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第113話 タンクとアタッカー

 自分の力でフェンリルとの戦闘権を勝ち取った喜びに震える俺だったが、すぐにファーストアタックの代償を支払うことになった。


【フェンリルの攻撃 ショウにダメージ288】


 俺がフェンリルに与えた以上のダメージが返ってきた。

 料理スキルを使用するには重量制限があるため、俺の装備はHNMの攻撃に耐えられるレベルのものではない。

 あと数発食らえば、マジで死ぬ!


「やばいって!」


 慌てて背を向けて逃げ出す。

 当然追いかけてくるだろうが、そのままじっとしているよりは多少延命できる。だけど、このままならいつか殺されるのは確実。

 いつもならミコトさんがいてくれたから、確実に回復してくれるという絶対的な安心感があった。でもこの場に彼女はいない。こんな命がけの戦いに、ミコトさん抜きで挑むのはよく考えたら初めてだった。

 フェンリルへの恐怖と、信頼できる仲間がいないという不安感で、冷たい汗が背中を伝う。


「ショウニャンをやらせはしないにゃん!」


【ミネコはヒール・大を使った】

【ショウの体力が240回復】


 大幅に減った体力がかなり回復した。

 知らない人と組む野良パーティでは、ヒーラーがいてくれても心のどこかに不安が残る。だけど、ミネコさんは違った。彼女の回復は、ミコトさんに似た安心感を与えてくれる。


「ショウ、よくやってくれた! 後はうちに任せな!」


【フィジェットは挑発を使った】


 ねーさんは、俺とは離れた位置でポップに備えていたはずなのに、いつの間にか挑発の範囲内まで駆けつけてくれていた。

 フェンリルの鋭い銀色の瞳が俺から離れ、ねーさんに向けられる。その瞬間、緊張が緩み、思わず息を吐き出した。


「助かったぁ……」


 だが、油断は禁物だ。

 俺はファーストアタックを取った上に、大ダメージを与えている。相当なヘイトを稼いでしまったのは間違いない。ねーさんが一旦ターゲットを奪い取ってくれたとはいえ、フェンリルの攻撃を受けるたびに彼女が稼いだヘイトも減少していく。

 もし俺が調子に乗って攻撃を重ねれば、ねーさんを上回るヘイトを稼いでしまい、再びターゲットが俺に向く危険性がある。


「しばらくは攻撃を控えるしかないか……」


 ねーさんがタンクとして敵のターゲットを確保したことで、パーティ全体の陣形が整い始めた。

 正面から敵を受け止めるねーさん、敵の背後に近接アタッカー、さらにその後方に遠距離アタッカー、そしてタンクを回復しつつ巻き添え攻撃を食らわない安全な場所にヒーラーがついていく。

 俺もほかの近接アタッカー同様フェンリルの背後に回り込んだが、彼らと違い、攻撃は仕掛けずに様子を窺う。

 俺達のユニオンはヒーラーが少ないため、短期決戦を狙う必要がある。本来なら手を休めず攻撃を繰り出したいところだが、アタッカーがターゲットを取ってしまっては本末転倒だ。それだけは避けなければならない。


【フェンリルの攻撃 フィジェットにダメージ125】


【フェンリルの攻撃 フィジェットにダメージ122】


 そうこうしている内にもフェンリルは攻撃を重ね、ねーさんへのダメージが蓄積していく。

 タンクである彼女が稼いだヘイトは、ダメージを受けるたびに減少する。それを補うために挑発系スキルを重ねる必要があるが、その効果が安定するまでは、俺が不用意に動くわけにはいかない。

 しかし、どうにも引っかかるものがあった。

 ねーさんが連続でダメージを受けているにもかかわらず、ヒーラーからの回復が一向に飛んでこないのだ。まだ彼女の体力が危険域に達していないものの、この遅れは不安を感じさせる。


 ――ミコトさんなら、すぐ回復を飛ばしているだろうに。


 ふとミコトさんの姿が脳裏に浮かぶ。彼女はいつだって、敵のダメージを的確に見極め、瞬時に最適なヒールを選択して飛ばしてくれていた。それと比べると、ここのヒーラー達の動きはどうにももどかしい。

 これが名高いHNMギルドの実力なのか?――そんな疑念が胸をよぎる。


 だが、その認識はすぐに覆されることとなった。


【フィジェットはヒール・大を使った】

【フィジェットの体力が240回復】


 画面に流れるメッセージを見て、俺はハッとした。

 クマサンの職業である重戦士と違い、ねーさんの聖騎士はタンクでありながら、サブ職業にかかわらずヒールが使える職業だ。

 そのため、回復が遅いヒーラーに痺れを切らして自ら回復を行った――なんていう間抜けな話ではない。ねーさんの、いや、ねーさんとヒーラー達の意図を俺はようやく理解した。


 ――最初から自己ヒールによるヘイト稼ぎを狙っていたのか!


 挑発系スキルと同様に、回復行為も敵のヘイトを大きく稼いでしまう。ヒーラーは自らがターゲットを取らないよう、そのヘイトを考えて回復しなければならないが、タンク自らがヒールを使うのなら、そのデメリットはメリットへと変わる。


【フィジェットは挑発を使った】


 ねーさんは自己回復に加え、クールタイムを終えた挑発をさらに重ねた。

 ヒーラーがねーさんへの回復を控えていたのは、単に遅れていたわけではない。その行動には明白な意図があったのだ。戦闘開始直後の不安定なヘイト状況を見越し、タンク自らが挑発と回復を行うことで、敵のターゲットを確実に固定化する――それがHNMとの戦いをわかっている熟練プレイヤーの立ち回りだったのだ。


 もっとも、そのへんのプレイヤーが同じことをやっても、すぐにSPが尽きてタンクとしての役目を果たせなくなり、ただの愚行だと笑われるだけだろう。

 考え付いても普通はできない、そんなタンクの立ち回りが可能なのは、ねーさんが装備している鎧「ナイトオブナイツ」があるからだ。

 その超レア鎧は、着ているだけでSPを少しずつ回復してくれるという特性を持つ。その恩恵が、ねーさんのこの戦い方を可能にしていた。


 レア装備を持たないプレイヤーの中には、ねーさんのようなプレイヤーを、「実力があるわけではなく、装備に恵まれただけのプレイヤーだ」と言う者もいるかもしれない。だけど、このゲームを本当にプレイしてきた者ならわかっている。アナザーワールド・オンラインでは、課金によってアイテムを入手することはできない。優れた装備を得るには、計り知れない努力と技量、そして時には運が必要だ。

 だから、レア装備を持つということ自体が、プレイヤーとしての実力の証明なのだ。


「ショウ、そっちに攻撃は行かせないから、好きにやってくれていいよ!」


 銀色に輝く鎧ナイトオブナイツが誰よりも似合うねーさんが、俺に向けて不器用なウインクを送ってきた。

 フェンリルの猛攻を一身に引き受けながら、それでも俺に言葉をかけてくれる彼女のその気遣いが胸に響く。

 最初はただの人数合わせと思っていた。だが、今では違うと確信している。


「――だったら、俺も期待に応えないとな!」


 愛刀メイメッサーを握る指に自然と力がこもる。

 安全策を取るのなら、ここは同じ料理スキルでも、威力の弱めのものから使っていくべき場面だ。ヘイトを取らないよう、安全マージンを考えて攻撃するのが常道。特に、初めての敵、初めてのタンクという状況ならなおのこと。

 実際、マテンローがタンクを務めていたキング・ダモクレス戦ではそうしていた。


 ――だが、今回の俺は敢えて、現時点での自分の最大の技を選択する。


「食らえ! スキル、みじん切り!」


【ショウの攻撃 フェンリルにダメージ389】


「まじか!?」

「えぐいダメージ!」

「料理スキルやべぇ!」


 ほかのアタッカーから驚きの声が上がる。

 俺が叩き出したダメージは、HNMギルドのアタッカー達による最大ダメージを軽々と100以上も上回っていた。俺達のインフェルノ戦の動画を見ていたとしても、直にこの火力を見れば、さすがに驚愕もするだろう。

 だが、彼らの驚きは単純にダメージによるものだけではないだろう。この序盤に、ターゲットを奪いかねない大技を叩き込んだ俺の行動そのものにも驚いているに違いない。


 でも、俺がここで敢えてみじん切りを使ったことにはワケがある。

 ヘルアンドヘブンの人達に俺というアタッカーの力を見せつけるため――なんていう子供じみた理由じゃない。

 俺は今の攻撃で、ねーさんのタンクとしの力を測っていたのだ。

 もし今の攻撃で俺の方にターゲットが移るようなら、その程度のタンク能力しかないということ。そうなれば、俺は今後火力をセーブし、慎重に立ち回らなければならなくなる。

 だが、このダメージを叩き込んでも敵がねーさんに張りついたままなら――彼女はクマサンに匹敵する、いや、それ以上のタンクだということになる。


 そして、フェンリルの巨体は、ピクリとさえ俺の方に向きを変えようとはしなかった。


 ――ねーさんはタンクとして信用できる!


 その確信が胸に広がると同時に、俺は頭の中でねーさんの稼ぐヘイトと自分のダメージによるヘイトバランスを計算していく。


 ――大丈夫、もう掴んだ。


 それは漠然とした感覚で、言葉や数字で表せるものではないが、俺の方にターゲットが来ないギリギリのレベルのダメージってやつを感覚的に把握した。


「スキル、いちょう切り!」


【ショウの攻撃 フェンリルにダメージ195】


 攻撃を緩めず、俺は手と頭を動かし続ける。

 ターゲットはねーさんに向いたままだ。

 周囲のアタッカー達は不安げにこちらを見てくるが、俺に焦りはない。

 このダメージなら、ねーさんがターゲットを固定化し続けてくれる――その確信があった。


「ショウニャン、わかってるにゃん?」


 ミネコさんの声が飛んできた。

 だが、不安な様子のアタッカー達とは違う。彼女の目はどこか透き通っていて、俺の胸の奥を見透かしているような鋭さがある。

 周囲の人達には、彼女の問いが「(アタッカーが調子に乗ってダメージ取ってターゲットを取ってはいけないことを)わかってるにゃん?」という、HNM戦の初心者向けの注意に聞こえただろう。

 だが、俺は違うと直感した。

 あの目と表情で放たれた言葉は、もう一段階上の意図、「(ターゲットを取ってしまわないギリギリのラインを)わかってるにゃん?」という、プロフェッショナルとしての確認が込められているのだと。

 だから俺は自信を持った声で答える。


「大丈夫、見えてます!」


 俺の言葉に、ミネコさんはニカッと笑い、いつもの気楽な表情に戻る。


「だったら、思いっきりやっていいにゃん!」

「はい!」


 彼女の言葉に背中を押され、俺はさらに料理スキルを重ねていく。

 包丁が舞い、スキルで輝くたびに、俺のダメージはHNMギルドのアタッカー達をも凌駕していく。


 ――HNMギルドの中でも、俺は十分にアタッカーを張れるんだ!


 胸に湧き上がる自信と誇り――それが、何度でも、包丁を握る俺の右手を、フェンリルへと振り下ろさせる。



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