正解か不正解かはわからなかったが、少なくともクマサンの機嫌を損ねはしなかったようだ。その後も彼女はじっくり新しい服を探しては、試着した姿を見せてくれた。
一日に何度も違ったクマサンが見られる――それはとても刺激的で嬉しいものだった。……少なくとも、始めのうちは。
「……もう一時間くらいこの店にいるんだけど」
水色のワンピース姿で現れた彼女が再び試着室へ戻った後、俺はつい独り言のようにそうつぶやいてしまう。
彼女は元がいいものだから、俺にはどんな服も似合って見えた。
とはいえ、こんなに試着を繰り返して、一体いくつ買うつもりなんだろうか?
俺なんかは、破れたり着古した服を捨てて、その隙間を埋めるように新しい服を買う程度なのだが、きっと女の子はそうではないのだろう。
そもそも、荷物持ちとして俺を連れてきた時点で、大量に購入するつもりがあると考えるのが自然かもしれない。正直、腕力にはあまり自信はないが、女の子の服くらい何着でも持ってみせる。
――なんて意気込んでいたのだが、いざ蓋を開けてみると、彼女が購入したのは、最初に試着したピンクのブラウスと白のティアードスカートだけだった。
しかも、その荷物を持たせてくれと申し出たのに、「いいよ」と断られる始末。荷物持ちとして頼りなく思われたのなら、情けなすぎる。
「……あんなに試着したのに、ほかのは買わなくて良かったの?」
店を出て、彼女の隣を歩きながら、尋ねてみる。荷物持ちとしては役者不足だなんて言われたら、立ち直れないかもしれない。
でも、彼女はモノトーンの服の裾を摘まんで、少しはにかみながら答えた。
「だって、どれを着ても、今の服の方がいいってショウが言うし」
確かに、クマサンの言う通り、「どっちが似合ってる?」と言われるたびに、元の服の方がいいと言っていた。いくら正直な感想だったとはいえ、わざわざ新しい服を買いにきている女の子に対して、その対応は問題があったのではないと、今さらながら反省する。
「……だって、その服が似合ってて可愛いから」
「――――!?」
理由にならない理由を口にして、俺は思わず視線を逸らす。
彼女から小さく息を呑むような音が聞こえたが、情けなさで顔を向けられなかった。
でも、待てよ。最初に試着した服は買ったんだよな。あの時も俺は「今の服の方がいい」と言ったはずなのに。それなのに購入したということは、やっぱり彼女自身が気に入ったのだろうか? あれはあれで可愛かったもんなぁ。
「……お役に立てなくて申し訳ない。でも、最初に見せてくれた服だけでも買う気になってくれてよかったよ」
「あの服を着た時のショウの顔が印象的だったからね」
……何だ、それは? 確かに、ピンクで可愛い系のクマサンを見て、ドキリとしたことは否定しないが、それが購入理由になるのだろうか? あるいは、彼女なりのジョークだったりするのかな?
真意を測りかねた俺は、隣を歩くクマサンへちらりと視線を向けると、なぜか彼女は柔らかな笑みを浮かべていた。
その表情に思わず見とれてしまった俺に、彼女は立ち止まり、斜め前を指さす。
「ちょっと寄っていかない?」
その細い指先をたどると、目に入ったのはゲームセンターの派手な看板だった。
買った服について、もう少し聞いてみたい気持ちはあったが、ゲームセンターに誘われては黙っているわけにはいかない。
「いいね。やっぱり俺達といえばゲームだよな」
俺の言葉にクマサンは満足そうにうなずく。
そして、俺達は二人並んでゲームセンターへと向かった。
家庭用ゲーム機の進化とネット環境の整備に伴い、かつて街中に賑わいをもたらしたゲームセンターの存在意義は徐々に薄れていった。家庭で手軽にオンライン対戦が楽しめる時代、さらにVR技術の登場で、ゲームセンターは「過去の遺物」として見られがちになっていた。プライズゲームやコインゲームなど、利益率の高いジャンルに頼らざるを得ない状況が続き、かつてのゲームセンターの栄光は色あせていくかに思えた。
だが、時代は再びゲームセンターに目を向けさせた。ただ視覚的な没入感を提供するVRとは異なり、4D体験――五感すべてでリアリティを再現するアプローチが、新たな楽しみの場として脚光を浴び始めたのだ。大型筐体を備えた4Dゲームが普及し、ゲームセンターがあのインベーダーゲームや格闘ゲーム全盛期のような熱狂を取り戻す日も、そう遠くないかもしれないと一部では囁かれているほどだ。
俺達は迷いなく、プライズゲームコーナーではなく、純粋なゲームコーナーへとやって来た。心が躍るような大型筐体が並んでいる。
「とりあえず、何かで対戦しない?」
俺が言う前に、クマサンの方から挑戦状を叩きつけてきた。
「いいね」
望むところだ。俺は不敵な笑みを浮かべて受けて立つ。
とはいえ、負けたら終わりの対戦ゲームよりも、一定時間は確実に楽しめるゲームが今の主流だ。対戦ゲームとして選べるタイトルは限られているが、それでも代表的なカジュアル対戦ゲームとしては定番のものがあった。「マリオカート」だ。VRゲームとしても発売されているが、4D体験で楽しむマリオカートは、家庭用VRでは味わえない特別感がある。クマサンと一緒にレースをするなら、きっとその楽しさは何倍にも膨らむはず――そう思っていたのだが……。
「じゃあ、まずはアレで勝負しようよ」
クマサンが指さしたのは、俺が予想していた「マリオカート」ではなく、「
「……お、おう」
アナザーワールドのクマサンのように男らしいチョイスに、俺は驚きながらうなずく。まさか女の子の方から「頭文字D」の勝負をもちかけられるとは思っていなかった。
「頭文字D」は同名の有名な漫画をもとにしたレースゲームだ。とはいえ、ストーリーモードは原作をなぞっているものの、対戦モードを楽しむだけなら原作知識は不要。選べる車種はすべて実在のもので、コースも日本各地の実際の峠道や公道が再現されている。
俺とクマサンは、横並びになった二つの筐体の運転席にそれぞれ腰を下ろした。
シートベルトを締めて視線を上げると、正面から左右斜めまでを覆う3画面モニターが目に飛び込んでくる。かつては1画面だけだったこのゲームも、今では3画面構成に進化し、よりリアルな運転席からの視界を再現していた。さらに、これらのモニターは裸眼3Dディスプレイを採用しており、特別な眼鏡やヘッドセットを使わずに立体感を味わえる。VRのような完全没入型のリアルさではないが、エンターテイメントとしての3D映像には独自の魅力がある。
加えて、このゲームでは操作に連動してシートが振動し、カーブの横Gや加速時の背中への圧力感がリアルに伝わってくる。視覚と身体感覚が融合したこの体験は、まさにゲームセンターならではの贅沢だ。ドライブエンターテイメントとして、今やゲームセンターのレースゲームが最高だと言える。
「さて、どの車にするかな……」
画面には車種の選択画面が表示されている。
勝つだけなら、トヨタの86や、日産のGT-R、マツダのRX-7などの高性能な車を選べばいいのだが、それでは勝負がつまらない。このゲーム自体はそれほどやり込んではいないが、これまでレースゲームはいくつも経験してきた。クマサンの腕前は不明だが、ハンデとして、彼女より劣る車で勝負するくらいの余裕は見せたい。
――クマサンは何を選んだのかな?
首を伸ばして隣を覗き込むと、日産の初代フェアレディZが選ばれているのが見えた。「貴婦人」とも称される伝説的なスポーツカーだ。しかも、選んだカラーは定番の赤ではなく、爽やかな青。
このフェアレディZは、ある意味クマサンの雰囲気にぴったりだとは思うが――果たして、そこまで知っていて選んだのだろうか? この車が発売されたのは、俺達が生まれる前のことだ。
性能的にも、当時ならトップレベルの車だが、さすがに今の最新車種とは比較にならない。
どうしようか……。
同じ日産だからといってGT-Rでも選ぼうものなら、勝ったとしても自慢にならないし、そもそも勝負がおもしろくないだろう。
選択肢として出てくる車をスクロールさせながら悩んでいると、ある車が目に留まった。
――プリウス。
様々なスポーツカーが並ぶこのゲームの車の中で、明らかに異彩を放つ車だ。世界初の量産ハイブリッド自動車として登場し、環境性能や快適性で名を馳せたこの車は、確かに技術の結晶だ。しかし、それはあくまで日常のドライブやエコを意識したもので、決してレース用の車として作られたものではない。走行性能では、フェアレディZに劣るどころか、このゲーム内でも最低クラスに位置するだろう。
「これで勝てたら、クマサンも文句は言えないよな」
俺はプリウスを選び、カラーはクマサンのフェアレディZに合わせて青色を選択した。青いフェアレディZ対青いプリウスの勝負だ。
続くコース選択で、俺が選んだのは「いろは坂」の
――選ばれたのは「いろは坂」だった。
画面が切り替わり、3画面を使って再現されたリアルないろは坂の景色が目の前に広がる。モニターを見つめると、シートとハンドルの感触と相まって、実際に運転席に座っているような錯覚さえ覚えるほどだ。紅葉に染まった木々が連なり、まるで本物の山道を走るような感覚が迫ってくる。
「紅葉が綺麗だね」
隣の筐体から、クマサンの嬉しそうな声が聞こえてきた。この状況で景色を楽しむ余裕があるなんて、自信の表れか、それとも俺への挑発か?
「そうだね。でも、景色にも見とれている暇はないと思うよ」
俺は視線をモニターに固定したまま、応じた。手のひらに伝わるハンドルの感触を確かめ、軽く深呼吸する。そして右足をアクセルペダルへ、左足をブレーキペダルに添えた。実際の車ならアクセルもブレーキも右足で行うのが基本だが、ゲームにおいては別だ。瞬間的な操作や、ドリフトのようなブレーキを踏みながらのアクセルワークを考えれば、両足を使うのが理にかなっている。
画面にスタートのカウントダウンが表示された。
緊張がピークに達する中、スタートの瞬間が迫っていた。
スタート位置は、俺のプリウスが右側で、クマサンのフェアレディZが左側。
3……2……1――!
カウントダウンが消えた瞬間、俺は思い切りアクセルを踏み込んだ。