ほかのギルドの連中の助けは期待できない。また、ここは狩場に適していないため、レベル上げパーティが偶然立ち寄る可能性もほぼない。たとえ奇跡的にそんなパーティがいたとしても、フェンリル戦の近くでモンスターを狩るような無謀な真似をするわけがない。
つまり、新たに湧いたモンスターは、俺達でなんとかするしかないということだ。
不幸中の幸いというべきか、現れたモンスターは、ブラックウルフ――俺の料理スキルが通用する相手だ。
――このユニオンにおいて、俺はある意味部外者。人数が足りないから参加させてもらっている立場だ。だったら、こういった余計なモンスターを引き受けるのは、俺の役目ではないだろうか。
そんな考えが湧き起こる。
しかし、俺がダメージを受ければ、その分、ヒーラーに迷惑をかけることになる。それは下手をすれば、全体の戦局に悪影響を及ぼす可能性もある。
飛び出すべきか、それとも留まるべきか。答えの出ない迷いに囚われていたその時――
「ユーリィ!」
ねーさんの声が鋭く響いた。
「わかってる!」
即座に応じたのは、もう一人のタンク――短い金髪のイケメン騎士ユーリィだった。声と同時に、彼は軽快な動きでブラックウルフへと走り出す。
――ありがたい! 彼がターゲットを取ってくれれば、俺はダメージを受けるリスクを冒さずブラックウルフを削れる!
胸の中で湧き上がる安堵感。それと同時に、俺も遅れまいと一歩踏み出そうとした――その時だった。
「雑魚モンスターへの攻撃はスカイのパーティで対応! ミネコのパーティはフェンリルに集中!」
ねーさんの指示が飛ぶ。まるで予定された動きのように、スカイパーティの四人は躊躇なく攻撃目標をブラックウルフに切り替えた。
――この連携、一体どうなっている? 普段から決められていたことなのか、それともねーさんの瞬時の判断なのか……。
今回が初参加の俺には、どちらが正解なのかはわからない。ただ、そのどちらにしても、このユニオンの判断と動きには隙がない。それだけは確かだった。
「この辺ってモンスターのポップが少ないから、楽で助かるよな」
「ユーリィなら、一人で二匹くらいの余裕でターゲットを取れるしな」
隣で軽口を叩くアタッカー達。その言葉には焦りの色が一切なく、むしろ楽しんでいるかのように聞こえる。
思い返してみると、ブラックウルフがポップした時も、彼らは誰も慌てておらず、落ち着き払っていた。
結局、焦っていたのは俺だけだったのだ。
彼らは俺抜きでポップしたモンスターに対処できるし、そもそもそれを脅威だとすら思っていない。
…………。
なんだか急に恥ずかしくなってきた。
所詮は数合わせ――そんな言葉がまた浮かんでくる。
「ショウ!」
うつむきかけた俺に、ねーさんの声が飛んできた。
「余計なことは気にしないで、フェンリルにダメージ出すことだけ考えてくれればいいから。期待してるよ!」
顔を上げるが、間にフェンリルの巨体を挟んでいるので、この位置からではねーさんの顔は見えない。
それでも、その言葉に込められた熱量からわかることがある。
彼女の言葉は気休めではない。本心からの言葉だ――少なくとも、俺はそう信じたい。
「ああ、任せて! これでも俺は『1stドラゴンスレイヤー』の称号を取った男だ!」
メイメッサーを握る手に力を込めた。
この包丁は、俺の手に本当によく馴染んでくれる。
そして、いつだって俺の期待に応えてくれる!
「スキル、みじん切り!」
【ショウの攻撃 フェンリルにダメージ408】
表示されたダメージ数値に、皆が息を呑む。俺の渾身の一撃は、この戦いで初めて400台の驚異的なダメージを叩き出したのだ。
ミネコさんの攻撃強化バフスキルは強力だし、切れる前に上書きしてくれている。
そういえば、フェンリルに対する攻撃ダウンや防御ダウンのデバフスキルも、まるで計ったかのように一定時間ごとに掛け直され、その効果が切れた様子は一度として見られない。恐らく、本当にスキル使用時の時間を記憶し、切れるまでの時間をカウントダウンしているのだろう。
これが本物のHNMギルドのプレイヤー達の動きなんだと思い知らされる。
たびたびかけ忘れがあったマテンローのギルドとは、行動の質が根本的に違っている。
――だけど、俺だって負けていない! 経験や知識では、確かに今の俺は劣っているかもしれないが、ダメージを出すことに関してなら、俺はHNMギルドだって超えてみせる!
「唸れ、メイメッサー!」
俺は次の料理スキルを放った。
今度もまたHNMギルドのアタッカーを凌ぐダメージが表示される。
――相手がHNMであろうと、最大火力はこの俺だ!
頭の片隅でねーさんの合図――コールドブリザード発動のタイミング――だけに気を配りながら、ひたすら攻撃を続けた。
何度も、何度も――
そして、気がつけばフェンリルの巨体がゆっくりと崩れ落ちていくのが見えた。
「いつもより早くない?」
「確かに」
「ねーさんがタンクスイッチする必要もなかったもんな」
周りのプレイヤー達が手を止め、談笑を始める。
だけど、俺はまだメイメッサーを構えたまま、フェンリルから目を離せないでいた。
――倒したのか? 本当に?
相手はHNM。キング・ダモクレスの恐怖が脳裏をよぎる。倒したとはいえ、あのインフェルノの終盤の猛攻は、今でも夢に見るくらいだ。
奴らの脅威は、俺自身よくわかっている。
だから、目の前の光景を素直に受け入れることができない。フェンリルの巨体は倒れているが、その余韻に浸ることはできなかった。
だけど、そんな俺の肩に、軽い手が置かれる。
「私達の勝ちにゃん! ショウニャンのカッコいいとこ、見せてもらったにゃん」
振り返ると、満面の笑みを浮かべるミネコさんがそこにいた。その笑顔に緊張の糸が一気に切れる。
改めて確認するまでもなくフェンリルの体力ゲージはゼロになっており、名前も戦闘状態を表す赤色から、戦闘不能を示す灰色へと変わっている。
もはや疑いようがない。
フェンリル討伐完了――俺達の勝利だ。
「ミネコさん達のおかげだよ」
それは紛れもない本音だった。ピンチというピンチすらなく、あっさりフェンリルを倒せたのは、全員が役割を全うしたからだ。タンクの確実なヘイト管理、ヒーラーの的確な回復と補助、絶妙なタイミングで繰り出されるバフとデバフ、そしてそれらを活かすアタッカーの火力――すべてが完璧にかみ合っていた。
「ショウニャンもいてくれたからにゃん。ショウニャンがいなかったらこんなに早く倒せてないって、みんなもわかってるにゃん」
ミネコさんの言葉に、周りのプレイヤー達も頷いている。
その瞬間、胸の奥で何かがじんわりと温かくなった。
仲間の一員だと認められた――そんな気持ちが湧き上がってくる。
ふと周囲に目を向けると、戦いを見守っていた「片翼の天使」や「異世界血盟軍」のメンバー達が、次々とこのフィールドから離れたり、ログアウトしたりするのが見えた。
俺達がフェンリルを倒したため、もうフェンリルと戦える可能性はなくなり、ここに残っている必要がなくなったのだろう。
「しっかり討伐時間を確認されたし、7日後はまた取り合になるにゃん」
ため息混じりのミネコさんの呟きを聞き、俺はハッとする。
そうか、彼らが最後まで残っていたのは、俺達が負けた時に備えてのことだけではなかったんだ。むしろ、本命は討伐時間の確認だったのだ。
HNMをいち早く狩るためには、リポップ時間にメンバーをそろえて待ち構えている必要がある。そして、それをするためには、次の最短リポップ時間を計算するために、討伐された時間を知っていなければならない。
三大HNMギルド以外の新興勢力がなかなか台頭してこない理由が、なんとなくわかった。
きっと倒しやすくてドロップアイテムのいいHNMに関しては、こうやって三大HNMギルドがその時間すら完全に管理しているのだろう。ほかのギルドがHNMの取り合いに加わろうと思えば、まず彼らの戦闘を目撃し、討伐時間を把握するところから始めなければならない。
「ふぅー、すごい世界だよ、ホント」
自然と漏れた感想は、心の底からのものだった。
俺が地道に素材を集め、料理を作って暮らしている間に、彼らはこんな高度な駆け引きを繰り返していたのだ。
このゲームの広さと深さを改めて思い知らされた気がする。
……でも、俺のHNMとの戦いはこれで終わりだ。
次に戦える機会が果たしてあるかどうか……。
そんなことを考えていると、不意にミネコさんの鋭い声が耳についた。
「ショウニャン、気の抜けた顔をしているけど、勝負はこれからにゃん!」
「――――!?」
俺は武器を構え、慌てて周囲を警戒する。
――もしかして、フェンリルが倒されたことをトリガーにして、新たな敵が現れるのか!?
だが、辺りを見渡しても、特に変わったところはない。
そもそも、ほかのプレイヤー達は誰一人として警戒する様子がなかった。
「ショウニャン、どうしたにゃん? モンスターでもポップしたにゃん?」
「いや、どうしたも何も、ミネコさんが『勝負はこれから』とか言うから……」
「そうにゃん。ドロップアイテムを巡る勝負にゃん」
ミネコさんは、猫の手の形をしたグローブでぐっと握りこぶしを作ってみせる。
彼女に言われてようやく気づいたが、フェンリル討伐に伴うドロップアイテムがウインドウに表示されていた。そして、その中にはレアアイテム「フェンリルリング」の名前もあった。