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第140話 犠牲者

 一階北側の寝室でのタスクを終えた俺達は、部屋を出て廊下を東に向かい、東側の部屋へと移動した。そこは応接室で、来客用のテーブルや椅子が整然と並び、部屋の片隅にはティーポットやカップなど、お茶を振る舞うための器具が備えられていた。

 与えられたタスクは、カップの七分目ちょうどまでお茶を注ぐことだった。

 紅茶の香ばしい香りに鼻腔をくすぐられながら、二人揃ってタスクをこなすと、俺達は中央の部屋へと向かった。

 中央の部屋はこのフロアの中でも特異で、東西二か所に扉があり、通り抜けることができる造りになっている。


「ここは遊戯室か?」


 中央の部屋に入るなり、部屋を見渡しながらクマサンがつぶやいた。

 クマサンの言うとおり、部屋にはビリヤード台が堂々と置かれ、壁際にはダーツボードが二つ。棚にはボードゲームの箱がずらりと並んでいる。

 学生時代以来触れていないビリヤード台を前にすると、久しぶりに球を突いてみたくなる。綺麗に並んだ球を思い切り弾き飛ばすブレイクショットの爽快感は、ほかではなかなか味わえないものだ。

 タスク内容がビリヤードならいいのにと思いながら、メニュー画面からこの部屋でのタスク内容を確認する。


「クマサン、ここでのタスクはダーツのようだ」


 指定されたタスクは、「ダーツでブルに当てる」というものだった。ブルとは的の中心にある小さな二重円で、内側がインナーブル、外側がアウターブルだ。指定がなければ、どちらに当ててもカウントされるだろう。


「ダーツか。……やったことないんだよな」


 クマサンは不安げに眉をひそめる。


「俺も基本的なことしかわからないけど、コツくらいなら教えられるかもしれない」

「助かる」


 ダーツボードは二つ横に並んでいる。二人までは同時にタスクをすることができるようだ。俺が左側、クマサンは右側に立った。

 用意されているダーツは、それぞれ三本。本来ならば、同じボードを交互に使い、一人が三投したら交替するのが普通だ。しかし、今回の目的は正式なダーツの試合ではなく、的の中央にあるブルに命中させること。そのため、互いに分かれて投げたほうが、効率が良い。

 俺は一本目のダーツを手に取り、感触を確かめる。ちなみに、ダーツはダートの複数形だ。一本ならダートと呼ぶべきかもしれないが、俺の周りでダートと呼んでる奴はいなかった。


「クマサン、足もとのスローラインは踏んでもいいけど、前にはみ出しちゃダメだから気をつけて」

「あ、そうなのか」


 クマサンは慌てて足もとを確認する。どうやらスローラインの存在に気づいていなかったようだ。

 俺は深く深呼吸し、ダーツを構える。

 枕投げの時の汚名を返上すべく、今度こそ格好良いところを見せたい。だが、多少の知識はあるものの、ダーツの経験自体はあまりなかった。まだビリヤードのほうが得意かもしれない。

 それでも集中して、一本目を放つ。ダーツは的に刺さったが、ブルには程遠い。二投目も同じような結果だった。

 俺達のような素人がブルに当てる確率は、恐らく5パーセント以下。20本に1本当たるかどうかといったところだろう。


「そう簡単に当たるわけないか。気負ってもしょうがないな」


 肩の力を抜き、三投目を放る。


 シュッ――


 その一投は見事に中央のブルへと突き刺さった。しかも、より中心に近いインナーブルだ。


「よしっ! タスククリアだ!」


 思わず小さくガッツポーズする。実力ではなくほぼ運によるものだが、とにかく当たれば勝ちだ。

 ちなみに、通常のダーツでは、ブルの得点は50点。中央だから一番高得点に思われがちだが、実はトリプルの20に当てたほうが20点×3で60点になり、そちらの方が高得点だったりする。もっとも、今回は得点を競っているわけじゃないので、どうでもいい話だ。


「さて、クマサンの方はどうかな……」


 自分のタスクを終えて余裕の気持ちでクマサンを見ると――

 クマサンの三投目が大きく的を外れ、壁に当たって落ちていくところだった。


「……難しいな、これは」


 険しい表情のまま、クマサンは投げたダーツを拾いに行く。

 どうやら枕投げと違って随分苦戦しているようだ。見れば、的に一本もダーツは刺さっておらず、三本とも床に散らばっている。


「さっきはクマサンにクリアまで付き合ってもらったから、今度は俺の番だよ。慌てなくていいからね」


 戻ってきたクマサンに声を掛ける。急かして下手なプレッシャーをかけるような真似はしたくない。


「……すまない。俺もすぐに終わらせる」


 そう言いながら、クマサンは右手を前に、左足を前に出して構えた。


「ちょっと待って、クマサン!」


 俺は慌てて制止する。


「どうした?」

「反則だよ、反則」

「反則?」


 クマサンはキョトンとした顔でこちらを見つめた。


「右手で投げるのなら右足が前だよ。反対の足を出して投げるのは、野球投げといって、ダーツでは反則なんだ。それに、ダーツを投げるのに格好良くないしね」

「……なるほど」


 クマサンは素直に足の位置を修正し、右手と右足を前に出して構えた。それだけで随分とフォームが様になっている。


「ダーツを持つ指は、二本、三本、四本と色々あるけど、初めてだと三本がいいと思う。人差し指と親指はダーツの重心を持つようにすると安定するよ」


 クマサンは人差し指にダーツを乗せ、天秤のようにバランスを取ってダーツの重心を確認すると、三本の指でダーツを持ち直した。その動作から、クマサンの真面目な性格が垣間見えるというものだ。


「的とダーツと目線が一直線になるようにして――」


 クマサンの構えが、目に見えて洗練されていく。重厚な武器や盾を構える姿がよく似合うクマサンだが、こうして繊細なダーツを手にしても不思議と絵になっている。単なる熊型獣人の容姿だけでなく、ずっとパーティを支えてくれているクマサンへの信頼感が、俺にそう見せているのかもしれない。


「そのまま、自然に腕が倒れるように引いて、前に振るイメージで投げてみて」


 簡単なアドバイスだったが、クマサンは俺の言葉以上の何かを掴んだらしい。しなやかなフォームから放たれたダーツは、美しい軌道を描き――鋭く20のトリプルに突き刺さった。


「おお、すごい! ブルに当てるより難しいのに!」

「そうなのか?」

「ああ! タスククリアにはならないけど、そこが一番高得点の場所だよ! 投げ方も綺麗だし、見違えたよ!」

「……ショウの教え方がうまいんだよ」


 照れた顔のクマサンが妙に可愛い。普段の勇ましい顔とのギャップがまたいい。


「次はもう少し下を狙ってみようか」

「わかった」


 二投目は先ほどよりもブルに近づき、三投目はブルのすぐ上に突き刺さった。投げるたびに確実にブルへと近づいている。一投ごとに上達しているかのようだった。いや、実際、どんどん上手くなっているのだろう。

 クマサンはゲームのセンスがかなりいい。以前、配信でプレイした格闘ゲームも、初プレイだったはずなのに、生配信中にクリアしてしまったほどだ。


「これなら次の三投のうちに、ブルに当たるよ」


 投げたダーツを回収しに向かうクマサンに、そう声をかけた時だった。


「二人とも、仲がいいにゃん」

「――――!?」


 突然の声に、思わず肩が跳ねる。驚いて振り返ると、ミネコさんがすぐ後ろに立っていた。

 ……まったく気づかなかった。

 これがタスクの怖いところだ。タスクに集中するあまり、ほかへの警戒がおろそかになってしまう。


「ミネコさん、いつの間に……」

「さっき入ってきたところにゃん」

「そうなのか……全然気づかなかったよ」


 俺が一人で、ミネコさんが人狼だったら攻撃を受けていたかもしれない。


「ショウとクマニャンは一緒に行動してるのかにゃん?」


 俺が答える前に、ダーツを回収して戻ってきたクマサンが口を開く。


「ああ、そうなんだ。俺が初プレイだからショウにいろいろ教えてもらってタスクをこなしているところなんだ」

「ふーん、そうにゃのね。……じゃあ、人数が多いほうが安全だし、私も一緒に行動させてもらおうかにゃ――って冗談にゃ。なんだかクマサンの目が一瞬怖くなった気がしたから、やめておくにゃん」


 クマサンの目が怖い?

 確かめようとクマサンの方に視線を向けたが、いつものクマサンだった。きっと、ミネコさんなりの冗談なのだろう。

 彼女の言う通り、三人は確かに安全に思えるかもしれないが、俺とクマサンが人狼同士で組んでいた場合、そこに加わるのは非常に危険だ。むしろ単独行動を続ける方が、ミネコさんにとっては最善かもしれない。さらに、仮にこの後、俺かクマサンのどちらかが死体となって発見された場合、ミネコさんは残った方を人狼と推理することもできる。こうして考えると、ミネコさんは場の状況を冷静に読んでいるのかもしれない。


「ミネコさんの判断を尊重するよ。でも、一人は一人でリスクが高いから気をつけて」

「私のこと心配してくれるにゃん。やっぱりショウは私に優しいにゃん」


 隣のクマサンの肩がピクリと揺れた気がした。


「にゃはは、冗談にゃ。そんなに睨まないでほしいにゃん」


 はて? 俺は睨んでなどいないが……。


「それはそうと、私もタスクをしたいんだけど、ショウもタスク中にゃの?」

「ごめん。俺はもうクリアしたんだ。ここを使って」


 俺は場所を譲り、二人の邪魔にならないよう、クマサンの右隣へと移動する。


「ありがとにゃん。それにしても、ショウニャンとクマニャンは普通の男友達の関係に見えないにゃん」

「――――!?」


 ダーツのスローラインの前に立ったミネコさんの言葉に、心臓がドクンと大きく跳ねた。

 クマサンが実は女の子であることは、三つ星食堂のメンバーしか知らないことだ。ミネコさんとクマサンが一緒に戦ったのはキング・ダモクレス戦だけのはずなのに、彼女は早くも見抜いていたというのだろうか。


「私が見る限り、二人の関係は――友情を超えた、男と男のより深い交わり!」

「…………」


 何を言っているんだ、この人は?


「幾多の死線をくぐり抜ける中、二人は性別を超えて繋がりを求め、この世で最も尊い関係へと昇華していたにゃん! 安心するにゃ。私はそういう繋がりに偏見はないにゃん――むしろ大好物にゃん」


 ミネコさんは自分の世界に入っているようだった。うっとりとして表情を浮かべている。

 俺とクマサンが、友達ではなく親友に見えるということだろうか?

 周りからそう見えているのなら嬉しい。それに、クマサンが女の子だとは、気づかれていないようだ。バレたとしても、たちまち問題になるわけではないが、クマサン自身も周りに秘密にしているし、極力隠しておきたい。


「ところで、ショウニャンとクマニャンの場合、どっちがネコでどっちがタチになるにゃん?」


 ミネコさんが目を輝かせながら聞いてくる。

 しかし、さっきからどうもミネコさんの言葉が一部理解できない。ネコ? タチ? 一体、何のことだ?

 でも、ネコというのなら、間違いなくクマサンだろう。クマはクマ科で、どっちかと言えばネコよりもイヌの方に近いが、リアルのクマサンは、気まぐれで捉えどころがなかったりするけど、そんなところも含めて可愛いネコのようにも思える。


「……そりゃ、クマサンがネコだよ」

「――――!? まさか本人達の口から答えてもらえるとは思わなかったにゃん! しかも、見た目のイメージとは逆! いい! それはそれでとてもいいにゃん!」


 ミネコさんは興奮した様子で、目をキラキラさせながら両手を胸の前で組み、身を乗り出していた。

 まるで宝物を見つけた子供のような顔をしているが……一体、何がそんなに彼女の琴線に触れたのだろうか?


「妄想パワー全開にゃん! 気合が入ってきたにゃん!」


 ミネコさんはダーツを持った腕を振り上げると、鋭い眼光でダーツボードを睨みつける。そして、勢いよくダーツを投げた。

 矢は鋭い軌道を描き、見事ブルの真ん中に突き刺さる。


「やったにゃん! タスク完了にゃん!」

「……すごいな、マジで。……クマサンも、負けてられないよ。さっきの感じで投げたらすぐにクリアできるから頑張って」

「……ああ」


 あれ? クマサンの顔がびっくりするくらい赤いぞ。一体どうしたというんだ?

 だが、おかしいのは顔色だけではなかった。さっきまで完璧だったフォームが見る影もなく乱れ、ダーツは三本とも的にかすりもしない。


「ちょっとクマサン、急にどうしたの!?」


 焦る俺をよそに、クマサンは拳をぎゅっと握りしめ、俺を睨むように振り向いた。


「ショウが変なことを言うから……」

「変なこと? 俺、何か言った?」

「何でもない!」


 クマサンはそっぽを向き、耳まで赤く染めたままそわそわと足もとを見つめている。

 やっぱり様子がおかしい。


「それじゃあ、私は次のタスクをしにいくにゃん」


 後から来たのにクマサンより先にタスクを終えたミネコさんは、西側の扉から部屋を出ていった。

 再び二人になった部屋で、俺はダーツを回収して戻ってくるクマサンに目を向ける。


「クマサン、落ち着いて」

「俺は落ち着いている。変な想像なんて何もしていないぞ」


 言葉とは裏腹に、クマサンの目は泳いでいる。

 それに、変な想像って何だ?

 疑問に思うが、今はそれは重要じゃない。

 とにかく、ミネコさんが来る前のあの美しい投擲、あれさえ思い出してくれれば、こんなタスク、クマサンならすぐに終えられるはずなんだ。


「イメージだよ、イメージ。さっきのを思い出して!」

「――――!? お、思い出させないでくれ!」


 クマサンは顔をそむけて頭を抱え込んだ。

 ……一体、何を思い出したんだ?

 俺にはまるで見当がつかなかったが、少なくともクマサンの集中力が完全に乱されていることだけは確かだった。


 結局、クマサンが落ち着きを取り戻し、なんとかブルにダーツを当て、タスクを終えたのは、それからしばらく経ってからのことだった。

 まだ少し様子のおかしいクマサンを連れ、俺達はミネコさんと同じ西の扉から廊下に出て、そのまま西側の部屋へと向かう。

 そこは調光室――館の灯りとなる魔光石の制御を行う部屋だ。もし人狼が暗闇の妨害工作を仕掛けてきた場合、ここで修復作業をする必要があるが、ここはここでタスクも用意されている。


「次は調光室のタスクをクリアするよ」


 そう言いながら扉を押し開いた瞬間、息を呑む。

 薄暗い部屋の中央、そこにうつ伏せのまま倒れている人影があった。

 白いローブ、猫の手の形をしたグローブ。そして頭の猫耳――

 それは、ついさっきまで俺達と笑いながら話していたミネコだった。


「ミネコさん!」


 慌てて駆け寄る。ぐったりとした彼女の身体を仰向けにした瞬間、寒気が背筋を駆けあがった。

 ミネコさんの左胸には爪で抉られたような深い傷があり、そこから大量の血が流れ出ていた。

 クマサンも後から駆け付け、息を詰めたように声を絞り出す。


「……ショウ、ミネコさんは?」

「……ダメだ。死んでる」


 俺は首を横に振りながら答えた。

 まさかさっきまで元気だったミネコさんと、こんな形で再会することになるなんて……。



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