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第139話 人狼の館開始

 人狼の館に到着すると、真っ先にねーさんがクエストを受け、俺達八人は静かに館の中へと足を踏み入れた。古びた木造の扉を開けた瞬間、VRだと思えないようなひんやりとした空気が肌を撫で、足もとの床板がわずかに軋む音を立てた。

 次の瞬間、目の前に半透明のウィンドウが浮かび上がり、淡い光を放ちながら文字が流れていく。


【ここは人狼の館】

【世にはびこる人狼から村人を守るため、クリスタルの魔力によって守られた最後の安息の地】


 「最後の安息の地」なんて言いながら、「人狼の館」なんて不吉な名前を冠しているのはどうかと思うが、ツッコミを入れても仕方がない。静かにメッセージを先へ進める。


【人狼に追われたあなたは、途中で同じように逃げる人達と合流し、命からがらこの人狼の館に逃げ込んだ。しかし、館に備えられた探知能力により、逃げ込んだあなた達の中に、人間に化けた二匹の人狼が潜んでいることが判明した】


 俺の予想通り、今回の人狼は二人だった。プレイヤー人数に応じて適正な数が自動で決まるらしい。カスタマイズも可能だが、初心者もいるし、おそらくねーさんは自動設定を選んでいると思う。


【村人の中に紛れ込んだ人狼を見つけ出し、追放しなければ、村人は人狼の餌食となるだろう。最後に生き残るのは、村人か、それとも人狼か――】


 探知能力があるなら、人狼の正体まで暴いてくれと言いたいところだが、それではゲームにならない。文句を飲み込みながら、淡々とメッセージを進める。

 この後は、このゲームのルールについて、説明が流れていくが、ここへ来るまでにクマサンに説明したような内容が大半だ。俺は軽く目を通しながら、どんどんメッセージを送っていく。

 説明をすべて読み終えると、村人か人狼か、今回の自分の役割が表示された。

 これは自分の役割しか表示されないので、ほかの七人が村人なのか、人狼なのか、この時点では知る由もない。


「この館の中に、二人の人狼がいるってわけか……」


 ついさっきまで、俺達は共に館に足を踏み入れた仲間だった。だが、今、この瞬間からは裏切り者が紛れ込んでいる。疑心暗鬼に陥るには十分すぎる状況だ。寒くもないのに、背筋がぞわりと粟立った。


【それでは「人狼の館」の開幕です】


 始まりを告げるメッセージと同時に、視界がぐにゃりと歪む。次の瞬間、俺の身体は別の場所へと転送されていた。

 木造の壁に囲まれた薄暗い部屋。部屋には綺麗に整えられたベッドが八つ並んでいる。

 ゲーム開始時や追放のための会議終了後には、プレイヤーはこうして強制的に別々の場所へとわけられる仕組みらしい。

 なにしろ、全員が固まって行動し、順番にタスクを片付けていけば人狼側に勝ち目がない。そうならないように、村人達を散らしてくるのだ。「人狼の館」なんて名前がついていることもそうだが、どっちの味方なのかわからない館だよ、ここは。


「まずは、自分のいる場所を確認しないとな」


 メニューを開き、マップを選択すると、目の前にホログラフィのような館の地図が浮かび上がった。

 「人狼の館」の間取りはシンプルだ。漢字の「口」のような形をした廊下が館を一周し、その外周部に四つの部屋が配置されている。北、東、南、西—――それぞれの方角に一室ずつ。そして、館の中央部にも、もう一つの部屋があり、一階には合計五つの部屋が並ぶ構造になっていた。

 東西南北の部屋には、それぞれ廊下側に一つだけ扉があり、出入りはそこからしかできない。中央の部屋だけは、東と西に扉があり、この部屋を通って、廊下の西から東、あるいは東から西への移動も可能だ。

 さらに、廊下の北東と南西の角には、二階へと続く階段が設けられている。上階の造りは一階と同じで、五つの部屋と、それらを結ぶ「口」の字型の廊下が広がっていた。

 プレイヤーの人数が増えれば、さらに三階、四階と増えていくらしいが、今回は八人なので二階までの簡単な構造のようだ。

 そして、一階と二階が表示されたマップの中、一階の北の部屋に、小さく光るマーカーが灯っている。


「俺がいるのは一階の北の部屋か」


 その光こそ、俺の現在位置を示していた。

 ちなみに、村人はこのマップで自分の現在地を確認することしかできないが、人狼はこのマップを通じて妨害行動を仕掛けることもできる。たとえば、館全体を暗闇で覆うのに、わざわざ調光室へ行く必要はなく、このマップから遠隔で妨害スキルを使えるのだ。そのため、調光室に張り込んで、人狼が妨害する瞬間を突き止めるなんて戦略は取れない。


「さて、どうしたものか……。ここにもタスクはあるけど、クマサンと合流する約束をしていたしなぁ」


 村人全員がすべてのタスクを終わらせれば人狼を追放できるが、それには相応の時間がかかる。それに、この部屋は出入り口が一つしかなく、長居するには危険な場所だった。もし人狼が中に入り、扉を塞がれでもしたら逃げ場がなくなる。それに比べて廊下なら、ぐるぐると逃げ回ることもできるし、人目にもつきやすい。

 俺はこの部屋では何もせず、慎重に扉を開け、廊下へと足を踏み出した。


「さて、誰かと出会えるかな」


 静かな廊下に出た俺は左右を見渡す。

 「人狼の館」プレイ中は、パーティチャットもギルドチャットも使用不可で、文字チャットさえ使えない。死んだプレイヤーが犯人を仲間に伝えられないようにするための当然の仕様だ。さらに、この館では声の届く範囲が制限されている。会話が成立するのは、互いの距離が一定に収まった時だけ。大声を上げて仲間を呼び集めることも、襲われる瞬間に人狼の名前を叫んで伝えることもできない。

 そうこうしていると、右手の廊下の奥から人影がこちらへ向かってくるのが見えた。


「最初に出会うのは……誰だ?」


 いきなり人狼と遭遇する可能性だってある。俺は緊張しながら、人影を凝視する。

 やがて、暗がりから現れたのは、大きな体のクマサンだった。

 向こうも俺に気づいたのか、表情がぱっと明るくなる。

 とはいえ、この距離ではまだ会話は不可能だ。近づくことで初めて言葉を交わせる――しかし、その距離は、人狼のマーダースキルの発動可能範囲でもある。

 もしクマサンが人狼だったら?

 今ならまだ逃げられる。村人も人狼も走る速度は同じだ。常に距離を取り続ければ、とりあえずの安全は確保できる。


「……クマサンが人狼だったら、それも運命か」


 クマサンがこちらに近づいてくる。俺の方もクマサンへと歩み寄った。


「やった! 最初に合流できたのがショウで良かった!」


 会話可能な距離まで近づいても、クマサンからの攻撃はなかった。それどころか、心からの満面の笑みを俺に向けてくれる。

 本当は人狼だが、油断させるために村人のフリをしている可能性も否定できないが、この笑顔を疑う気にはなれない。


「クマサンのフォローは俺がするって言ったからな。ここからは一緒に行動しようか」

「ああ! そうしよう! ショウが一緒だと、心強い……」


 クマサンが照れるようなことを言ってくれる。獣人姿のクマサンがこんなことを言うなんて珍しい。もしかしたら、いつ人狼に襲われるかわからない館の中だ、一人で心細かったのかもしれない。


「じゃあ、とりあえず一つずつ順番にタスクをクリアしていこうか。人狼ゲームとしての面白みは薄れるけど、それが一番確実な方法だ」

「わかった!」


 クマサンは即答で了承してくれた。

 ちなみに、タスクは村人だけでなく人狼も実行可能だ。村人のフリをしてタスクをするのは常套手段なので、タスクをしてるかどうかで人狼を見極めるのは難しい。


「まずは近いところで、この部屋からにしようか」


 俺が指さしたのは、さっきまでいた、一階北側に位置する寝室だ。


「了解だ。ショウに任せる!」


 頷くと、俺達は寝室の中へと入った。

 当然、中には誰もいない。今ここにいるのは、俺とクマサンだけだ。


 …………。

 寝室にクマサンと二人きり――文字にすると、何というか妙に照れくさい。自分が自意識過剰なだけで、クマサンは何とも思っていないだろうことはわかっている。それなのに、勝手に動揺してしまうのは困りものだ。


「クマサン、ここでのタスクは『枕投げ』だよ。どのベッドでもいいから、まずは枕を手に――」


 手近な枕を掴み、タスクの説明をしようと振り返ると、クマサンは入り口の扉の前で立ち止まったままだった。どこか落ち着かない様子で、視線を泳がせている。


「あれ? どうしたの、クマサン? そんなところにいると、距離が離れて会話ができなくなるよ?」

「え、あ、……すまない」


 クマサンは少しぎこちなく頷くと、ようやく部屋の奥へと歩みを進めた。そして、俺の隣のベッドの枕を掴む。その動きに、どこか硬さが残っている。

 そんなクマサンが、聞こえるか聞こえないかの声でぽつりとつぶやく。


「寝室に二人きりなのに、ショウは平気な顔して……」


 はて、どういうことだろうか?

 どうにも寝室に入ってから、少しクマサンの様子が落ち着かない。


 ……もしかして、俺達のタスク中に人狼が中に入ってくるのを警戒しているのか?


 確かにタスク中は逃げるのが難しい。でも、今は二人一緒にいる。一人が殺されても、人狼のマーダースキルが再使用可能になる前に死体発見通報をすることができるはずだ。それを考えれば、人狼が入ってきても、俺達を襲ってくる可能性は低い。


「大丈夫だよ、クマサン。狼の危険はないよ」

「お、狼!?」


 クマサンはなぜか、過剰なほどに狼という言葉に反応した。


「いや、クマサン、枕でそんなに身体を隠さなくても……。もしかして、俺が人狼じゃないかと疑ってる?」

「ち、違う! そうじゃない。ショウが急に狼になったらどうしようって……いや、なんでもない」

「…………?」


 何か言いかけたクマサンが、慌てて口をつぐむ。なんだか釈然としないが、これ以上突っ込んでも答えてはくれなさそうだ。

 俺は苦笑いを浮かべる。

 心配性だなぁ、クマサンは。でも、そのくらい用心深い方がいいかもしれない。


「いいかい、クマサン。こうやって枕を持って構えると、この部屋にコウモリが現れるんだ。そのコウモリに枕を投げて当てて退治したら、タスククリアだ」


 俺が説明を終えるよりも早く、どこからともなく黒い影が舞い上がる。低い羽音とともに、二匹のコウモリが天井近くを旋回し始めた。


「どうして寝室にコウモリがいるんだ!? 二人の初めての夜をコウモリなんかに邪魔されるのは嫌なんだが!」


 突然出現したコウモリにクマサンが戸惑いの声を上げた。なんだかよくわからないことを言っている気もするが、随分と動揺しているようだ。

 だけど、コウモリが出てくるのは、そういう仕様なんだから仕方がない。


「はいはい、愚痴を言っても終わらないよ。さっさと当ててタスクを終わらせよう」


 クマサンをなだめながら、枕をコウモリに向かって放り投げる。しかし、奴らは不規則な動きをしていて、俺の枕は大きく外れた。


「くそっ。意外と難しいな」


 天井に当たって床に落ちた枕を拾いに行く。外れた枕は、自分で取りに行かなければいけないので、これは結構面倒くさいかもしれない。


「このお邪魔虫め!」


 気合のこもったクマサンの枕が、一発でコウモリにぶち当たった。

 一人一匹退治すればいいので、クマサンはこれでタスク完了だ。


「……やるな、クマサン」


 この館の中では、キャラクターのステータスは意味をなさない。つまり、タスクの成否は純粋にプレイヤーの腕にかかっている。

 クマサンが一発クリアしたとなると、俺も恥ずかしいところは見せられないな。


「当たれっ!」


 再び枕を投じる。しかし、コウモリをかすめただけで、天井に当たって落ちてくる。


「くそっ! 今度こそ当ててやる!」


 だが、悲しいかな、俺はこの後も枕を外しまくり、10回目にして、ようやくコウモリ退治に成功したのだった。

 クマサンに情けないところを見せてしまい恥ずかしかったが、クマサンはずっと楽しそうに笑っていたので、まぁいいかと思えてしまう。



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