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第120話 クエスト――ショッピング

 ――なぜ俺は、こんなところにいるのだろうか。


 駅前の広場。人の波に飲み込まれそうになりながら、一人たたずむ俺は、やけに冷たい風が頬を撫でるのを感じていた。白のモックネックの厚手のシャツにキャメルのジャケット、黒のスラックスに黒と白のスニーカーという自分の格好を、どうにも落ち着かない気持ちで見つめる。

 これで変じゃないだろうか?

 鏡の前で何度も確認したはずなのに、今さら不安が込み上げてくる。


 行き交う人々の誰もが俺には目もくれない。それはつまり、目を引くほどはおかしくないということだ――そう自分に言い聞かせつつも、心の片隅では「変だと思っているが、単に俺に興味がないだけかもしれない」と、嫌な考えが浮かんでくる。


 昨日の配信の後、クマサンは配信前ほど不機嫌ではなかった――少なくとも表面上は。ただ、言い知れぬ迫力があり、「明日ショッピングに付き合って」という言葉に、俺はただうなずくしかなかった。

 そして――気がつけば、こうして待ち合わせ場所で彼女を待っているというわけだ。


 まあ、買い物の荷物持ちで、クマサンのご機嫌が取れるのなら安いものだろう。

 実は、「これってもしかしてデートじゃないの?」などと思いもしたが、よく考えれば、相手はリアルでは美少女のクマサンだ。彼女が俺とデートをする理由がない。そもそも、デートしようと言われたわけではなく、買い物に付き合うように言われただけだ。こういうのを勘違いする奴が、きっとストーカーなんかになったりするのだろう。


「お待たせ」


 耳を撫でるような軽やかで優しい声。最初の一音目を聞いただけで、誰の声なのかすぐにわかった。

 確信して横を向けば、首元に黒のリボンタイをつけた白いブラウスに、黒のカーディガン、黒のフレアスカート、白のソックスに黒のローファー、そして肩に掛けた小さめの黒のバッグという、モノトーンコーデのクマサンが微笑みながら立っていた。その顔には、初めて見るが、丸い形の黒ぶち眼鏡がかかっている。


 ――クソ可愛い!


 オフ会で見た彼女の落ち着いた雰囲気の服装とはまた違っていて、今日の装いはまるで雑誌から飛び出してきたような可愛さだった。余計な色を排除したそのコーディネートは、彼女の素の魅力をより引き出しているように感じられる。


「比喩でも女の子に『クソ』なんて言うのはどうかと思うけど、まあ、服装を褒めてくれたことは、素直に喜んでおくよ」

「…………え?」


 まさか、俺の心を読んだのか!?――などと一瞬思ったが、どうやらそうではないらしい。心の中で叫んだつもりの「クソ可愛い」が、可愛さのあまり無意識に声に出ていたのだ。

 昨日の不機嫌そうだった彼女の様子が頭をよぎり、慌てて弁解の言葉を頭の中で模索する――が、どうやらクマサンは怒ってはいないようだった。なぜか、むしろ、少し嬉しそうにも見える。


「今日はクマサンじゃなくてパンダだね、とか言われるかと思ってたよ」


 確かに、白と黒の配色はどこかパンダを思わせる。そして、フレームの太い丸眼鏡も、動物の愛らしい目をデフォルメした印象を与えている。


「そんなことは言わないよ。パンダより――」


 パンダよりクマサンの方が可愛い――と言いかけた言葉を喉の奥で飲み込む。たぶん、パンダと比べられて喜ぶ女の子はいない。

 しかし、すでに言葉の半分は発してしまっており、ここで言葉を止めたままではあまりに不自然。そこを突っ込まれれば、考えていたことを言わなければならない。その前に、何か別の言葉を続けなければ――


「……クマサンが好きだから」

「――――!?」


 クマサンの顔が一瞬にして、目を大きく見開いた驚いた顔に変わった。

 「そんなこと言わないよ。パンダよりクマサンが好き」――返答として、少し違和感があったか? パンダよりクマのほうが好きだから、白と黒を見てもパンダみたいとは思いつきもしなかった――そういうつもりで言った言葉だが、彼女の驚きを見ると、うまく伝わらなかったのかもしれない。

 気になってクマサンの顔を改めて確認しようとしたが、彼女はすぐにうつむいてしまった。


「……パンダと比べて、ってことだよね」


 何かつぶやいたようだが、よく聞き取れなかった。

 また機嫌を損ねてしまったのだろうか? とにかく、今は話を変えた方が良い気がする。


「そういえば、クマサンの眼鏡姿って初めて見るけど、目が悪かったの?」


 咄嗟に思いついた話題を口にすると、彼女は慌てたように顔を上げた。その頬が微かに赤みを帯びているように見えたのは気のせいだろうか。


「あ、度は入ってないよ。ただの伊達眼鏡。変装……みたいな感じ?」


 クマサンはフレームを指でクイッと押し上げ、いたずらっぽく微笑んだ。

 そうだった。忘れたわけではないが、クマサン――熊野彩さんは、顔出しもしていた元声優だ。今は事務所を辞めているとはいえ、知っている人が見れば熊野彩だと気づいてもおかしくない。俺は彼女の恋人というわけではないが、街中で男と二人でいるところを見られたら、きっと彼女にとって良いことなんて何一つないだろう。

 その点、伊達眼鏡という変装は簡単かつ効果的だ。だが、どうしてこうなるのか、野暮ったいはずの黒ぶち丸眼鏡が、彼女の顔では可愛らしさを引き立てるアクセントに変わる。俺がかけたら、落第したまま老けたハリーポッターにしかならないだろうに――この差は何なんだ。


「眼鏡のクマサンも、ちょっと違う雰囲気でいいね」

「……ありがと」


 クマサンの顔がまた赤くなった気がした。


「それより、今日は付き合ってくれてありがとね。それじゃあ、行こっか」


 彼女は顔を隠すように軽く振り向き、軽やかに歩き出した。


「お供させてもらいます」


 俺は彼女の背中を追いかけた。




 彼女が向かった先は、駅前の女性向けファッションショップだった。外観からしてオシャレな雰囲気が漂っている。俺一人では決して足を踏み入れることのない場所だ。もちろん、今回が初入店だ。

 店内に一歩足を踏み入れると、カラフルで可愛いデザインの服が所狭しと並んでいた。


 ――女の子の服って、色々デザインがあって可愛いな!


 店内を見回すたびに、驚きと新鮮な感動が湧いてくる。男物の服はどれも似たような色合いと形で、正直言ってどれを選んでも大差ないように感じることが多い。「これを着たい!」なんて気持ちになったことはほとんどない。だから俺は、自分はファッションに興味のない人間なんだと長年思い込んでいた。

 だが、もし自分が女の子だったら――こういう服を選ぶ時間がたまらなく楽しかったんじゃないだろうか。そんな仮定が頭をよぎるほど、店内には可愛い服が溢れていた。

 もちろん、今の俺がこれらの服を着たいわけではない。いくら多様性が叫ばれていても、そんなことをすれば間違いなく変な奴認定されるだろう。だから、ここの商品を見ても、本来なら意味はないのだが――


 これとかクマサンが着たらメチャクチャ可愛くない?

 こっちのとかスカート短いけど、クマサンが履いてくれたらヤバイって!


 などと想像すると、これはこれでかなり楽しかったりする。


「ねえ、ちょっと試着してみるから感想を聞かせて」


 声に振り返ると、センスの良さそうなセットアップを手にしたクマサンが立っていた。

 さっきまでは想像の中でイメージするだけだが、試着してくれれば、この目で違う姿のクマサンを目にすることができる。


 ――これは楽しみすぎる!


 俺は心の中でガッツポーズを決めつつ、顔には余裕を装って答える。


「了解。ゆっくり着替えてくれていいから」

「ありがと~」


 彼女はセットアップを手にしたまま試着室へと消えていき、俺は一人店内へと残された。


 …………。


 ちょっと気まずい。

 クマサンが近くにいてくれたときは全然気にならなかったが、今や俺は女性用洋服店の店内に男一人きり。

 店員さんは俺がクマサンと入店しているのを見ているはずだから、大丈夫だろうが、ほかのお客さんから見たらどうだろうか? 試着室の近くでウロウロする俺は、まるで挙動不審の怪しい男に見えるんじゃないだろうか?

 俺はチラチラと試着室へと視線を送る。

 ――そうだ、あくまで「彼女の試着待ちの彼氏」感を出せば、怪しまれないはずだ。

 そう思ってそれらしく振舞おうとしてみるが、自分の未熟さを痛感する。なにせ、俺には彼女いない歴=年齢という立派な経歴がある。こんな状況を経験しているはずもなく、その立ち居振る舞いがわからなかった。


 ……さっきはゆっくりと言ったけど、できれば早めに出てきてくれ、クマサン。


 そんなことを願いながら、試着室に目を向けた瞬間、ある考えが脳裏をよぎる。


 ……ちょっと待て。もしかして、今のこの布の向こうには、下着姿のクマサンがいるってことか?


 俺の豊かな想像力は、自分の意思とは別に、勝手に働いてしまうようだ。考えてしまうと、頭の中にその光景が浮かんできてしまう。


 ――ダメだ、ダメ! それは想像したらダメなやつだ!


 こんな時に限って特にリアルなクマサンのいけない姿が脳裏に浮かんでしまい、それを理性の力でかき消そうと努力する。

 大切な友人に対して、そんな妄想を抱くなんて、許されることではない。

 俺は懸命に邪な心を外に押しやるが――これがなかなか手強い。

 どのくらい頭の中で戦いを繰り広げただろうか、カーテンが開く音でハッと我に返る。


 試着室の方に目を向けると――そこには、派手過ぎず控えめなフリルとリボンがあしらわれたピンクのブラウスと、白のティアードスカートを身に纏ったクマサンの姿があった。

 彼女の小柄で童顔な雰囲気に、そのガーリーな服が驚くほどぴったり似合っている。少し少女趣味だという意見もあるかもしれないが、事実としてたまらなく可愛いんだから、誰にも文句は言わせない。

 この姿を見られたのなら、気まずさに耐えていた時間なんて、いくらでもチャラになる。


「普段はこういうの着たりしないんだけど、どうかな?」


 そうなのだ。こんなにも似合うのに、クマサンがこういった服を着ているのを俺はあまり見たことがない。俺の部屋には自転車で来ているため、スカートではなく主にパンツスタイルで来ていることもその理由かもしれないが、こうやって可愛いクマサンを見られるのは非常にありがたい。


「とっても似合ってる! すごくいい!」


 俺は力強く答えた。

 女の子が自分で選んだ服を試着している時点で、似合ってないなどとは口が裂けても言うべきではない。もっとも、今のクマサンはそんな気を遣わなくても、素直な言葉を口にするだけでいいほど可愛いわけだが。


「ありがと。……ちなみに、今日着て来た服と比べたら、ショウはどっちのほうがいいと思う?」


 ……これは困った。二着用意されて、どっちがいいかと聞かれるのも難問だが、元の服装との比較も厄介すぎる。

 試着した服を選べば、元の服を否定することになるし、元の服を選べば、試着に選んだ服を否定することになる。さらには、「どちらもいい」という逃げの選択は、優柔不断と取られる可能性もある。


 ――どうする? 正解はどれだ?


 ゲームなら、セーブ&ロード機能で失敗してもリトライできるが、現実ではそうもいかない。吐いた言葉や、選んだ行動は取り消せないのだ。――こうなったら、俺の正直な気持ちをそのまま言うしかない。


「……どっちもクマサンに似合ってると思う。でも、今日着てきてくれた白と黒のモノトーンの服のほうが、クマサンの素の可愛さが素直に出てるから、俺はそっちのほうが好きかな」

「――――!? ……そっか」


 クマサンは小さく頷くと、驚きと照れが混ざったような表情を浮かべながら、カーテンを閉めて試着室の中へと戻っていった。

 果たして俺の答えは正解だったのか、それとも間違いだったのか……。



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