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第110話 フィジェット

 フェンリル――それはHNMと呼ばれるモンスターの一体であり、キング・ダモクレスほどの死亡確定攻撃こそ持たないものの、その力は決して侮ってよいものではない。攻略難易度はキング・ダモクレスよりも低いとされているが、ドロップアイテムの性能が非常に優秀であり、リポップのたびにHNMギルドによる熾烈な取り合いが繰り広げられている。

 ――などと言ってみたものの、すべてネットやゲーム内での口コミによる情報なので、俺自身は一度もフェンリルにお目にかかったことはない。

 しかし、普通、「ちょっとお茶でもどう?」みたいな感じでHNM討伐に誘うか!?

 目の前に立つフィジェットという人物、その破天荒な性格については噂で聞いたことがあるが……なるほど、どうやらその評判はあながち間違いではないらしい。


「来るって言われましても、そういうのはギルドの人達と狩るものじゃないんですか?」

「そうそう。これからうちのギルドでフェンリルを狩りに行くんだけど、あっ、うちのギルドの『ヘルアンドヘブン』って知ってる?」


 いたずらっ子のように首を傾げるフィジェットに俺はコクリと頷く。

 このゲームを始めたばかりの初心者でもない限り、三大HNMギルドの名前を知らない奴なんてまずいない。


「集合をかけてるんだけど、こんな時間だから集まりが悪くてね。最大ユニオン人数の18人集めるのはどう考えても無理っぽい。だから、人数が増えると助かるんだよね」

「18人揃わないのにフェンリルと戦うんですか?」

「タンクとヒーラーさえちゃんと揃えば、12人くらいでもいけるよ。でも、それだと時間かかるからね~」


 彼女がさらりと言い放った言葉に、俺は絶句する。

 12だって!? フルユニオンの2/3の数じゃないか! キング・ダモクレスよりは攻略が容易だと言われているけど、それでもHNMだ。それをそんな人数で倒せるとは……。

 プレイヤーとしての格の違いをまざまざと感じさせられる。

 俺は呆然としたまま、フィジェットを見上げるしかなかった。


「だから、アタッカーが増えると助かるんだけど、どう?」


 無邪気な笑顔と共に差し出された誘いの言葉。その軽い口調に似つかわしくない圧倒的な実力を前に、俺の心は迷いと興奮で揺れていた。

 正直、そんな精鋭達の中に放り込まれたところで、俺がまともに戦えるのか、足を引っ張りはしないか、そんな不安が湧き上がる。だが、それと同時に、キング・ダモクレスに挑んだ時のあの感覚――自分よりはるかに強い相手に挑む高揚感が胸の奥でざわめいた。

 現実では到底味わえない、命の危険すら許容できるこの世界。その興奮は俺の理性を超え、言葉となって口をついて出た。


「――お願いします」


 気づけば、俺はそう答えていた。




 フィジェットからのパーティの誘いを了承し、二人パーティとなった俺達は雪山の奥へと進んでいく。

 パーティを組んだことで、パーティチャットが使用可能になり、互いの位置もマップに表示されるようになった。これにより、連絡を取りやすくなったのは心強いが、油断は禁物だ。

 この雪山には、高レベルパーティですら苦戦するようなモンスターさえ出現する。迂闊に彼女の後をついていくだけでは、強敵に絡まれる危険もある。冒険者として、自分の安全は自分で守るのが鉄則だ。時には、敵を避けるために彼女から一時的に離れる必要もあるだろう。

 パーティを組んだおかげで、いざという時にはすぐに合流できる安心感はある。しかし、常に周囲を警戒し続ける必要があることに変わりはない。俺は神経を尖らせながら進んでいたが、そんな俺をよそに、フィジェットは軽やかな足取りで雪を踏みしめ、平然と話しかけてきていた。


「――というのがフェンリルの攻撃パターンね。まぁ、近接アタッカーは範囲攻撃のコールドブリザードにさえ注意していれば大丈夫。攻撃が来る時の合図はうちが出すから、それを聞き逃さないように」

「――わかりました」


 周囲の敵を警戒しながら、攻略の話を聞くというのは、なかなか神経が磨り減る。

 だが、戦いの前にこうやって攻略の要点を説明してもらえるのはありがたい。

 思えば、キング・ダモクレスに挑んだ時は、こういった丁寧な準備は一切なかった。改めて考えれば、俺達は負けるべくして負けたのかもしれない。


 それにしても、HNMギルドのギルドマスターが、人数が足りないからといって、こうやってフレンドでもないプレイヤーを誘うのは意外だった。マテンローの話ではギルド「片翼の天使」では入団テストみたいなことをやっているらしいし、HNM討伐なんて実力が信用できる人だけで固めているものだとばかり思っていた。


「人手不足のときは、いつもこうやって近くにいる人に声をかけているんですか?」


 話を聞いてばかりいるのも悪いかと思い、こちらからも話しかけてみる。


「そんなわけないじゃん。得体の知れない奴を入れるのなんて怖すぎるって。無能な味方は敵よりも厄介だって言うし」

「そ、そうなんですね……」


 フィジェットの言葉に、俺は苦笑いを浮かべる。彼女の言い分もわかる。ほかのゲームで、事前にしっかり説明していたにもかかわらず、自分勝手に動かれて全滅した経験のある俺にとって、それは痛いほど理解できる事実だった。ギルドマスターとしては、当然の考え方だろう。


 ……あれ?

 だったら、俺はどうして誘われたんだ?

 俺はフィジェットとパーティを組んだことはない。

 彼女が俺のプレイを見たことがあるとすれば、あの無様に負けたキング・ダモクレスくらいだろう。

 うーむ、彼女は言ってることとやってることが矛盾してないか?

 ……フィジェットか、考えがなかなか読めない人だ。


 俺は前を走る彼女の後ろ姿に目を向けた。

 まとめられた赤い髪が、足を踏み出すたびにリズミカルに揺れている。その姿だけ見れば、どこにでもいそうな可愛らしい女の子だ。

 だが、彼女が身に纏っているのは、超レア装備の「ナイトオブナイツ」。見かけに騙されてはいけない、彼女は正真正銘のHNMギルド「ヘルアンドヘブン」のギルドマスター――つまり、超一流のプレイヤーだ。


 ふと、彼女のレア装備を見て、ある疑問が頭をよぎる。フェンリルを倒した際のドロップアイテムの扱いはどうなるのだろうか?

 「片翼の天使」では、HNM戦への参加によってポイントを溜め、それでロット権を得るとマテンローは言っていた。おそらく彼女の「ヘルアンドヘブン」にも何かしらのルールがあるのだろう。でなければ、彼女が「ナイトオブナイツ」を入手している理由が説明できない。

 キング・ダモクレスとの戦場で彼女のギルドメンバーを見たが、この鎧を身に着けているのはフィジェットだけだった。公平なロットで手に入れたとは考えづらい。さすがにギルドマスター優先では、メンバーが不満を溜めるだろうから、「片翼の天使」のようなポイント制か、何らかの納得できる方法があるのだろう。


 そうなると、フェンリルを倒せたとしても、俺にロット権はないよなぁ……。


 フェンリルは、器用さを大幅アップさせる「フェンリルリング」というアクセサリーをドロップすることで知られている。どんなに高い攻撃力があっても、その攻撃が当たらなければ意味がない。物理系戦闘職にとって、このフェンリルリングは喉から手が出るほどほしいアイテムだ。そして、それは料理人の俺にとっても同じ。料理の出来は、器用さのステータスに影響される。それになにより、料理スキルのダメージは、器用さへの依存度が非常に大きい。ある意味、誰よりもフェンリルリングを手に入れたいと思っているのは俺かもしれない。

 そのため、もしフェンリルと戦う機会があれば、絶対にロットで勝ってやると思っていたが……さすがに初参加で、そもそもギルドメンバーでもない俺がロットさせてもらえるとは思えない。

 今回はフェンリルと戦う機会を得られること自体を喜ぶべきだろう。


「ショウ、そろそろ狩場だよ」


 前を行くフィジェットが声をかけてきた。

 顔を上げると、雪山の頂上へと向かう道から少し外れた場所に、山の中にもかかわらず、ちょっとした雪原が広がっていた。

 ここは敵のポップが少なく、普段なら狩場としては適さない場所だ。それでも、どこか特別な雰囲気が漂っていたが、この場所がフェンリルのポップ場所だったのか。


 目を凝らしても、まだフェンリルの姿は見当たらない。まだリポップの時間ではないのだろう。

 しかし、すでに何十人ものプレイヤーがその場に集まっていた。

 彼らは、三つの集団に分かれている。おそらくそれぞれ「ヘルアンドヘブン」「片翼の天使」「異世界血盟軍」のギルドメンバーなのだろう。

 フィジェットはその内の一つの集団に近づくと、そこで足を止めた。


「ショウ、これがうちのギルドの連中だよ」


 彼らはそれぞれが何かしらのレアアイテムとおぼしきアイテムを身に着けていた。レベルも俺より高い。

 ――これが、HNMギルド「ヘルアンドヘブン」。

 相手は皆同じこのゲームのプレイヤーだというのに、目の前に立つ彼らからはどこか威圧感を覚え、俺は自然と背筋を伸ばしていた。



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