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第119話 動画を見せただけなのに

 みんなにフェンリル討伐の話をした翌日。この日は、クマーヤの生配信の日だった。

 初めての生配信以降、俺とクマサンは週に一回は生配信を続けていた。最初はクマーヤのフリートークや、視聴者からの質問への応答などがメインだったが、回を重ねるごとにトークのネタも尽きてきた。最近では、ほかの配信者の二番煎じにはなるが、ゲーム実況に手を出すようにもなっている。

 動画でバズった「アナザーワールド・オンライン」でゲーム実況ができればベストなんだが、VRゲームという仕様上、それは容易ではない。俺がプレイし、その様子をモニターに映し出し、クマサンがリアルタイムでコメントする形なら可能だが、そうすることで「クマーヤ」の正体が俺に関係していると疑われかねない。クマーヤの中身に関する情報は可能な限り秘匿しておきたいので、今のところ、そうした手段を取るつもりはなかった。

 そんなわけで、今回もゲーム配信をするつもりだが、選択したのはレトロな格闘ゲームだ。


 夜の生配信に備えて、リアルのクマサン――熊野彩さんは日が暮れる前に、俺の部屋へとすでに来ている。

 最初の頃、彼女が同じ空間にいることに、俺はひどく緊張していた。だが、今やすっかり慣れてしまった。それは彼女も同じらしく、俺が生配信の準備を進めている間、リビングでリラックスしている。リモコンを手にテレビのチャンネルを次々と変える様子は、まるで自分の部屋でくつろぐようだった。

 しかし、どうやら気に入る番組は見つからないらしい。リモコンを弄る手が止まり、ふと気づけば、彼女は俺のVRヘッドギアを手にしていた。


「ねぇ、ショウ。フェンリルと戦った時の記録って、まだ残ってるよね?」


 アナザーワールド・オンラインでは、自分のプレイが動画データとして常時記録されている。ただ、その記録は、一定期間が過ぎると上書きされてしまう仕組みだ。フェンリル戦のデータもまだ残っているだろうが、保存しておかないと消えるのは時間の問題だ。


 ――消える前に、ちゃんとデータを移しておかないとな。


 あの戦いの記録は、投稿動画にすればきっとかなりの再生数を叩き出すだろう。だが、それを公開するにはヘルアンドヘブンのメンバー達の許可が必要だし、そもそも三つ星食堂としての活動でもない。それに、あの戦いは俺個人の特別な思い出だ。他人に消費されるより、自分の胸に秘めておきたい気持ちもあった。


「残ってると思うけど、パソコンにはまだデータを移してないから、ヘッドギアで直接見るしかないよ?」

「見てもいい?」


 クマサンがまっすぐこちらを見つめる。赤の他人に見られるのは思い出が汚されるようでちょっといやだが、彼女にならまったく構わない。

 それに、記録動画を見るだけなら、アナザーワールド・オンラインにログインする必要もなく、タイトルメニューから閲覧可能だ。

 俺に断る理由はなかった。

 それに、そうして静かにしていてくれれば、俺も配信の準備に集中できる。


「いいよ」

「ありがとー」


 彼女は満面の笑みを浮かべると、ヘッドギアを嬉しそうに装着した。その無邪気な様子に、俺も自然と口元が緩む。


 ……なんだ、この気持ちは?


 胸の奥に、ほのかな嬉しさがじんわりと広がっていく。どこかくすぐったくて、まるで恋人と一緒にいるみたいな感覚。いやいや、違う。そんなはずはない。


 ――もし本当に恋人同士だったら?


 不意に頭をよぎった妄想に、自分でも呆れる。

 たとえば、彼女がヘッドギアで俺の姿を見られないことをいいことに、そっとイタズラを仕掛けたりするのだろうか。

 綺麗な黒髪に指を通してみたり、柔らかそうな頬を軽くツンツンしてみたり……


 いや、そんなことを考える暇があったら、配信準備に集中しろ!

 そう思いながらも、気がつけば作業の手は止まり、彼女の姿をただ眺めていた。

 ヘッドギアの大きなレンズ部分に隠れて表情の一部は見えないけれど、それがまた不思議な魅力を引き出している。大きな瞳が隠れている分、目元以外の仕草や表情に目が行く。小さな動きにすら愛らしさを感じてしまうのは、俺の気のせいだろうか。


 ――ダメだ、いかん!


 はっとして顔を上げる。危うく悪魔の誘惑に負けるところだった。

 目の前の果実は、あまりにも魅力的すぎる。

 もしクマサンが男だったら、冗談半分にわき腹に指を突き立ててからかうくらいのことはするかもしれない。怒られはするだろうけど、結局は笑い合って、それで終わりだ。けれど、彼女は女の子だ。同性の友達なら許される距離感も、異性ではそうはいかない。


 ――女友達との正しい距離感って、どうすればいいんだろうな……。


 正直、俺にはそんな経験がない。学生時代にも親しい女友達なんていなかったけれど、少なくとも今、彼女に妙なことをするわけにはいかないのはわかる。

 俺は深く息をついて、目の前のモニターとキーボードに意識を戻した。


「集中、集中……」


 小さくつぶやきながら、後ろ髪を引かれる思いで作業に向き合う。

 彼女のことを気にしないようにするのは、思った以上に難しかった。

 それでも俺は何とか理性を保ち、作業を終わらせたのだった。


 …………。


 ――ふぅ、まあ、ここまでやっておけば大丈夫だろう。


 あらかたの作業を終えた俺は、ふと後ろを振り返る。

 すっかりクマサンのことを放置してしまっていた。でも、俺のプレイ動画を見てくれていたはずだから、それほど退屈はさせていなかっただろう。


 ……あれ?


 振り向いた先では、なぜかクマサンが俺を睨んでいた。その表情は明らかに不機嫌そのものだ。

 ヘッドギアをつけるまでは、むしろ楽しそうだったのに……。

 俺が作業している間に、一体何があったんだ!?


「……クマサン、なにかあった?」


 問いかけても、彼女は口を「へ」の字に結んだままで、何も答えてくれない。

 沈黙が続き、俺がしびれを切らして何か言おうと口を開きかけた時、彼女の冷たい声が静かに響いた。


「楽しそうだったね」


 楽しそう?――何のことか考えて、すぐに思い当たる。

 彼女はフェンリル討伐の動画を見ていたのだから、その戦いしかありえない。

 昨日はミコトさんがずいぶんとへそを曲げていたが、クマサンの方は比較的早く納得してくれたと思っていた。それに、今日、俺の部屋に来た時も、その時のことを引きずった様子はなく、クマサンの中で俺の抜け駆け問題は解決したものだとばかり思っていたのだが……。

 まさか、実際に俺の戦いぶりを目にして、戦士としての魂に火がついたのだろうか?


「いや、クマサン、昨日も説明したけど、あの時クマサンは寝ていたし、あそこで連絡しても間に合わなかったと思うんだよ」


 同じことの繰り返しになるが、俺としては再度説明するしかない。


「ミネコさんって可愛い人だね。フィジェットさんもかっこいい人で、そんな二人と仲良くなってフレンド登録までして、随分とお楽しみだったようで」

「…………え?」


 思っていたのとちょっと違う――すぐにそう感じた。

 だけど、その指摘に対する答えは、さすがに用意していなかった。


「……うん。二人ともすごくいい人だったよ。機会があったらクマサン達にも紹介したいと思ってたんだけど……」


 正直な感想を口にした途端、クマサンの目がさらに険しくなるのを感じた。まるでゲームの中で明らかに選択肢を間違えたときのような胸騒ぎを覚える。

 そういえば、フェンリル討伐とは直接関係ない話だったから、昨日の話の中では、二人とフレンド登録したことについては触れていなかった。でも、それは決して故意に隠したわけではなく、単に話題にしなかっただけなんだ……。


「ええ、ぜひ紹介してもらいたいものだね。ショウとの付き合いは、私の方がずーっと長いんだし、そのあたりを言っておいたほうがいいみたいだしね」


 クマサンの言葉に、どこかトゲを感じる。その言葉に背筋が凍りつき、俺はおそるおそる尋ねた。


「……クマサン、なんだか、ちょっと怖いんだけど……怒ってる? もしかして、一人だけHNMギルドのリーダーと知り合いになったことが気に障った?」


 俺だけがフレンド登録している状況は、確かに問題を招きかねない。もしかすると、また俺だけHNM討伐に誘われるかもしれない――クマサンはそこを心配しているのだろうか? 俺としては、クマサン達も誘ってもらえるよう頼むつもりだが、そこを信頼してもらえていないのかもしれない。

 ――なんて思ったのだが……あれ? クマサンのこめかみがヒクヒクしているような……。


「……ショウが全然わかってないってことが、よくわかったよ」


 ノベルゲームならまず選択肢を間違えることなど滅多にない自信があった俺だが、リアルではまたしても選択肢を誤ったらしい。正解は何だったのかはわからないが、間違ったことだけはわかった。

 ああ、こんな時にメイがいてくれれば……。彼女なら、きっとミコトさんとのときのように、状況を丸く収めてくれたに違いない。だが、今は頼れるメイもいないし、生配信の時間も迫ってきている。この状況を何とかするのは、俺しかいない。


「……えーっと、クマサン、もうすぐ生配信だけど大丈夫? あ、甘いもの食べると落ち着くっていうよ? 終わった後に食べようと思っていたケーキあるけど、今食べる?」


 苦し紛れの提案だった。冷蔵庫の中でひっそりと出番を待っているケーキに、こんな形で頼ることになるとは、我ながら情けない限りだ。


「……今も、後も食べる」


 静かながら迫力のある声が響く。冷静な口調が逆に恐ろしい。そして、ケーキは2個しか買っていないため、どうやら俺の分はなくなったようだ。


「すぐに用意するから待ってて!」


 半ば逃げるように、俺は冷蔵庫に向かって駆け出した。


 ――そして迎えた生配信の時間。心配していたクマサンの機嫌は、配信が始まると共に、まるでなかったかのように消え去った。さすがプロというべきか。彼女は終始、明るく軽快な声で視聴者を魅了していた。

 だが、彼女が選んだ格闘ゲームのキャラクター――緑色の身体で奇妙な動きが特徴的なキャラ。電気を放ったり、回転しながら飛んでいったりするが、一応ちゃんとした人間――の動きには、どこか尋常でない迫力があった。繰り出す一撃一撃が、画面を通して圧を感じさせるほどで、どうしても彼女の心の内が投影されているように思えてしまう。

 格闘ゲームはほとんどやったことないと聞いていたから、下手な初心者プレイで視聴者に笑ってもらおうと思っていたのに、本来の実力以上の何かを発揮したかのように、彼女は見事配信時間内にクリアしてみせた。

 配信のコメント欄は「すごい!」「格ゲー初心者とは思えない!」といった賞賛で溢れかえり、クマーヤの名は一層輝きを増すだろう。

 だが、そういったコメントを見ながら、俺は心の中で酷く怯えていた。


 ――ケーキだけでは許してもらえないかもしれない、と。



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