――ねーさん、どうするんだよ!? このままねーさんが潰されたら負け確定だぞ!?
心がざわめくが、悲しいかなアタッカーにできることはない。普通のRPGなら何が起こっても対処するのは自分だが、MMORPGには役割がある。誰かを信じて任せる――それは自分で行動するよりも、ずっと勇気のいることだ。
【クマサンはキング・ダモクレスに挑発を使った】
システムメッセージが表示される。クマサンもこの危機的状況を十分理解しているようで、間髪を容れずに挑発スキルを使ってくれた。だが、キング・ダモクレスの巨体は微動だにせず、依然としてねーさんに向けられたままだ。
あれだけの時間、ねーさんが積み上げてきたヘイトを、そう簡単に上回れるはずがない。
なのに――
「クマサン、タンクスイッチ行くよ!」
焦りのない快活なねーさんの声が響く。
――無茶だ、ねーさん! クマサンとねーさんのヘイト差をわかってないのか!?
ふと、HNMギルドのタンクなら、こんな状況でも敵ターゲットを取り得るほどの化け物ぞろいなのかと考えるが、すぐに自ら否定する。チートも使わずにそんなことをするなんて、どう考えても無理だ。
いくらねーさんでも、もしターゲットを取れないことをクマサンのせいにするようなら、俺は全力でクマサンを守るからな!
俺が心の中でそう決意した時だった――
【フィジェットはリミットスキル
見慣れないシステムメッセージが表示された。その瞬間、驚くべきことが起こる。キング・ダモクレスの向きがぐらりと変わり、クマサンを捉えた。
「休息に入る。しばらく頼んだよ!」
ねーさんはそう言うと、戦列から離れ、しゃがみ込む。
「お、おう」
応じるクマサンの声には戸惑いが滲んでいた。それは俺も同じだ。
ねーさんの稼いだヘイトは相当なはずだった。たった一つのスキルでクマサンにターゲットが移るなんて、どう考えても普通じゃない。それでも、クマサンは動揺を押し殺し、引き継いだタンクの役割をしっかりと果たしている。このあたりはさすがと感心せざるを得ない。
「今の技は一体……」
リミットスキル自体は、俺もよく知っている。職業ごとに何種類か用意された特別なスキルだ。だが、使いどころは慎重に見極めなければならない。なぜなら、一度使えば24時間経過するまで他のリミットスキルも使えなくなるのだから。インフェルノ戦では、ミコトさんのリミットスキル「巫女の祝福」で俺達は救われた。
ねーさんが使った「
「
俺の戸惑いに気づいたのか、隣に立つシアがこそっと教えてくれた。
「……タンクのスキルなのに、ヘイトをゼロにする?」
思わず眉をひそめる。タンクの役目は敵の注意を引き付けることだ。それなのにヘイトを消すなんて、矛盾しているじゃないか。
「まぁ、こんなリミットスキルを使うのは、うちのリーダーくらいかもしれないですけどね」
シアは小さく笑った。彼女も俺と思いは同じなのだろう。
リミットスキルは、メイン職業のレベルを上げれば使えるものが増えていく。中には、微妙な効果のものもあって当然だとは思うが、瞬時にパーティ全員の体力を全回復するミコトさんの「巫女の祝福」に比べれば、随分と見劣りするように思う。
「……デメリットは?」
強力なリミットスキルには、代償がつきものだ。たとえば、「巫女の祝福」なら、大きすぎるヘイト上昇というデメリットがあり、使えばほぼ確実に敵のターゲットとなってしまう。問題は、「
だが――
「ないですね」
「……え?」
「ヘイトがゼロになること自体、タンクにとってはデメリットみたいなものですからね」
シアの言葉に思わず納得してしまう。確かに、ヘイトを捨てるということは、タンクとしての役割を放棄するに等しい。それ自体がリスクだと言える。
「……なるほど」
強力なリミットスキルには高い代償が伴う――逆に言えば、それほどではないリミットスキルには代償がないということだ。
24時間に一度しか使えない切り札をどこで切るかは戦術次第だ。リスクを冒してでも大技を狙うのも戦術なら、ノーリスクで便利に使うのもまた一つの選択肢ということか。
ゲームとは奥が深いなぁ。
「……俺も休息してSPを回復します」
「はい、了解です」
シア達に声をかけ、俺は少し下がって休息のためにしゃがみ込んだ。
今はタンクスイッチでクマサンに盾役が変わったばかりだ。強いスキルを連発してダメージを稼ぐのは、ターゲットを取ってしまう危険がある。俺のSPも減っていたので、休息にはいいタイミングだった。
クマサンは、ここまで適宜休息して十分なSPを維持しながら、挑発系スキルでヘイトを稼いできていた。今も敵のターゲットがブレる様子はない。
やっぱり頼もしい!
俺がSPを回復する頃には、俺がスキルを連発してもターゲットが剥がれないほど強固なものになっているだろう。
だが、同時に心配なこともある。
サブタンク役のクマサンを始め、俺達アタッカー陣やヒーラー陣も、ここまでの戦いで相当なヘイトを積み上げている。
それに対し、ねーさんはタンクスイッチのためとはいえ、これまで蓄積してきたヘイトを自らゼロにしてしまったのだ。そんな状態で、再びタンク役をこなせるのかという疑問が湧いてくる。
「このまま最後までクマサンがタンクを務められればいいんだが……」
みんなの戦いを見つめながら、ついつぶやいてしまう。
クマサンが盾役を続け、今の陣形を維持したまま勝利できれば何の問題もない。ねーさんはサブヒーラーとして支援に徹すればそれで済む話だ。
しかし、クマサンのSPが尽きた時、あるいは再び「睨みつけ」が来た時、どうする? ねーさんがクマサンからターゲットを引き剥がせなかったら、俺達は一気に窮地に陥ることになってしまう。
一抹の不安を抱えながら、俺はSPを回復し、再び戦いへと身を投じた。
「スキル、みじん切り!」
【ショウの攻撃 キング・ダモクレスにダメージ410】
復帰の際の挨拶代わりの一撃が、最大ダメージを更新した。今日の俺は絶好調だ。
見れば、ねーさんも同じように休息を終え、戦線に復帰している。
【フィジェットはキング・ダモクレスに挑発を使った】
【フィジェットはヒール・大を使った クマサンの体力が240回復】
戦いに戻るや否や、彼女は豊富なSPを活かし、的確にヘイトを稼ぎながら味方を回復していく。
頑張っている――とは思うが、中盤を過ぎたここからまた一からヘイト溜めだ。果たして、クマサンのSPが尽きる前、そして次の「睨みつけ」が来るまでにクマサンと同等までヘイトを蓄積し直すことができるかどうか……。
――俺は包丁を振りながら、ただ応援することしかできない。
そして、キング・ダモクレスの体力が1/4ほどになった頃、恐れていたものがやってきた。
【キング・ダモクレスはクマサンを睨みつけた】
【クマサンは恐怖し防御力が下がった】
――ここが正念場だ!
一気にクマサンのダメージが増える。
今回のユニオンはヒーラーの数が少ない。それでも、彼女達は順次休息を取りながらSPをそれなりに維持してくれている。
だけど、問題は回復量の多いスキルほど、リキャスト時間が長いということだ。もし短い時間で集中的にダメージを受け続ければ、たとえSPが残っていたとしても、使用可能な回復スキルが尽きてしまい、クマサンを支えきれなくなる。
今回、俺のサブ職業は武闘家。回復支援はできない。
もどかしくてたまらないが、俺にできることがあるとすれば、少しでも早くこの怪物を倒すことだけ。
俺は包丁を握る手に今一度力を込め、料理スキルを繰り出し続ける。
だが、そんな俺をあざ笑うかのように、宿敵キング・ダモクレスは、巨大な爪を振り上げ、クマサンへと振り下ろす。
【キング・ダモクレスの攻撃 クマサンにダメージ230】
ここからのキング・ダモクレスの攻撃は、通常攻撃でも優に200を超えてくる。しかも、恐怖状態ではクリティカルの発生率までも跳ね上がる。もし連続でクリティカルを叩き込まれれば、いくらクマサンでも一瞬で沈みかねない。
今のダメージは、ヒーラー達がすぐに回復してくれたが、一度使ったスキルには再使用までの時間が必要だ。このままさらなる猛攻を食らえば――
【キング・ダモクレスの攻撃 クリティカルヒット クマサンにダメージ480】
――来たか! 恐れていたクリティカルヒットだ。
このまま連続でクリティカルを受ければ、持ちこたえるのは難しくなる。この状況では、もうクリティカルが来ないことを祈るしかないのか……。
【フィジェットはヒール・大を使った クマサンの体力が240回復】
ねーさんもヒールを使って回復とヘイト稼ぎを同時にしてくれるが、どこまで効果があるのか……
【フィジェットはキング・ダモクレスに挑発を使った】
彼女が懸命に、自分にターゲットを向けようとしているのは十分に伝わってくる。
でも、一度ヘイトをゼロにしてしまってはそう簡単に――
【キング・ダモクレスの攻撃 フィジェットにダメージ135】
――なんとっ!?
見れば、キング・ダモクレスは90度向きを変え、再びねーさんを正面に捉えていた。
……どうやら、俺はこの人を随分と過小評価していたようだ。
一旦ヘイトをゼロにしても、再びターゲットを取り返す自信があったからこそ、あそこで
これが、HNMギルドのタンクの力か……。
「やってくれるぜ!」
口元に思わず笑みが浮かぶ。希望の光がしっかりと見えた――この戦い、勝てる!