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第145話 暗闇の中で

 転送が完了し、再び目を開いた時、そこは見覚えのない場所だった。

 すぐさま状況を確認するべく、俺はマップを開く。

 示された俺の現在地は、一階南側の玄関ホールだった。


「急がないとな」


 集合場所は二階南側の部屋の前だ。

 俺はマップを閉じると、すぐに駆け出した。

 部屋を飛び出し、西へと進む。古びた廊下の先、南西に位置する階段へと足を向け、一気に駆け上がった。

 二階に到達すると、廊下を東へと向かう。そのまま進むと、二つの人影が見えてきた。


「クマサン……それにシアさん!」


 すでに待ち合わせ場所に到着している二人。この早さから考えて、二人の転送先は二階だったのかもしれない。だが、ミコトさんの姿はまだ見当たらない。


「ショウ!」


 クマサンが俺の姿を認め、手を振る。

 駆け寄ると、シアも安心したように微笑んだ。


「ショウさん、ご無事で何よりです。集合前に人狼に襲われるのが最悪の展開でしたので、安心しました」


 声をかけてくれるシアにうなずいてみせる。


「三人になれば人狼も手を出せなくなる。ここからは安心してタスクをこなしていける」

「ええ、そうですね」

「今のうちに、タスク未完了の部屋を確認しておかないとな――」


 俺はマップを開いた。

 すぐに異変が訪れる。


「な、何だ、これは!?」


 クマサンの慌てた声が響く。

 気づけば、天井に取り付けられ、館内を照らしていた魔光石が光を失っていた。

 これは、偶発的なトラブルではない。

 人狼の妨害行動の一つ――館中の魔光石の力を無力化し、視界を奪う暗闇の罠。これが発動すると、廊下だけでなく部屋の中の灯りもすべて消え、すぐそばの物すら認識できなくなる。人狼には暗視能力があるため、薄暗くなった程度の影響しか受けないが、村人は自分の手元を見るのがやっとくらいの視界になってしまう。この状況を打破するには、調光室に向かい魔光石の力を復活させるしかない。しかし、それまでの間は、人狼の接近に気づけない危険な時間になる。


「みんな! 調光室へ向かおう!」

「わかりました!」

「了解だ」


 二人の返事が聞こえた。

 今はまだ距離が近いため、会話も可能だった。だが、この先、互いの姿も確認できない中を進んでいき、互いの距離が開けば、会話すらままならなくなる。

 シアはすぐさま南西の階段に向けて歩き出したが、クマサンは突然の暗闇に慌てたのか、反対側を向いたまま動けずにいた。


 ――クマサン、俺はここにいるよ。


 俺はクマサンのそばに寄り、そっとその手を握る。

 クマサンが息を止めたのがわかった。

 考えてみれば、クマサンと手を繋ぐのは、ゲームでもリアルでも、これが初めてだ。

 俺も緊張で呼吸が乱れる。

 初めて手を繋ぐのが、まさかこんな機会になるとは思いもしなかった。

 気まずさと焦りが入り混じり、俺は手を離して、クマサンに背を向ける。


「調光室はこっちだ」


 ぶっきらぼうにつぶやき、俺は魔光石の光がない中、背中にクマサンの存在を感じながら、南西の階段に向けて歩き出した。

 一歩一歩慎重に歩いていく。

 シアさんはもう先に行ってしまって、声も聞こえてこない。

 階段を降り、廊下を北に向かう。

 しばらくして、一階西側に位置する調光室の扉にたどり着いた。

 安堵の息を吐きながら、扉を開ける。中にはすでにシアの姿があった。館の魔光石を制御する装置の前に立ち、操作に集中している。

 俺は彼女に近づき、声をかけた。


「シアさん、灯りを――」

「大丈夫です。もう再点灯できるはずです」


 シアの言葉が終わるか終わらないかのうちに、調光室の魔光石が光を取り戻した。今頃ほかの部屋や廊下も明かりを取り戻していることだろう。


「どうなることかと思ったけど……まずは一安心か」

「ええ――あれ? クマサンは?」


 こちらに顔を向けたシアが首をかしげる。

 彼女の言葉に、俺は後ろを振り返った。


「――――!? クマサンがいない!」


 がらんとした室内には、俺とシアしかいなかった。クマサンの姿はどこにも見当たらない。


「まさか、人狼に……」

「暗闇を仕掛けてきたのは人狼だ。闇の中で襲うタイミングをうかがっていた可能性は高いだろう……。でも、単に迷子になっただけという可能性もある。……シアさん、俺と一緒にクマサンを探しに行ってくれないか? 俺はまだ、クマサンが無事だと信じたい」

「……ショウさん」


 俺はシアに手を差し出した。こんな状況での単独行動が危険なことはシアも理解しているはずだ。シアなら、この手をとって、一緒にクマサンの捜索をしてくれると俺は信じていた。

 だが――


「ここは冷静になりましょう。今不用意に動くのは危険かもしれません」

「え?」


 シアの表情は揺るがず、理知的な瞳がまっすぐ俺を見つめる。


「ミコトさんが人狼の場合、すでにクマサンは暗闇に乗じて殺されている可能性が高いです。その場合、ミコトさんは私達と合流し、クマサンを探すフリをしながら、死体のない場所へと意図的に誘導するでしょう。そして、時間を稼ぎ、マーダースキルのクールタイムが終わった段階で、私達のどちらかを襲うと考えられます」


 シアの分析に俺は息を呑む。


「また、クマサンが人狼の場合、暗闇ではぐれたフリをして私達から離れ、ミコトさんを襲っていると考えるべきでしょう。その場合、クマサンは私達と再合流後、ミコトさんの死体に近づかないよう誘導しながらタスクで時間を稼ぎ、マーダースキルが再使用可能になり次第、私達のどちらかに手をかけるでしょう」


 クマサンが消えたこの状況で、ここまで冷静に状況を整理できる彼女はただ者ではない。

 HNMとの戦闘中の彼女は、自ら積極的に発言するようなことはなかった。攻撃面でも淡々と着実に効果的なダメージを積み重ねていくスタイルで、てっきりおとなしい人だと最初は思っていた。だが、日々ボイスチャットで話をするうちに、彼女の本質が俺にもわかってきていた。彼女は芯がしっかりしていて、頭も切れる。その本質の部分が、この状況でもいかんなく発揮されていた。


「でも、シアさん……だったらどうするつもりだ?」

「ですので、ここはスキルを使って緊急会議をするべきだと思います」

「――――!」


 緊急会議――それは、プレイヤーが一人につき一回だけ使えるスキルだ。そのスキルを使えば、死体を発見していなくても、全員を地下会議室へと強制転送し、話し合いと追放投票を行うことができる。


「もしクマサンもミコトさんもまだ無事なら、四人が会議室に転送されるはずです。そうなったら、仕切り直せばいいんです。再び白紙投票をして、さっきの場所に集合しましょう。人狼が使える妨害行動は、人狼一人につき一種類一度まで。人狼は残り一人なので、もう暗闇の妨害行動は使えません」

「……なるほど」

「もし会議室に転送されたのが三人なら――それはもう人狼がリーチをかけた状態です。誰が人狼か話し合い、村人と人狼どちらが勝つのか最後の追放投票にすべてを賭けるしかありません」


 シアさんの怜悧な瞳に見据えられ、俺は思わず息を呑む。

 確かに、シアさんの言うことは理にかなっていた。村人が最も安全にことを進めるのなら、それが最善手に思える。

 俺に彼女の提案を覆すだけの材料はない。


「……わかった。俺はシアさんを信じるよ」

「はい、ありがとうございます。では、緊急会議のスキルを使いますね」


 間もなくして、館内に警報音が鳴り響いた。死体発見の時の警報音とは少し音が違う。あの音よりは少し柔らかい感じがする。

 この音は、シアがスキルを使った証だ。こうなれば、もう誰もスキルを使えなくなる。それは人狼のマーダースキルや妨害行動も同じだ。


「……クマサン、無事でいてくれよ」


 俺はシアにも聞こえる声でつぶやき、転送を待った。


 ――そして、また会議室へと戻ってきた。

 目の前に広がるのは、もはや見慣れた会議室の光景。

 しかし、そこにいるのは、俺とシア、そして――ミコトさん。それだけだった。


「クマサンがいない! 人狼に殺されたのか……」


 俺は嘆きの声を上げた。



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