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第122話 俺vsクマサン

 スタート時の急加速に合わせて、シートベルトが身体に食い込み、背中のシートクッションがグッと膨らむ。目の前の映像と合わさって、発進時の後ろへのGをリアルに再現していた。

 だが、その感触を楽しんでいる余裕は俺にはない。スタートでどちらが前に出るか、それが俺にとって今一番重要なことだった。

 二台の青い車が、息を呑むほどの近距離で併走する。

 スタートの反応は、どうやら俺の方が勝っていたようだ。

 じわじわと俺のプリウスが前へと出ていく。

 とはいえ、あちらはスポーツカー、エンジン性能は明らかに上だ。今の有利な状況が覆る前に仕掛ける。車半分前に出たところで、車体後部をクマサンの車のフロントにぶつけて、無理矢理前に出た。

 接触の瞬間、シートが激しく震えるが、その振動はまるで「よくやった」と俺を称えているかのようだった。


「ちょっとショウ! 強引すぎじゃない!?」


 クマサンから抗議の声が上がるが、勝負に情けは無用だ。

 このゲームでは、ほかの車と接触したり、ガードレールにぶつかったりすると、接触によって速度が落ちるだけでなく、加速にもペナルティがつく。タイムアタックを狙うなら、いかに接触せずにうまく走るかが重要だが、タイムは関係のない一対一のバトルなら、接触でいくらタイムをロスしようが、前に出た方が勝ちだ。


「クマサンは強引なのは嫌いかな?」

「何言ってるのよ。すぐに抜き返すから!」


 一旦後ろに下がったクマサンが、すぐに距離を詰めてくる。

 だが、残念だったな、クマサン。その動きはバックミラーでしっかり捉えているぞ!

 このコースの序盤はほぼまっすぐ。そのためコースの確認などほぼ必要ない。俺は神経をすべて後ろのクマサンに集中させ、彼女の動きを見極める。

 クマサンが左右に車を振り、抜こうと試みるたび、俺も即座に反応する。ハンドルを切り、車体を寄せて進路を塞ぎ、ぶつけてでも妨害する。


 ――ズドン


 またしても衝撃。シートが激しく揺れ、背中に圧力が加わる。実際の車ならただの事故だが、ゲームの中ではこの振動は「防衛成功」の証だ。誇らしさすら覚える。


「ショウ! 邪魔っ!」


 非難混じりのクマサンの声が響くが、俺にとってはむしろ心地よい。

 俺の選んだプリウスは、快適性を重視して設計されているだけあって、横幅が広い。そして車高もスポーツカーに比べて高めだ。その結果、狭い峠道ではその巨体が壁となり、後ろの車の視界を遮り、進路を完全にブロックできる絶妙な障害物と化す。これを利用しない手はなかった。


「悪いけど、前には行かせないよ」

「絶対抜いてやるんだから!」


 クマサンの声には強い意気込みがこもっているが、そんな気迫さえ俺には愛嬌にしか聞こえない。だからといって手加減するつもりは毛頭ない。相手が女の子だろうと、本気で勝負するのがゲーマーの流儀だ。

 俺は追い上げてくるクマサンをことごとく跳ね返し、ぶつけては後方へ押し返す。


「この車、本気で邪魔だよ!」


 クマサンの苛立ち混じりの声をBGMに、俺は淡々とハンドルを操り続ける。

 前方にはいよいよ連続ヘアピンカーブが迫っていた。

 ここからは腕の見せ所だ。峠の醍醐味とも言えるこの180度カーブをいかに素早く、そして正確に攻略するか――それが勝敗を決する。


「ちょっとショウ! 邪魔すぎるんだけど!」


 カーブのたびにクマサンの車が俺にぶつかってくるが、インは決して譲らない。

 プリウスの車幅をフルに使い、コーナリングラインをがっちり抑える。この道幅と急カーブでは、アウトからの追い越しなど不可能だ。案の定、インに入るのを諦めたクマサンが、無理に外から抜こうとしてくるが、俺はタイミングを見計らい、車体をわずかに振って進路を塞ぐ。結果、クマサンの車はガードレールとの間に挟まれ、抜くことができない。


「何度も俺のお尻にぶつかってくるなんて、クマサンってエッチな子だったんだね」


 つい口をついて出た言葉は、からかい半分の悪ノリだった。だが、そう言いながらも笑みを隠せない。


「意地悪な上にセクハラだよ!」


 クマサンの抗議の声は、頬を赤らめているように感じられて妙に可愛らしい。そんな想像に、ますます気分が高揚し、俺はふと自問する。


 ――俺って、もしかしてS気質だったのか?


 そんな思考が頭をよぎると、さらに意地悪を続けたくなる。ゴールまでこのまま邪魔し続けたら、クマサンはどんな顔をするだろうか――そんな想像をするだけで、なんだかワクワクしてくる。


「クマサン、勝った方が正義なんだよ」


 悪役みたいなセリフだが、言ってみると意外に楽しい。こういう挑発も勝負の醍醐味だ。

 連続するヘアピンカーブを抜けた先には短いストレートがあり、その後はまた短い連続カーブが待っている。その区間を超えれば、峠道は終わり、あとは緩やかなカーブと長い直線だ。その直線では抜くポイントがない。つまり、峠のカーブさえしのぎきれば、俺の勝ちはほぼ確定するというわけだ。

 そう思って余裕を感じ始めた瞬間だった。

 信じられない光景が目の前で繰り広げられた。

 後ろにいるはずのクマサンのフェアレディZが――空から降ってきたのだ。


「ちょっ!? 何それ!?」

「よくわかんないけどジャンプしたよ!」


 嘘だろ!?

 何度か瞬きするが、目の前の現実は変わらない。クマサンの車は、間違いなく俺の前を走っていた。

 どうやら彼女は、ヘアピンカーブを大胆にもショートカットし、俺の前に飛び込んできたらしい。

 確かに、このいろは坂では何箇所かショートカットできるカーブのポイントがあること自体は俺も知っている。だけど、クマサンがそれを使ってくるとはさすがに想定していなかった。これは偶然の産物か、それとも彼女が狙ってやったのか……。


 ――いや、今はそれを考えている場合じゃない! 重要なのは、立場が入れ替わったこの状況で、どうやって再び前に出るかだ!


 連続カーブの最後で追い抜かれ、コースは一旦ストレートに変わっていく。

 ここでは非力なプリウスに追い抜く力はない。だからこそ勝負の鍵は――次の連続ヘアピンカーブだ。この短い5つのカーブを抜ければ、あとは抜きどころのない平坦な直線。つまり、次の5つのカーブで何としても前に出なければ、俺に勝利は訪れない。


 フェアレディZが先行し、俺のプリウスがその後を追う。互いに譲る気のないまま、二台のマシンは、ほとんど一体化するかのように、次の連続カーブへと突入していった。

 最初のカーブ、俺はインを狙った。しかし――


「くっ……塞がれた!」


 クマサンの見事なブロックに阻まれ、車体を滑り込ませる余地すら与えられない。二台が接触し、激しくシートが揺れる。


「簡単には抜かせてくれないか!」


 吐き捨てるが、次のカーブがすぐに迫る。先ほどの接触で体勢が整わず、ここでは攻められない。俺の狙いは――三つ目のカーブだ。


「次こそ!」


 再び激しくインを攻める。ハンドルを握る手に力がこもり、タイヤが悲鳴を上げる。

 しかし――


 ガツンっ!


 フェアレディZの車体とガードレールに挟まれ、弾き飛ばされたのは俺の方だった。


「クマサン、邪魔!」

「勝った方が正義なんでしょ♪」


 自分で言うのはいいが、人から言われるとなかなかに腹立たしいものだ。

 それにしても、このプリウスは横幅が広い分、妨害には有利だが、抜こうとする時には逆に足枷になる。

 4つ目のカーブ、アウトから攻めようとするが、フェアレディZとガードレールの間には隙間がない。まるで、鉄壁の要塞だ。


 ――残されたチャンスは、最後の五つ目のカーブしかない。


 俺は車体をわずかに滑らせ、限界ギリギリの速度でカーブへと突っ込む。


 ――このまま弾き飛ばしてでもインを取ってやる!


 しかし、俺はそこにアナザーワールドでのタンクのクマサンを見た。鉄壁のように立ちはだかるクマサンのフェアレディZは、俺を後ろへと弾き飛ばし、前をキープし続けた。


 ――クマサンのフェアレディZが大きく見える……。


 レースはまだ終わっていない。

 だが、残りのコースで俺が抜けるポイントはなかった。

 彼女のお尻を追いかけたまま、クマサン、俺の順番でゴールラインを通過する。


 ――負けてしまった。


 ハンドルを握ったまま、しばらく席から立てず項垂れる。

 ショートカットの可能性を頭に入れていなかったのが敗因か、それともプリウスで挑んだこと自体が間違いだったのか。悔しさが胸に渦巻く。

 俺はシートベルトを外し、重い身体を引きずるようにシートを降りる。すると、先にシートから降りていたクマサンが、得意げな顔ですでに待ち構えていた。


「途中、随分邪魔をしてくれたみたいだけど、最終的には私の勝ちだね」


 勝ち誇った顔を浮かべながら、クマサンは指でツンツンと俺の肩を突いてきた。それは、レース中後ろから何度もぶつけてきたクマサンを思い起こさせる。

 もし俺が勝っていたら、こんな行動もきっと可愛いと思えたのだろう。しかし、負けた今となっては、それが余計に小憎らしい。


「ほれほれ、勝者に対して何か言うことはないのかね?」


 クマサンは飽きもせず、指で突きながら楽しげに言う。……意外と彼女もS気質なのかもしれない。

 敗者としては、ここは素直に賞賛の言葉を贈るべきだろう。しかし、こんな挑発を受けながら「おめでとう」と言うだけでは、こちらの気が済まない。ならば――


「おめでとう、クマサン!」


 言葉と同時に、俺はクマサンのわき腹に指を思い切り突き立てた。


「ふにゃん!?」


 クマサンは何やら可愛い声を上げて身体を思い切りくねらせた。

 その声と仕草があまりにも可愛らしく、思わず笑いをこらえきれない。

 体勢を立て直したクマサンが、頬をぷくっと膨らませながら、上目遣いでこちらを睨んでくる。


 ……もしかしたらわき腹は彼女の弱点なのかもしれない。


「……ショウ」


 鋭い視線を向けられ、俺は笑いかけていた顔を真顔に戻す。

 ……ちょっとやりすぎたかもしれない。


「よくもやったな!」


 叫びと同時に、クマサンはジャンプして全身で俺に体当たりを仕掛けてきた。

 思わず一瞬身構えたものの、その攻撃は思ったほど強くはなく、俺は足を一歩も動かさずに受け止める。


 ――タンクのクマサンはあんなにもずっしりとしているのに、リアルのクマサンはこんなにも華奢な女の子なんだな。


 彼女の髪から甘いシャンプーの香りを感じながら、俺は改めてそんなことを実感してしまった。


「ごめん、クマサン。改めて、リベンジの機会をお願いします」


 わき腹攻撃への謝罪として頭を下げると、さっきのボディアタックでとりあえず満足してくれたのか、クマサンはいつもの調子を取り戻し、にっこりと笑みを浮かべた。


「そこまで言われたらしょうがないね。受けて立ってあげようじゃないの」


 勝者の余裕だろうか、彼女はとても楽しそうに見えた。

 こうして、俺達はそのままゲームセンターで、夢中になって遊び続けた。競い合ったり協力したり、時にはふざけ合ったり――気がつけば何時間も経っていた。


 気がつけば日も暮れていたため、クマサンを家まで送り届け、俺は夜道を一人、自分の部屋へと向かう。

 夜風が心地よく頬を撫でる中、俺はふと今日一日の出来事を思い返していた。


「今日は楽しかったなぁ。クマサンと二人で遊びに出かけたのって初めてだよな……」


 ぽつりとつぶやき、少し考え込む。


「あれ? そういえば、そもそもの今日の目的って二人で遊ぶことだっけ?」


 そもそも別の目的で誘われたような気もするけど……まぁ、そんなことはどうでもいいか。

 とにかく楽しかった――それで俺には十分だった。



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