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第117話 フレンド登録

「ショウニャン、よかったにゃ」


 ミネコさんが猫のように軽やかな声で話しかけてくる。顔が熱くなるのを感じ、自分のはしゃぎっぷりにようやく気づいた。恥ずかしさが胸をよぎるが、それを上回る嬉しさが心を満たしていた。


「おめでと~」

「おめっとさん!」


 ほかのメンバーからも祝福の声が飛んでくる。

 すべては彼らがパスをしてくれたおかげだ。

 何か返せるものがあれば返したい――だけど、HNMギルドのメンバーの猛者達に返せるものなんて何もないことを、俺が一番わかっている。


「まあ、あれだけダメージ稼いでくれてたからな。その分くらいは返せたようでよかった」


 ふいに聞こえた低い声にハッとする。

 それはユニオンメンバーの一人がこぼした独り言だ。特に俺に聞かせようとしたものではない、ただのつぶやき――それだけに、その言葉が嘘偽りのない本心から出たものだと感じられた。


 ――そうか。返せるものなんてないと思ってたけど、もう俺は彼らの役に立てていたんだ。


 胸の奥で固まっていた何かがほどけていく感覚。自分が彼らのために貢献できていたことへの嬉しさが、じんわりと広がる。「ヘルメスの靴」を手に入れた喜びとはまた違う、満たされた気持ちが湧き上がってきた。


「それじゃあ、残りのアイテムのロットもしてしまうよ」


 ねーさんの掛け声が響く。その声には、いつもの明るさと、全員をまとめるリーダーらしい頼もしさが込められていた。

 一瞬の静寂の後、再び賑やかな雰囲気が戻る。みんな、残ったドロップアイテムへ次々とロットしていく。


 ドロップアイテムの目玉は「フェンリルリング」と「ヘルメスの靴」だが、さすがHNMなだけあり、それ以外の素材系アイテムも十分に魅力的なものだった。鉱石系アイテムは、俺が手に入れても売るかメイにあげるかくらいしか使いみちがないが、「狼王の肉」は、フェンリルからしか得られない食材アイテムだ。手に入れたプレイヤーにより市場へ供給されるので、入手自体は可能だが、数が出るものではないので、値段が高い。料理人としては、一つくらいはここで手に入れておきたいところだ。

 狼王の肉のドロップ数は5個。ユニオンメンバーは15人なので、確率的には1/3で入手できる。フェンリルリングとヘルメスの靴のロットで、俺は二回とも低い数値だった。そろそろ大きな数値が出る――そんな気がする!


 俺は再び気合を込めて、並んだアイテムへとロットしていった。


 …………


 ――なんとなく、こうなるんじゃないかとは思っていたよ。


 俺は冷めた視線を自分のアイテムウインドウへと向けた。

 新たに入手したアイテムがそこに表示されている。


 ヘルメスの靴――以上!


 ドロップアイテムは全部で17個あった。

 それでも俺が入手できたのは、みんなに譲ってもらったヘルメスの靴だけ。ロット勝負に関しては全敗だった。

 もしかしたら「狼王の肉」も譲ってもらえるかもと、わずかに期待したりもしたが、そんな甘いことはなかった。全員が全力でロットしてきやがった。でも、それが逆に気持ちいい。


 ――楽しかった!


 素直にそう思える。

 けれど、どんな楽しい時間にも終わりは来るものだ。アイテム分配も終わり、戦場だったフィールドに漂う空気は次第に静まり返っていく。深夜を超え、朝へと向かい始めている現実の時間が、俺達をログアウトへと誘っているようだった。この場でログアウトするか、それとも街まで戻ってから落ちるか――選択は人それぞれだろうが、どちらにしろ、もう終わりの時間だ。


「みんな、今日はお疲れ! 次もまたよろしくな!」


 ねーさんのその言葉が締めの言葉だった。


「お疲れ~」

「お疲れ様です」


 ユニオンが解消され、パーティメンバーの表示は、ミネコさんのパーティの面々だけとなった。そして、その仲間も一人二人と抜けていく。

 そんなウインドウを眺めながら、俺は胸に小さな寂しさを覚えた。

 やがて、表示に残ったのは俺とミネコさんだけになっていた。


 ――俺は街まで戻ってからログアウトしようかな。とりあえず、パーティからは抜けておくか……。


 いつも以上に寂しく感じながらパーティ離脱を選択しようとしていたところに、ミネコさんが近づいてきた。


「ショウニャン」

「あ、ミネコさん、色々とありがとうございました」


 慌てて礼を言う俺に、彼女は小さく笑みを浮かべる。


「こちらこそにゃ~。それより、フレンド登録しにゃい?」


 予想していなかった言葉に、一瞬、思考が止まる。

 ミネコさんがこの「ヘルアンドヘブン」の優秀な付与術士であることは戦いを通じてわかっている。パーティのリーダーになっていたくらいだから、ギルド内での信頼も厚いのだろう。そんな人からフレンド登録を誘われるなんて光栄すぎる。


「はい、ぜひお願いします!」

「やったにゃん♪」


 ミネコさんは嬉しそうに微笑んでくれるが、本当に嬉しいのは俺の方だ。


【ミネコからフレンド登録申請が届きました】

【許可しますか はい/いいえ】


 迷う余地などなかった。俺は即座に「はい」を選択する。

 フレンドリストを確認すると、そこにはしっかりと「ミネコ」の名前が表示されていた。

 彼女とフレンドなら、またHNM討伐への機会も生まれるかもしれない――そんな淡い期待も湧いてくるが、それ以上に、ミネコさんとの関係がこれで終わりではなく、システムに保証された繋がりができたことが嬉しかった。


「それじゃあ、私はここで落ちるにゃん」

「はい、おやすみなさい」


 ミネコさんは手を振りながら消えていった。

 ログアウトしたのだ。


 これでパーティメンバーは全員いなくなり、俺はソロへと戻った。

 もともとソロでこの雪山には来たけど、まさかその時にはこんなことになるなんて、想像すらしなかった……。


 静寂の中でそんな感慨に浸っていると、背後から明るい声が響いた。


「ショウ!」


 振り向けば、そこに立っていたのはねーさんだった。

 大半のプレイヤーはログアウトするか、街に戻るために移動を始めており、いつの間にかこの場に残っているプレイヤーは、俺とねーさんだけになっていた。


「ねーさん、誘ってくれてありがとうございました」


 俺は深々と頭を下げる。すべてはこの人が声を掛けてくれたからだ。そのお礼をまだちゃんと言えてなかったが、最後に言えてよかった。


「いや、一番ダメージ稼いでくれたのはショウだし、そもそもフェンリルにファーストアタック入れたのもショウだ。ショウがいなかったら、正直どうなってたかわかんないよ。お礼を言うのはうちのほうだ」


 この人にそう言ってもらえるのは、その中にいくばくかのお世辞が含まれていたとしても、素直に嬉しかった。


「ねーさんのギルドメンバーはすごい人ばっかりですよ。俺がいなくたって、ほかのギルドとの取り合いを制して、同じようにフェンリルを倒してたって俺は思います」

「そうかな……」


 ん? どうもねーさんの様子が少し変だ。

 もっと遠慮なくなんでもハキハキ言うようなタイプのはずなのに、妙にモジモジして、何かを言いたげに視線をさまよわせている。


「ねーさん、どうかした?」


 尋ねると、彼女は一瞬だけ躊躇い、それから決心したように顔を上げた。


「…………。ショウ、うちのギルドに入る気はないか?」

「――――!?」


 思いもよらない誘いだった。

 ねーさんが俺達の動画を見ているのなら、俺が既にギルドに所属し、しかもギルドマスターを務めていることを知っているはずだ。それを承知での勧誘――普通なら失礼とされる行為だ。実際、以前マテンローに誘われた時はすぐに断った。だが、今回は同じことができない。

 彼女の言葉が、心に波紋を広げる。彼女のギルドでHNM相手に戦う自分の姿を想像し、憧れと興奮とが湧いてくる。

 だけど、同時に浮かぶものがある――クマサン、ミコトさん、メイの顔だ。そうだ、彼女達のことを考えれば、答えは明らかだった。


 だが、なぜだろう。声が出ない。

 言葉が喉に詰まり、ただ口を開いたまま何も言えずにいる俺を見て、ねーさんが先に動いた。


「あー、ごめん! 今のなし!」


 ねーさんは慌てたように手を振り、早口で言葉を撤回する。


「ギルドマスターを誘うなんて、マナー違反だよな。そう、フレンド――フレンド登録しよう! それが言いたかったんだ」


 最初からそれが言いたかったとは思えない――けれど、それを指摘する気にはなれなかった。


「こちらこそ、お願いします」


 だから俺はそれだけを口にした。


【フィジェットからフレンド登録申請が届きました】

【許可しますか はい/いいえ】


 先ほどの誘いと違って、この選択肢を迷う要素は微塵もなかった。もちろん、即許可する。

 フレンドリストに、しっかりとフィジェットの名前が表示された。


 ――嬉しい!


 スカスカな俺のフレンドリストの中に、三大HNMギルドのギルドマスターの名前が輝いている。少し前の俺からは考えられないことだった。


「うちのギルドメンバーの中で、私がショウのフレンド一番乗りだな」


 ねーさんは誇らしげに胸を張る。その姿に、俺も思わず微笑みそうになった――が、すぐに彼女の言葉に違和感を覚えた。


 ……えっ? 一番乗り?


「あー、ねえさん?」

「ん? どうした?」

「さっきミネコさんと先にフレンド登録を――」

「なにぃぃぃぃ!?」


 つい今しがたまで優しげな顔だったねーさんの目が吊り上がり、仇でも探すかのように辺りをきょろきょろと見回した。


「ミネコ、どこいったぁぁぁ!?」

「……ミネコさんなら、もうログアウトしましたよ」

「あいつぅぅぅぅぅ!」


 ねーさんは悔しそうに叫びながら頭を抱える。

 その姿に、俺は思わず吹き出しそうになる――やっぱりこの人は、どこまでも賑やかで楽しい人だ。


「じゃあ、ねーさん、俺は街に戻ってから落ちるつもりだから、これで」


 改めて別れの挨拶をすると、ねーさんは表情を戻し、真っすぐ俺を見て頷いた。


「そうか。私はこのまま落ちるつもりだから、ここでお別れだね」

「そうですね」

「じゃあ、またね」


 なんでもないことだけど、「さようなら」じゃなくて「またね」なのが嬉しい。


「はい。またお願いします!」


 そう返して俺は、白銀が広がる雪道へと走り出した。冷たい風が頬を撫でる中、ねーさんの声が耳に残っている気がした。


 しばらく走るうちに、ふと思い出す。そうだ――俺はヘルメスの靴を手に入れていたんだった。


「……この状況で使わない理由なんてないよな」


 ステータス画面で装備変更をすれば、一瞬で変えることはできる。だけど、ヘルメスの靴というレアアイテムに対して、それは少し味気ない。

 俺はアイテムボックスから、「ヘルメスの靴」を取り出す。手元に、未装備状態のヘルメスの靴が現れた。

 名前からして古風なサンダルのようなものを想像していたが、手にしたヘルメスの靴は、見た目ほぼ白と黒のスニーカーだった。さらにヘルメスが翼の生えたサンダルを履いていたという伝説からか、靴の側面には躍動感ある翼を簡易化したようなマークがついている。……だけど、そのマークにはどこか見覚えがあった。


「……ナイキのマーク?」


 脳裏に浮かんだのは、リアルでよく見るあのスポーツブランドのロゴ。確か、ナイキのマークはギリシア神話の勝利の女神ニケの翼がモチーフだと聞いたことがある。ヘルメスの靴も同じく翼をテーマにしているのなら、似ているのは当然かもしれないが……。

 なんだかもうナイキのスニーカーにしか見えなくなってきた。


 苦笑いしながらも、今履いている靴を脱ぎ、ヘルメスの靴に足を通す。履いた瞬間、緩いと感じたが、すぐに補正がかかり、足にピタリとフィットした。驚くほど自然な履き心地だ。リアルのナイキスニーカーに負けないフィット感。思わず感心する。

 脱いだ靴をアイテムボックスに戻し、俺は再び立ち上がる。


「よし……行くか」


 雪道を再び駆け出すと、すぐにその効果を実感した。移動速度上昇10パーセント――数字だけ見れば小さな違いにも思えるが、実際には全然違う。後方に流れ去る景色が明らかに速い。足もとが軽く、風を切り裂く感覚が心地よかった。

 普段ならただの移動時間として億劫に感じるこの時間が、今は楽しい。まるで新しい世界を旅しているような気分。


 ふと、この靴を見せたい人達の顔が浮かぶ。

 メイ、ミコトさん、そしてクマサン。

 ああ、やっぱり俺は今のギルドと、みんなのことが好きなんだ。

 そう思うと、自然と笑みがこぼれた。俺は風を切る勢いのまま、白銀の雪道を走り抜けた。



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