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第116話 アイテムロット

「ドロップしたんだ……」


 俺は思わず呟いた。

 器用度が大きく上昇するフェンリルリングは、喉から手が出るほど欲しいアイテムだ。筋力でなく器用度がダメージ計算に直結する料理スキルにおいて、このステータスの向上は、命中率と攻撃力の両方の強化に繋がる。まさに最重要ステータスを上昇させる究極のアイテムの一つと言っていい。

 しかし、それが手に入るのは、フェンリルとの戦いでドロップした時のみ。俺にとっては、これが最初で最後のチャンスかもしれないのだ。


 ……でも、俺は「ヘルアンドヘブン」のメンバーじゃない。あくまで助っ人として参加させてもらったにすぎない。ギルドメンバーの誰かが手に入れれば、ギルドの戦力は確実に向上する。だけど、部外者の俺が手に入れても、「ヘルアンドヘブン」にメリットはなにもない。

 ……冷静に考えれば、俺がロットさせてもらえる道理がない。

 無理矢理ロットしてしまうこともできるが、そんなことをすれば彼らは二度と俺に友好的な態度を取ってくれないだろう。正直、ねーさんやミネコさんが俺に向けてくれた好意を裏切るような真似なんて、絶対にしたくない。


 ――素直にパスするか。


 そう決めた時だった。ねーさんの賑やかな声が辺りに響いた。


「今度こそ、勝つ! このロットに私のすべてを懸ける!」


 視線を向けると、ねーさんが祈るように両手を組み、全身で気合を放っていた。その必死な姿に、ギルドのメンバーから笑い混じりの声が飛ぶ。


「フィジェット、ずっとロットで負けてるもんな」

「リーダーは大事なところで勝負弱いからなぁ」


 ――あれ? ギルドマスターなのに、ねーさんもロットで勝負しているのか?


 俺は驚きとともに彼女を見た。

 てっきり、ギルドマスターが有利にアイテムを得られるようなルールがあるものだと思い込んでいた。しかし、今のねーさんの必死な様子を見る限り、彼女が装備している超レア装備「ナイトオブナイツ」も、フェアなロット勝負で手に入れたのだろう。

 そう思うと、彼女が公平を重んじる人間であることに改めて気づかされた。


「おおぉぉ! 結構高いのきたぁぁ!」


 ねーさんの弾けるような声が響く。

 そのロット数値は「902」。現時点でロットを終えたメンバーの中で最高値だ。

 これ以上高い数値を出されない限り、フェンリルリングはねーさんのものになる。

 彼女の顔には満足げな笑みが浮かんでいた。その笑顔を見るだけで、ねーさんがこれをどれだけ欲しかったのかが伝わってくる。


 その後も何人かがロットを行ったが、ねーさんの数値を超える者はいなかった。フェンリルリングをすでに所持しているメンバーはパスしているようで、未ロット者は――俺だけだった。


 ――これが、ねーさんがゲット確定だな。


 心の中で安堵と少しの悔しさが混ざった感情が湧く。

 自分が手に入れられないのなら、ねーさんに手に入れてもらいたい――その気持ちに嘘はない。でも、心にどうしても引っ掛かるものが残ってしまう。

 俺にとって最後かもしれないフェンリルリングの入手チャンス……いちプレイヤーとしてその欲望は簡単に消せるものではなかった。


 ――諦めが肝心だよな。パスするか……。


 俺がそう考えた時だった。


「後はショウだけか! 勝負だよ!」


 ねーさんの声が俺に向けられる。その目には、どこか挑戦的な光が宿っていた。


 ……あれ?

 それじゃあまるで、俺もロットしていいみたいじゃないか。


「勝負もなにも、俺はギルドメンバーじゃないし、ロットするわけにはいかないでしょ?」


 戸惑いながらそう言うと、ねーさんは小首をかしげて不思議そうな表情を浮かべる。


「え? なんで?」

「なんでって……」

「ショウも一緒に戦ったんだから、ロット権があるのは当然っしょ」


 その言葉はまるで、「そんなの当たり前だよ」と言わんばかりのものだった。

 その無邪気とも思える態度から、彼女が俺に特別な気遣いをしているわけではないことがわかる。助っ人が誰であれ、彼女は同じように振る舞っただろうという確信を覚えるほどだった。

 だが、俺はふと周囲のメンバーに目を向けた。ねーさんがそういうつもりでも、ほかのギルドメンバーも同じだとは限らない。外部の人間がアイテムロットに加わることを快く思わない者がいてもおかしくない――そう思って、俺は探るような視線を投げかけた。

 しかし、その予想は、いい意味で裏切られる。


「これでフィジェットが負けたら笑うな」

「いや、まじでありそう」

「それはそれで見たいw」


 ギルドメンバー達は嫌な顔どころか、むしろ楽しそうにロット勝負の行方を見守っていた。

 呆気にとられながら、俺はミネコさんの方に顔を向ける。


「ショウニャン、遠慮することないにゃん。ロットは勝者の権利、気合入れていくにゃん!」


 彼女に至っては、俺の応援をしてくれた。


 ……なんなんだよ、この人たちは。


 マテンローから「片翼の天使」の入団試験やアイテムルールのことを聞いて、俺はHNMギルドに偏見を持っていたのかもしれない。でも、それは誤りだった。HNMギルドには、それぞれ独自の色がある。よく考えればそれは当たり前のことだった。どれが良いとか悪いとか、そんな単純な話ではない。 ――だけど、このギルドの空気、俺は好きだ。


「……ねーさん、それじゃあ、遠慮なくロットさせてもらうよ」

「ああ、勝負だ、ショウ!」


 フェンリルリングが欲しいはずなのに、ねーさんはニヤリと笑った。

 すごい人だと思う。

 この人にアイテムをゲットしてもらいたいと思う――だけど、俺だってフェンリルリングは欲しい! タンクのねーさんよりも、料理人の俺の方が絶対フェンリルリングを有効に使えるのは間違いない。戦闘面だけでなく、普段の料理にだってこのアイテムの恩恵は大きい。


 ――だから、ねーさん、俺は勝つよ!


 渾身のロット。

 出た数値は――214。


 ……わかってた。わかってたんだ。

 俺はロットが弱いってことなんて……。


「やったぁぁぁぁ! フェンリルリングゲットぉぉぉ!」


 ねーさんが可愛く飛び跳ねながら、全身で喜びを表現していた。

 その姿は、子どものように無邪気で、俺の心の中にほろ苦い感情と温かな満足感を同時に運んできた。


「おお、マスター、おめでとう」

「ようやく手に入れたな」

「おめでと~!」


 ギルドメンバー達も次々と祝福の声を上げる。ロットで負けているはずなのに、誰も悔しさを滲ませないどころか、心の底からねーさんのアイテムゲットを称えている。その姿が心地よくて、俺も自然と笑顔になった。


 ……なんか、いいな、こういうの。


 だから、俺も、負けはしたがすっきりした顔で、ねーさんに向けて口を開く。


「ねーさん、おめでとう。そのリング、絶対に似合いますよ」

「にゃははは、ありがとっ!」


 屈託なく笑うねーさんは無邪気な少女のようで、思わずドキリとしてしまった。

 フェンリルリングはメチャクチャ欲しいし、これが最初で最後の入手チャンスだったかもしれない。……でも、不思議と後悔はない。ねーさんが手にしたことで、これもまた一つの思い出になると思えた。


 俺は深く息をついて、肩の力を抜く。

 フェンリルリングは逃したが、それでも満足感が残っている。HNM戦という、普通では味わえないスキルと達成感を体験できた――それだけでも十分に価値がある。

 それに、ドロップアイテムはほかにもある。「狼王の肉」あたりでもロットで手に入れて持って帰れたら、記念品としては十分だろう。

 ほかのアイテムにもロットさせてもらうとするか――


 …………。

 ……ん?


 一瞬、目を疑う。

 そして次の瞬間、心臓が高鳴り始めた。


 ――ちょっと待てぇぇぇ!


 目を擦り、改めてドロップアイテムのリストを確認する。


 ――間違いない!


 フェンリルリングに夢中になり、見落としてしまっていたが、その中に「ヘルメスの靴」を発見したのだ。


 ――まさか、こんなところで出会うとは!


 ヘルメスの靴は、俺のギルドメンバーであるメイも所有しているアイテムだが、非戦闘職のプレイヤー装備時に移動速度が常時10パーセント上昇する超レアアイテムだ。フェンリルリングと違い、多くのHNMから広くドロップするが、ドロップ率自体はかなり低いと聞いている。まさか、こんなものまでドロップしていたとは……。

 一般的な価値としては、ヘルメスの靴よりもフェンリルリングの方が高いだろう。ヘルメスの靴は市場に出回ることもあるが、フェンリルリングは入手したプレイヤーがまず手放さないから、市場に出回ること自体がほぼない。

 だけど、非戦闘職に限れば、その価値は逆転しうる――まあ、料理人の俺には、どちらも甲乙つけられないほどの価値があるんだけど。


「……ねーさん、『ヘルメスの靴』にもロットしていいのかな?」


 喉が渇いたような感覚を覚えながら、俺は恐る恐る尋ねた。

 先ほどのフェンリルリングのことを思えば、ダメだと言われる理由はないはずだ。それでも、念のために確認しておかねばならない。これにロットできるかどうかは、俺にとって重要すぎる。


「あー、『ヘルメスの靴』もドロップしてたのか。フェンリルリングに気を取られて気づかなかったよ」


 どうやらねーさんも俺と同じ状態だったらしい。

 その様子を見る限り、改めてドロップアイテムが並ぶウインドウを確認しているようだ。


 ――ここでロットしちゃダメとか言わないでくれよ!


 祈るような思いで、彼女の言葉を待つ。


「『ヘルメスの靴』は私達戦闘職には価値のないアイテムだからねぇ。……ミストはもう持ってるんだっけ?」

「はい、持ってますよー」


 軽やかに答えたのはミストさん。彼女は非戦闘職の裁縫師でありながら、サブヒーラーとして参加していた人間の女の子の姿をしたプレイヤーだ。

 きっとこれまでもこうやって参加することがあり、その際にヘルメスの靴をゲットしていたのだろう。……羨ましい。


「じゃあ、ミストはパスでいいよね?」

「そうですねー」


 ミストさんは躊躇いなく、ヘルメスの靴へのロットをパスした。


「戦闘職もパスってことでー」

「あいよー」

「うぃ」


 ねーさんの声で、ほかのメンバー達も次々とロットすることなくパスしていく。

 ちょっと待ってくれ。それって……。


「残った非戦闘職は――ショウだけだね」


 ねーさんが優しい笑顔で俺を見つめる。

 ドロップアイテムウインドウを確認すると、「ヘルメスの靴」へのロットをすべてパス済み。ロット数値は一つも表示されていない。

 そして、今この場で未ロットなプレイヤーは――俺だけだ。


「いいの?」

「ショウがロットしなきゃ、捨てることになるけど?」

「…………」


 確かに、戦闘職にとって「ヘルメスの靴」は意味のないアイテムだ。移動力アップの恩恵は得られないし、防御力自体も高くない。だけど、それを売れば、相当な金を得ることができる。金銭的価値としては、十分すぎるアイテムなのに……。


 じんと胸が熱くなってきた。

 ほかのメンバー達もねーさんに言われていやいやパスしたわけじゃない。不服そうな顔をしている人はいないし、今もねーさんみたいな優しい表情を俺に向けてくれている。


「みんな、ありがとうございます」


 俺はヘルメスの靴にロットした。

 出た数値は134。

 相変わらず低い。

 普通のロット勝負ならまず間違いなく手に入れられないような激弱数値だ。それでも――


【ヘルメスの靴を入手しました】


 そのシステムメッセージが表示された瞬間、俺の心は歓喜に満ちた。何度もその文字を確認する。けれど、それが消えることはない。


「やったぁぁぁぁ!」


 さっきのねーさんに負けない声で、俺は思わず叫んでいた。



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