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第104話 崩壊の序曲

 俺の料理スキルはキング・ダモクレスに大きなダメージを与えたが、奴の体力全体からすればそれはわずかなものでしかない。ダモクレスの体力はまだ2/3近くも残っているのだ。

 周りのアタッカー達も、ヒーラーを失った動揺の色を隠せていない。

 こういう時、最も危険なのは敵ではなく、冷静さを失った自分達自身だ。


「みんな、落ち着け!」


 俺は声を張り上げた。


「タンクへのヒールはミコトさんが代わりを務めてくれる! 俺達はダメージを出すことに専念すればいい!」


 周りに声を掛けながら、俺は次の料理スキルを放った。包丁が輝き、再びキング・ダモクレスの硬い皮膚を切り裂く。


【ショウの攻撃 キング・ダモクレスにダメージ355】


 「蒼天の牙」のギルドメンバーでない俺は、彼らにとって部外者。いくら声を張り上げても説得力は薄いかもしれない。だが、俺の叩き出すこのダメージは嘘をつかない。アタッカー陣から焦りの色が薄くなるのを感じた。そもそもアタッカー陣は誰も欠けていない。火力に関しては問題ないんだ。

 回復に関してだって、ミコトさんはタンクパーティに入っていないため、「巫女の祝福」のようなパーティメンバー対象の回復スキルなどを使えない不利さはあるものの、彼女なら使用可能なヒールを的確に使い、そのくらいはカバーしてくれるだろう。もう一人のメインヒーラーであるリュッカも、ミキに近いほどヘイトを溜め込んでいると考えられるが、ミコトさんが彼女をうまくコントロールしてくれればまだ対応は可能だ。


 これならまだやれる!――そう思った時だった。


「ターゲットは俺が取る!」


 突如、休息を取っていたはずのマテンローが立ち上がり、挑発スキルを発動させた。SPゲージを見ると、たいして回復していない。


「ばかっ! 何やってんだよ!」


 俺の叫びは戦場の喧騒にかき消された。そもそも、届いたところで、もはやどうしようもない。

 マテンローにしてみれば、ヒーラーのミキが倒されたことに責任を感じたのかもしれない。タンクスイッチが原因の一つなので、彼がそう感じるのは仕方ないとは思う。

 だが、ここで一番冷静でなければならないリーダーが感情で動いてしまったのは、明らかにミスだ。ジャックの被ダメージが多いため、ほかのヒーラーにターゲットが向くのを恐れたのかもしれないが、今後のことを考えれば、ここは我慢して十分にSPを回復させておくべきだった。

 俺の懸念をよそに、マテンローは挑発系スキルをさらに連発し、ジャックから敵ターゲットを奪ってしまう。こうなっては、今さらジャックに再びタンクスイッチをすればさらに無駄を重ねることになってしまう。

 俺は歯ぎしりしながら、再び料理スキルを放った。ギルドメンバー四人だけで戦っていた頃のような連携の感覚を、このユニオンでは感じられないもどかしさ。けれど、今の俺にできることは多くない。手にした包丁に力を込め、キング・ダモクレスの後ろ脚に一撃を叩き込んでいく。


 メインヒーラーの一人を失いはしたものの、ミコトさんの適切なカバーもあり、俺達はキング・ダモクレスの体力を減らしていった。

 だが、勝利への道はまだ遠い。ダモクレスの体力の残りが半分を切る前に、マテンローのSPが底をついてしまった。休息をすぐに切り上げてしまった影響が出てきた。


「ジャック! もうSPがない! タンクスイッチだ!」

「わかった!」


 二度目のタンクスイッチが宣言される。

 しかし、スイッチは一瞬で済むわけではない。マテンローはしばらくの間、キング・ダモクレスの強烈な攻撃を受け続け、ようやくターゲットをジャックに移すことができた。マテンローは自分にターゲットが戻らないのを確認し、その場を離れて休息に入る。

 だが、この切り替えがスムーズにいかない背景には、ジャック自身の問題があるかもしれない。彼は味方が稼いでいるヘイトを感知する能力が乏しいように思う。普通の戦闘ではタンクは基本的に一人。タンクはただひたすら自分のヘイトを稼ぎ、敵の注意を引きつければいい。それが経験則だったのだろう。

 一方で、アタッカー達は常にタンクのヘイトを意識しながら、自分のダメージ量を調節している。ヘイトはブラインドデータであり、数値として見えるものではないが、ゲームセンスのある者にはそれがまるで視覚的に見えているかのように直感的に理解できるものだ。だが、タンク一筋でやってきたジャックに、その感覚を期待するのは酷なのかもしれない。この極限のHNM戦でそれが露呈したのは、悲劇とも言える状況だった。

 それでも今は彼に頼るしかない。

 ジャックがキング・ダモクレスの攻撃を受け始める。だが、彼の防御はマテンローほど堅固ではなく、その分ヒーラー達の負担が増していった。ミコトさんが、メインとサブのヒーラー陣と共に懸命に支える。マテンローが戻るまでは我慢の時間だ。

 初めて組む他ギルドのヒーラーを相手にするミコトさんが苦労していることは想像に難くない。だけど、アタッカーの俺には、彼女を手助けする方法が何もない。俺にできることがあるとすれば――


「少しでも早くこの戦いを終わらせることだけだ!」


 俺は手元の包丁を握り直し、気合を込めた料理スキルを叩き込む。


【ショウの攻撃 キング・ダモクレスにダメージ215】


 相変わらず俺の料理スキルは、確かなダメージを与えていく。しかし、この場面でのリスクを忘れるわけにはいかない。ジャックがタンクを務めている間、ダメージを稼ぎすぎれば、俺が敵のターゲットを取ってしまう可能性がある。その場合、振り向いたキング・ダモクレスの一撃は、俺だけでなく周囲のアタッカー達にも大きな被害を与えるだろう。それは、この戦いを崩壊させかねない。

 慎重に呼吸を整え、次の一撃を見極める。だが、その瞬間――


【キング・ダモクレスはジャックを睨みつけた】

【ジャックは恐怖し防御力が下がった】


「このタイミングでかよ!」


 メッセージログを見た瞬間、俺は思わず吐き捨てた。

 「睨みつけ」はノーマルのダモクレスも使ってくる特殊行動の一つだ。やっかいなのはその効果で、睨みつけられた相手は、恐怖のため一定時間防御力が大幅に下がってしまう。抵抗に成功すれば防げるが、一度受けてしまえば時間経過以外に解除手段はない。使ってくることは稀だが、必然的にターゲットになるのはタンクなため、食らうとやっかいこの上ない攻撃だ。


【キング・ダモクレスの攻撃 ジャックにダメージ232】


 ジャックの被ダメージが一気に増えていた。

 一番の対策はタンクスイッチだが、今のマテンローはSPを使い果たして休息中。代わりにタンクを務めることはできない。ミキが倒された時に休息を中断していなければと、今さらながらに悔やまれる。

 だが、このダメージを弱体の効果が切れるまで回復し続ければ、いくらミコトさんがいたとしてもヒーラー達にターゲットが向いてしまうだろう。

 だったら、今頼れるのは――


「クマサン!」

「わかってる!」


 さっきまで隣にいたクマサンは、俺が声をかけた時にはすでに移動を開始していた。

 中央にキング・ダモクレスを置き、12時の方向にジャック、俺達は6時の方向にいたが、クマサンは9時の方向へと移り、スキルを放つ。


【クマサンは挑発をつかった】


 一度の挑発でキング・ダモクレスのターゲットは変わらない。

 だけど、俺は知っている。ダメージだけではヘイトを稼げないクマサンが、これまでの戦闘で適宜挑発系スキルを用い、敵ヘイトを稼いでいたことを。マテンローとジャックがきっちり仕事をやり終えれば今回の戦いでクマサンに出番はないはずだった。それでも、クマサンは一見無駄と思われる挑発系スキルを使い、こういう時のために備えていたのだ。


【クマサンは陽動をつかった】


 キング・ダモクレスが90度向きを変え、クマサンに憎しみを込めて目を向ける。

 数度のスキル使用により、クマサンはジャックからターゲットをはぎ取ったのだ。


【キング・ダモクレスの攻撃 クマサンにダメージ175】


 アタッカーパーティにいたクマサンには十分な防御バフがかけられていない。おまけに戦闘前の食事の際、俺は防御力アップではなく攻撃アップの食事をクマサンに渡していた。万全のクマサンならもっと被ダメージを抑えられていただろうが、今は仕方がない。

 とにかく、この状況を乗り切るため、ジャックからターゲットを引き剥がすのが第一だ。

 その役目をこの状況でクマサンはいち早く成し遂げてくれた。仲間として誇らしく思う。


 だが、その矢先――


【ジャックは挑発をつかった】


 せっかくクマサンがキング・ダモクレスを引き剥がしてくれたというのに、何を血迷ったのか、ジャックが自らターゲットを取り返してしまったのだ。


「何をやってる!?」

「何をやってるんですか!?」


 俺とミコトさんは、同時に驚きの声を上げていた。



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