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第106話 リーダーとしての決断

 俺はマテンローの口から撤退指示が出るのを待ったが、彼から放たれたのは挑発系スキルだけだった。

 タンクにとってヒーラーを倒されるのは、屈辱でしかない。今回はそれが二人もだ。タンクとして、そしてギルドマスターとして、マテンローの頭には敵討ちの気持ちしかないのかもしれない。


 ……でも、それじゃダメだ。


「マテンロー! これ以上はもう無理だ! 撤退した方がいい!」


 「蒼天の牙」のメンバーでは、ギルドマスターに意見しにくいだろう。ならば、この場で彼に意見できるのは、別ギルドのマスターである俺しかいない。一番に弱音を吐いた情けない男と思われても、俺はマテンローに進言した。

 だが――


「まだだ! まだタンクもアタッカーもやられていない! 勝てる可能性がある限り、俺は諦めない!」


 マテンローは断固として譲らず、キング・ダモクレスに向けてさらに挑発系スキルを叩き込んだ。その効果で、敵のターゲットは再びマテンローに固定される。

 最後まで諦めない姿勢――それが大事なことは俺もわかっている。それはリーダーに必要な資質の一つだろう。

 俺だって、可能性が1パーセントでもあるなら、倒れて地に伏すその時まで包丁を振り続けるつもりだ。

 だけど、パーティを一番底の部分で本当に支えてくれるのはヒーラーだ。すでに俺達はタンクパーティの二人のメインヒーラーを失っている。残っているのは、アタッカー兼サブヒーラーが二人と、火力パーティにそれぞれ一人ずつの計四人だけ。まだ半分以上の体力を残すキング・ダモクレスを削り切るまで、交替で休息しながら耐えるだけの余力はない。今の勝率は0パーセントだ。


「無理だ! このままじゃヒーラーがもたなくなるぞ!」

「そんなことはない! その前に倒しきればいいだけのことだ!」


 俺の必死の訴えも、マテンローには届かなかった。

 ……タンクだから見えていないのか?

 現時点で最もダメージを稼いでいるのは俺だ。そして、その次は恐らくメイ。「蒼天の牙」のアタッカー陣は、それ未満のダメージしか与えられていないんだぞ?

 周りのアタッカー達はそれを理解しているのか、マテンローの勇ましい声を聞いてもそれに応える声を上げずに、悲壮な顔でただ攻撃を繰り返している。


「このままじゃ全滅するぞ……」


 とはいえ、それがわかっていても、俺だけ逃げるわけにはいかない。一人の勝手な行動は即ユニオン崩壊に繋がりかねない。たとえそれが無意味だとわかっていても、俺にできるのは料理スキルを放ち続けることだけだった。


「すみません! もうSPが限界です。休息に入ります。ニッケさん、回復フォローお願いします」


 SPの枯渇したミコトさんが、離れたところで座り込み休息に入った。

 ニッケはもう一つの火力パーティのヒーラーだ。タンクパーティのサブヒーラー二人もSPは低下しており、休息を取りながらかろうじて回復を続けている。ミコトさんが抜けた穴を埋めるには、まだ余裕のあるニッケに後を託すしかなかった。


 だが――ニッケの動きは鈍かった。


 彼女のマテンローへのヒールは遅く、まるでタンクパーティのサブヒーラーが主に回復を担当すべきだと言わんばかりだ。もしかしたら、タンクパーティのヒーラーでなく、火力パーティのヒーラーに回されたことに不満を持っているのかもしれない。だが、たとえそのような思いがあっても、ここで中途半端な仕事をするのは冒険者失格だ。

 ミコトさんは、タンクパーティでもないのに、ミキがいなくなった後自ら回復の主軸を担い、他のヒーラーに指示を飛ばすほどの献身さを見せていた。

 同じヒーラーでもここまで違うものかと思ってしまう。


 そして、そのヒーラー同士の齟齬が、最悪の形で現れるのは、時間の問題だった。


【キング・ダモクレスのランペイジング・ストライク】


 周囲のタンクとアタッカーが一斉にダメージを受けた。タンク以外の回復も必要になり、ヒーラーのSPを消耗させる。とはいえ、この攻撃そのものは致命的な攻撃にはなり得ない。本当の問題は、その直後に起こった。


【キング・ダモクレスの攻撃 クリティカルヒット マテンローにダメージ450】

【マテンローは死亡した】


 火力パーティの方の回復に意識を向けていたニッケは、マテンローへの回復を遅らせてしまっていた。サブヒーラー達はSPが低下しており、ミコトさんの復帰までSPをもたそうとヒール使用にわずかの躊躇いを見せていた。運悪く、その隙を突いたキング・ダモクレスのクリティカルヒットがマテンローを襲ったのだ。

 本来ならクリティカルを食らっても生き残れるよう体力を維持させておくのがヒーラーの役目だが、そもそもそれができないほどヒーラーを疲弊させてきたのがここまでの戦いだ。ある意味、なるべくしてなった結果だと言えた。

 そして、キング・ダモクレスの次なる刃は、皮肉にも最も献身的にここまでユニオンを支えてきた者に向けられる。


【キング・ダモクレスはダモクレスの剣の構えをとった】


 奴の金色の目は、休息中のミコトさんを捉えていた。現時点でマテンローの次にヘイトを重ねていたのは、必死にタンクパーティを支えに回っていたミコトさんだったのだ。


「ごめんなさい!」


 ミコトさんは慌てて立ち上がる。


【ミコトはクマサンに女神の護りを使った】

【クマサンの防御力が上がった】


 それがミコトさんの最後の行動になった。


「ミコトさん!」


 俺が叫び声を上げるその先で、ミコトさんの小さな姿は、その巨剣の下に飲み込まれるように消え――そして、冷酷なメッセージが表示された。


【キング・ダモクレスのダモクレスの剣】

【ミコトにダメージ2688】

【ミコトは死亡した】


 ギルドを結成して以来、仲間の死を見るのはこれが初めてだった。

 ゲームの中の死は現実の死とは違う――と、頭の中ではわかっている。死体となっても、一定時間が経つか、「マイルームに戻る」を選べば復活できる。それは、ただの一時的な状態変化のようなものに過ぎない。

 ……それなのに、俺の脳裏には、オフ会で見たミコトさんの笑顔が浮かんでいた。彼女の明るい声や柔らかな仕草、そしてどこか心地よい空気感。思い出すたびに胸が締め付けられるような苦しさが襲ってきた。


「……よくもミコトさんを!」


 怒りが全身を突き抜け、理性を焼き尽くすかのようだ。俺は持てる限りの力を込めて、料理スキルをキング・ダモクレスに叩き込んだ。


【ショウの攻撃 キング・ダモクレスにダメージ354】


 それがどれだけのダメージになるかなんて、もはや考えていない。ただ、この怒りをぶつけたかった。目の前のこの怪物に――ミコトさんの仇に。


「絶対に俺がぶっ倒してやる!」


 怒りに任せ、次の料理スキルを放とうとした時だった。


「ショウ! 冷静になれ!」


 隣から鋭い声が飛んできた。クマサンだ。


「ミコトは最後まで冷静だったぞ!」


 その一言が、熱くなった俺の頭を一瞬で冷やした。

 ミコトさんの最後の行動――彼女が使ったのは「女神の護り」という味方単体の防御力を上げるスキルだ。クマサンにはすでにかけてあり、それ以上防御力が上がることはないが、効果時間に関してはまた一から始まっている。同様に、俺の攻撃強化スキルをかけ直すこともできたはずだが、ミコトさんはそれをしなかった。

 それは、マテンロー亡き後、ジャックではなくクマサンがタンクを担うべきだという冷静な判断故だろうが、そこにはもう一つのメッセージがあった。攻めとなる攻撃強化ではなく、守りの防御強化、それはキング・ダモクレスを倒すことを願うのではなく、仲間の無事を願うミコトさんの想いの現れ。

 彼女が俺達に託したのは、無謀な仇討ちではなく、一人でも多くここから生き延びさせることのはず……。


「……すまない、クマサン。俺としたことが頭に血が昇っていた」

「気持ちはわかる」


 クマサンの短い一言に込められた重みが胸に響く。ミコトさんをやられて悔しいのは俺だけじゃない――みんな同じなんだ。

 俺は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。その一息で胸に渦巻いていた激しい感情を振り払う。


「みんな! マテンローは死んだ。ここからは、マテンローに代わって、ギルド『三つ星食堂』のギルドマスター・ショウが仮のリーダーを務める!」


 反対の声を上げる者はいなかった。「蒼天の牙」のメンバー達も、リーダーを失い混乱していたのだろう。リーダーを名乗る者をむしろ歓迎するような空気さえ感じた。

 だが、これから俺が下す指示は「全員の撤退」だ。リーダーとしては敗北宣言に等しい屈辱的な指示。だが、誰かがそれを指示しなければならない。そうだとすれば、それは俺の役目だ。四人しかいないギルドでも、俺はギルドマスターなんだから。

 しかし、この状況での撤退指示は、現在ターゲットを取ってくれているタンクに、皆の犠牲になって死ねというのと同義だ。逃げる際中に何人かは「ダモクレスの剣」で死ぬことになるだろう。それが誰になるのかはわからないが、一つだけ確かなことは、現在ターゲットを受け持ってくれているプレイヤーがまず最初に死ぬということだ。

 そして、今キング・ダモクレスの攻撃を受けもってくれているのは、ほかの誰でもない、クマサンだった。


「……クマサン」

「ショウ、わかってる。それもタンクの役目だ」


 説明するまでもなく、クマサンはすべてを理解していた。タンクは最も戦況が見える立場だ。もう勝機はなく撤退しかないことをクマサンも察していた。そして、この後自分がたどる未来も。


 ……ギルドマスターとして、クマサン一人を死なせるわけにはいかないよな。


 俺は撤退指示後にクマサンと共にこの場に残ることを決めた。

 クマサンを置いて逃げ、自分だけ生き延びるなんて、俺はいやだ。

 俺が残れば、クマサンの後にターゲットを引き受けられるかもしれない。ダモクレスの剣なら一撃死だが、通常攻撃なら俺でもいくらかは耐えられるだろう。メイは攻撃と回復とでヘイトを溜めている可能性が高い。俺が時間を稼ぐことでメイが生き延びられるのなら、無駄死にでもない。

 そう決意して、皆に撤退指示を出そうとした時だった。


「ショウ、俺に付き合おうなんて考えるなよ」


 クマサンの鋭い声が鋭く響いた。

 俺はハッとしてクマサンに視線を向ける。


「仲間を守るのがタンクだ。そのタンクの気持ちを無視して命を捨てようとするのは、タンクに対する侮辱になるぞ」

「――――!!」


 俺の考えなどとうにクマサンに見抜かれていた。

 そして、クマサンの言葉は正しい。

 俺がしようとしていたのは、クマサンのタンクとしての矜持を汚すだけのただの自己満足だ。一体何を思い上がっていたのか……。


「……ごめん、クマサン」


 視線を落とし、俺は謝罪した。そして、改めて覚悟を決めた。


「クマサンの命、貰うよ。一人でも多く生き残れるように、少しでも時間を稼いでくれ」

「ああ、任せろ!」


 その声は力強く、困った時に俺を支えてくれる大きな盾のようだった。

 やっぱりクマサンは格好いい!


 ――もう迷いはない。


「全員撤退! キング・ダモクレスの戦闘範囲外まで全力で走れ! ただし、互いに距離を取ることを忘れるな!」


 俺はいまだ生き残っている者達に向けて、大声で叫んだ。



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