐えられる者など存在しない。タンクのマテンローやクマサンですら、問答無用で一撃死する姿が容易に想像できた。しかも、このダモクレスの剣は、「猛き猪」の体力が残り一割を切った時に放つ「猪突猛進撃」の対策として有効とされる「分身」などの身代わり回避系スキルさえ貫き、事実上回避不可能。

 俺達はまだ1/3しか敵の体力を削っていない段階で、メインヒーラーの一人を失ってしまった。

 こうなった要因はいくつか考えられる。

 まずはタンクパーティのメインヒーラーが、ここまで回復によるヘイトを溜めすぎていたこと。オーバーヒールを繰り返していたことで回復回数が増え、余計なヘイトを稼いでしまったのは明白だった。それにミキは、まるで自分こそが優秀なヒーラーであるかのように、リュッカよりも先にヒールをかける傾向があった。それが結果的に彼女のヘイトを積み重ねる原因になった。

 そして、もう一つの要因はタンクスイッチ。マテンローがヘイトを抑えるために防御スキル使用を控えた結果、被ダメージが増え、その分回復が必要になった。また、ジャックの防御力がマテンローより低いため、彼への回復量も多くなり、ヘイトをさらに稼いでしまった。そして何より、ジャック自身のヘイト稼ぎが十分ではなかった。彼はタンクスイッチの段階になって慌ててヘイトを稼ごうとしたが、それまでに十分なヘイトを積み上げていなかったため、敵からのターゲットを取り切れていなかったのだ。タンクは火力が低いため、ダメージによるヘイトは稼ぎにくい。その分、メインタンクからターゲットを取らない範囲で、挑発などのスキルでヘイトを積み上げておくべきだったが、ジャックはその見通しが甘かった。


 だが、今さらそんなことを嘆いても仕方がない。ヒーラーを一人失ったという事実はもう覆りようがない。大事なのはここからどう立ち回るかだ。

 タンクパーティにはメインヒーラーのほかに、アタッカー兼サブヒーラーが二人いる。とはいえ、これまでの戦いを考えれば、それだけでは不足だ。交替しながらタンクを支えることを考えれば、しっかりとしたメインヒーラーがどうしても二人は必要になる。


「ミコトさん――」

「私がジャックさんのヒールに回ります! メイさん――」

「ミコト、こっちパーティの回復は私に任せろ!」


 俺が指示するまでもなかったようだ。

 ミコトさんは俺が指示しようとしていたことを自ら口にし、メイもまたミコトさんの言葉も待つまでもなく自分の役割を理解していた。


「……うちのギルドメンバーは頼りになるよ、ホント」


 時々、メンバー同士の「絆」を売りにするギルドを見かけるが、そのたびに俺は、その絆とやらが何を指しているのか疑問に思っていた。だが、こうして全員の一つの意思のもとに動けることこそ、本当の絆ではないだろうか。

 俺はそんなことを思いながら、キング・ダモクレスの背後に回り込む。強大な後ろ脚を目にすると同時に、俺の手は自然と動いていた――料理スキルを叩き込むために。



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