クマサンからキング・ダモクレスのターゲットを取ったねーさんは、クマサンの恐怖状態が解けるまでの間は、自己回復を交えて敵ヘイトを積み重ねていった。だが、クマサンの状態異常が回復した後は、自己回復を控え、通常のヘイト稼ぎに切り替えた。
――さすがねーさん、ちゃんとわかっているんだな。
敵のヘイトを溜めて、決してターゲットが剥がれないように出来るタンクは優秀だ。でも、バカの一つ覚えのようにそれしかできないタンクは、優秀でも二流どまり。本当に優れた一流のタンクは、必要な時にほかのタンクにターゲットを移せるよう、敵ヘイトの適切な管理もできる。
戦闘開始直後、敵ターゲットの強固定っぷりを見て、「それしかできない二流タンクじゃないか」と少し心配もしたが、これで確信した。間違いなく彼女は一流のタンクだ。
今のねーさんは、またどちらかが「睨みつけ」を受けた時のため、タンク二人のヘイトがバランス良くなるよう調整しながら戦っているのがわかる。
――そうか。最初からすべて計算づくだったのか。
キング・ダモクレスの一撃は重い。だが、それでもタンクなら耐えきれるレベルのものだ。そして、何より怖い「ダモクレスの剣」は、ターゲットが離れていないと発動しない。つまり、タンクが近距離でターゲットを維持し続ければ、こちらを脅かす脅威にはならないのだ。
終盤にかけて、一気に攻撃の激烈さを上げてきたインフェルノと比べれば、キング・ダモクレスの攻略難易度は明らかに劣る。すでに勝利への道筋は見えていた。
気づけば、キング・ダモクレスの体力ゲージはもう尽きかけていた。
――いける!
勝利の予感が胸を熱くする。かつての敗北の記憶を、勝利という甘美な喜びで上書きする瞬間は、もう間近に迫っていた。
だが、こうなると、俺にもアタッカーとしての欲が出てくる。
――俺の料理スキルで、一気にトドメを刺したい!
ここからスキル使用を調整すれば、ダメージの大きいスキルを複数温存することができる。タイミングを見て、そのスキルを連発すれば、一気に大ダメージを重ねて俺がトドメを刺すという、劇的な瞬間を、この手で演出できるというわけだ。
もっとも、このゲームでは誰がトドメを刺したかで、何かが変わるわけではない。経験値も同じだし、アイテムロットが有利になるわけでもなく、何か称号がつくわけでもない。ただの自己満足にしかならない。――けど、その自己満足こそが、ゲームの醍醐味じゃないか!
――俺の手で、キング・ダモクレスへのリベンジを果たす!
HNMギルドのアタッカー達を差し置いて、自分の手で華々しい最後の一撃を決める――その誘惑に俺が飲み込まれそうになった、まさにその時だった。
「みんな、油断しちゃだめだよ。当たり前のことを、当たり前にするだけでいい。それが何より強いんだ」
ねーさんの静かだが凛とした声がユニオンチャットで響いた。
まるで心を見透かされているかのようだった。
瞬間、頭に浮かんだ光景がある。
俺がトドメを狙ってスキルを連発する。しかし、倒し切れないどころか、俺に敵のターゲットが向いてしまい、運悪くクリティカルヒットを食らう。キング・ダモクレスの攻撃には範囲属性がついているので、その攻撃には俺の周囲のアタッカー達も巻き込まれ、みんな大ダメージ。そして、慌てたヒーラーが大規模な回復スキルを使い、次はヒーラーがターゲットにされる。そして、ダモクレスの剣が発動し、そこから一気に戦線崩壊――十分あり得る未来だ。
ただ俺が優越感に浸りたい、そんな欲望の対価としては全然釣り合わない。
「ふぅ……」
大きく息を吐いて、俺はターゲットを取らないよう無難なスキルを放った。
このユニオンの中で、ここまでで一番ダメージを与えているのは、間違いなく俺だ。
タンクの二人が受ける一撃一撃の被ダメージは大きく、その分、稼いだヘイトは減少している。
冷静に考えれば、今、一番危険な爆弾を抱えているのは俺じゃないか。
さっきまで自分がしようとしていたことの、愚かさを改めて感じ、恥ずかしくなった。
――俺は主役じゃなくていい。チームが勝つこと、それが何より大事だ。
俺は今一度頭の中で、自分とタンクとの推定ヘイト量を計算しながら、適切なスキルを繰り出していく。
そして――
【シアの攻撃 キング・ダモクレスにダメージ179】
【キング・ダモクレスを倒した】
戦いの終わりを告げるシステムメッセージと共に、キング・ダモクレスの巨体が崩れ落ちていった。
「……勝ったんだよな?」
なんというあっさりさだろうか。死闘の末に勝利したインフェルノ戦とは、あまりにも違いすぎる。振り返って考えれば、俺が勝手に焦ったりしていたことはあったが、実際には危ない場面なんて一度もなかった。
それだけに、なんというか、イマイチ実感が湧いてこない。
「ええ、勝ちましたよ!」
俺のつぶやきを拾ったのは隣のシアだった。金色の髪を嬉しそうに揺らしながら、はちきれそうな笑顔をこちらに向けてくる。自分の手でトドメを刺しての勝利だ、さぞかし格別の達成感があるのだろう。
「最後のおいしいところを持って行かれたよ。今日の主役はシアさんだったね」
賞賛といくばくかの羨ましさを込めて言うと、シアは少し首をかしげ、不思議そうな顔をした。そして、そのまま真っすぐな緑の瞳で俺を見据えながら、言葉を紡いだ。
「――――? 何を言っているんですか? 一人一人がこの世界の主役じゃないですか」
「――――!?」
シアの言葉にハッとする。
俺は何を勘違いしていたんだろうか?
キング・ダモクレスのトドメを刺したから主役? そんなことはない。このアナザーワールドの世界に降り立った時点で、俺はもうこの世界の主役だったんじゃないか。そんなのMMORPGでは当然のことだ。店の厨房で一人きりで鍋を振っていたって十分に主役だというのに、今の俺は仲間と共に、かつて一度倒されたキング・ダモクレスをここに討ち果たしたんだ。これ以上の主役っぷりがほかにあるか?
「そうだね! 俺も、シアさんも、そしてここにいるみんながそれぞれ主役だ!」
「はい!」
俺とシアは頷き合い、気持ちのいい音を立ててハイタッチを交わした。