ミネコさんと話した流れで、ほかのパーティメンバーとも軽く言葉を交わして少しでも打ち解けておこうと思った――のだが、いざ話しかけようとすると足が止まった。
キング・ダモクレス相手に敗北した身としては、HNMギルドのメンバーに引け目を感じてしまう。
そんなふうに気後れしていると、ユニオンチャットに誰かの声が響いた。
「あー、予め言っておくけど、今回でポップしなかったら、次は無理だわ。仕事あるし」
その声は、ユニオンチャットによる会話なので、距離は関係なく俺の耳にも届くのだが、問題はそこではない。
……そうだった。NMやHNMは一度倒されると一定期間はリポップしない。だけど、その一定期間が過ぎたからといって、確定でリポップするわけではない。期間経過後、ランダムでリポップするかどうか判定され、そこでしなかったら6時間後に再びリポップ判定が行われる。つまり、こうして準備を整えても、そもそも肝心のフェンリルが出現するかどうかはわからないんだった。
「俺も6時間後は無理っすねー」
「俺も学校あるし、これで湧かなかったらもう寝るわ」
何人かが同じように、次のリポップに参加できないことを告げた。
「まじか~。……まぁ、朝になったら誰かログインしてくるかもしれないし、なんとかなるかなぁ」
ねーさんの少し困ったような声が聞こえてきた。
今の時刻は午前3時前。次のリポップチャンスは朝の9時前ということになる。仕事や学校のある人には、当然無理だろう。ギルドマスターとしてのねーさんの苦労がしのばれる。
……というか、明日――いや、もう今日か――仕事や学校があるのに、この人達はこんな時間までゲームやってるってことだよな。24時間ログインを続けている廃人もすごいけど、ちゃんと仕事や学校行きながらこうやってHNM狩りに参加している人達も別の意味ですごいと思う。いや、まじで。
でも、今回リポップしなかったら、さすがに部外者の俺はさすがにお払い箱かな?
ねーさんの言うように、朝になってログインするメンバーがいるなら、無理して俺を入れる必要もないだろうし……。
そんなふうに考え込んでいたところで、不意にねーさんが俺の名前を呼んだ。
「ショウ、6時間後は来れる?」
驚きで一瞬言葉が詰まる。
あれ? もしかして、ちゃんと俺も数のうちに入ってる?
「大丈夫だけど……」
恐る恐る返事をすると、ねーさんは明るく笑った声で続けた。
「助かる! 時間近づいたらここ集合でよろしくね!」
その声には心底ホッとしたような響きがあって、思わず俺の胸も温かくなる。
こんな俺でも必要とされている感覚――悪くない。
今回フェンリルがリポップしようとしまいと、一度切りのチャンスではない。その事実だけで、少し気が楽になった。
もし今回フェンリルが出なかったら、一旦ログアウトして5時間ほど寝ることにするか……。
そんなふうに、次に備えた行動を頭の中で考えていると、周囲の空気が変わり始めた。
空気がピリっと張り詰め、周りで交わされていた会話が急に減っていく。
――フェンリルのリポップ時間が、いよいよ迫ってきたのだ。
その予感を裏付けるように、ねーさんの号令が響いた。
「みんな、そろそろだよ。用意して!」
その言葉と同時に、ユニオンのメンバーが一斉に動き出す。それぞれが雪原フィールドの異なる場所へ散らばっていく。整然とした陣形はないが、それぞれの動きに迷いは感じられない。
一方、俺は状況を飲み込めず、きょろきょろと周囲を見回していた。
そんな俺の様子に気づいたのか、ミネコさんがこちらへ歩み寄ってくる。
「ショウニャン、フェンリルはこのフィールドのどこかにランダムでポップするにゃん。だから、どこに出ても誰かがすぐに反応できるよう、みんな離れてポジションを取るんだにゃん」
彼女の説明を聞いて、ようやく状況が呑み込めた。
言われてみれば、ライバルである「片翼の天使」や「異世界血盟軍」の連中も、同様に散らばっている。
通常の狩りでは、陣形を組んだ上で敵と接敵するか、斥候に出たプレイヤーが敵を陣形を組んで待ち構えている仲間のところまで引っ張ってくるのが基本だ。しかし、HNMの争奪戦では、そんな余裕などあるはずがない。
HNMと戦うためには、ほかのHNMギルドを出し抜き、ポップしたHNMに先に攻撃を仕掛ける――それが何よりも優先される。
「ショウニャンも、フェンリルがポップしそうな場所を予測して構えるにゃん」
「ポップしそうな場所って言われても、そんなのわから――」
「期待しているにゃん!」
俺が言い終わる前に、ミネコさんはニッと笑い、あっと言う間にその場から離れていった。
敵に最初に攻撃を入れるファーストアタックは、敵のヘイト値が高い。ヒーラーやアタッカーがそのファーストアタックを取ることは、普段ならタブーとされている。だけど、今は違う。ミネコさんも俺も、ヘイトを稼ぐリスクを冒してでも、ファーストアタックを狙いに行かないといけない場面なんだ。
俺も覚悟を決めて、視界の先に広がるフィールドを睨みつけた。
――どこだ? フェンリルはどこに出る? その姿をこの目で捉えた瞬間、誰よりも先に俺が一撃を入れてやる!
包丁を握る手に汗が滲む。冷たい雪原の空気が頬を刺しているはずなのに、その緊張感は俺の手のひらだけを妙に熱くする。
このゲームでは、通常の武器攻撃よりもスキルを使った武器攻撃の方が、わずかに早く敵を捉えることができる。スキルには攻撃速度の補正がかかるためだ。だからこそ、俺のような近接物理アタッカーは、敵を見つけた瞬間に接近してスキルを放つ動きが求められる。
一方、魔導士系職業や遠距離物理アタッカーは、多少の距離があってもその場から遠距離スキルを発動することができる。ただし、そのようなスキルは、近接武器スキルよりも発動までの時間がわずかだが遅い。
もしフェンリルが俺の近くに出現すれば、遠距離職のプレイヤーよりも先にファーストアタックを取れるだろうが、離れた場所に出現すれば、遠距離職が先に仕掛ける可能性が高い。俺が取るべきポジションは、それらをすべて考慮に入れて選ばなければならなかった。
……とはいえ、今のこのフィールドには敵対ギルドも含めて多数のプレイヤーが集結している。俺ら全員の職業や配置を把握するのは現実的には無理だ。
結局、考えがまとまらず、俺は無駄に歩き回り、気づけば知った顔のそばに来てしまっていた。
「ショウニャン、そんなに私の近くにいたいにゃん?」
耳に届いたのは、聞き慣れた軽い調子の声。横を向けば、そこにはミネコさんがいた。
冗談のつもりで言ったのだとはわかっているのに、思わず照れて顔が赤くなってしまう。
「その気持ちは嬉しいけど、同じ場所にいても意味ないにゃん。寂しいけど、ここは離れた方がいいにゃん」
ミネコさんの言う通り、二人で同じ場所にいるのは無駄だ。それぞれが散開して雪原全体をカバーするからこそ、フェンリルの出現に対応できる。
「ごめん、ミネコさん」
俺は謝罪の言葉を口にしながら、慌てて周囲を見回した。
HNMギルドとの獲物の取り合いに緊張していると思われるのは正直恥ずかしい。早いところ自分のポジションを決めなければならない。視線を巡らせていると、運良くユニオンメンバーのいないスポットを見つけた。
「ここはミネコさんに任せて、俺はあっちに行くよ」
指をさして移動を開始する俺に、ミネコさんが声をかけてくる。
「おっ、敢えてそこに行くとは、さすがショウニャン! 頑張ってくるにゃん!」
その一言に何か引っかかるものを覚えつつ、俺はその場を離れた。
とにかく、ミネコさんに頼りないところをこれ以上見せないで済んだことに安堵する。
だが、その一息ついた瞬間――鋭い視線が俺に突き刺さるのを感じた。
周りには、うちのユニオンメンバーはいないが、「片翼の天使」と「異世界血盟軍」のユニオンメンバーはいる。彼らは奪い合いのライバルだ。俺を煙たい目で見るのも当然だろうが、それにしても、視線の圧が強いような気がする……。
あまりに視線が気になった俺は、そのプレイヤーの方へと目を向けた。
「――――げっ!?」
目に映ったのは、鮮やかな緑のローブに身を包んだエルフのキャラクター。その名を目にした瞬間、心臓が跳ねる。
ルシフェル――「片翼の天使」のギルドマスターだ。
俺自身は知らなかったが、ミネコさんの話によれば、俺は彼が狙っていた「1stドラゴンスレイヤー」の称号をかっさらった憎き相手ということになる。そして、そんな因縁のある相手である俺が、フェンリルを巡るこの激戦の場にのこのこと現れたのだ。彼が親の仇を見るような目を向けてくるのも頷ける。
なぜこの場所にうちのユニオンメンバーが誰もいなかったのか、そしてミネコさんが俺に「敢えてそこへ行くとは」と言ったのか、その理由をようやく理解した。
……ううっ、やばいって!
「アナザーワールド・オンライン」にpvp――プレイヤーがほかのプレイヤーに攻撃を仕掛けるようなシステム――は存在しない。そのため、ルシフェルが俺を敵視していようと、直接危害を加えるようなことはできない。それはわかっている。
でも、ここにいるのは精神的に良くない!
「頑張ってくるにゃん」と言ってくれたミネコさんには悪いけど、場所を変えよう。
うちのメンバーがいないスポットができてしまうが、そこはしょうがない。運悪くそこにフェンリルがポップしたとしても、それはそういう運命だったのだ。
そんなふうに心の中で言い訳しながら歩き出そうとした時だった――突然、俺の前に白い壁が立ちはだかった。
一瞬、何かバグでも発生したのかと思ったが、すぐにその勘違いに気づく。白く輝く毛並み、凛々しい狼の姿――それこそ、俺達の狙いであるHNMフェンリルそのものだった。
見かけはメイの錬金術師クエストで見かけたヌシに似ているが、大きさは段違い。ヌシがネコなら、目の前のフェンリルはトラだ。見上げるほどの大きさがある。
「まじかよ!?」
心臓が激しく鼓動する中、身体が反射的に動いた。半ば無意識のうちにスキルを使用する。
戦闘で料理スキルを使うようになったのは最近のことだが、料理スキルそのものはプレイ開始時から使い込んできた。頭で考えるまでもなく発動し、俺の包丁がフェンリルに突き刺さる。
【ショウの攻撃 フェンリルにダメージ208】
ダメージ表示が現れ、フェンリルの名前が白から戦闘状態を示す赤色に変わった。
「えらいにゃん!」
「
「ナイスです!」
興奮気味の仲間達の声が耳に飛び込んできて、ようやく実感が湧く。誰よりも先に俺がフェンリルに攻撃を加えたのだと。
「取った……取ったぞォ!」
興奮に突き動かされるまま声が溢れ出る。
熟練のHNMギルドの連中を相手に、この俺が獲物の取り合いを制したんだ――その興奮と誇らしさが全身を熱く包み込んだ。