シアの隣に立った俺は、彼女にだけ聞こえるような声でそっと囁く。
「……シアさん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
シアは俺の方へ首を傾げ、静かに答えた。
「はい、なんですか?」
「最後の投票で、どうしてミコトさんじゃなく、俺に入れたの? 暗闇の中で、俺がクマサンを襲ったのには気づいてなかったよね?」
「はい、それにはまったく気づきませんでした。……でも、ショウさんも、大胆なことしますよね」
彼女は微笑みながら、少し眉を上げる。まるで俺の行動を驚きつつも、どこか楽しんでいるように見えた。
「いや、それほどでも……って褒められてるわけじゃないか。それはともかく、じゃあ、どうして俺に投票したの? 何か怪しいところでもあった?」
シアは少しだけ考える素振りを見せたあと、口を開いた。
「そうですね……怪しいというか、不思議に思ったのは、二回目の会議の時です」
「二回目の会議?」
それは、ミコトさんがメイの死体を発見し、開かれた会議のことだ。
「はい。あの時、ショウさんは、二階東側の書庫に転送され、そこでタスクをした後、一階に降りようと南西の階段に向かったと言いましたよね?」
俺は記憶を辿る。確かに、そんなふうに説明したような覚えがある。
「……ああ、そう言ったと思う」
「でも、東側の書庫から一階に降りるなら、北東の階段のほうがずっと近いんです。それなのに、わざわざ遠回りをしたのが気になって……」
……しまった。
本当は、俺は二階南側の物見の水晶の部屋でメイを殺していた。しかし、それを隠すため、その部屋には行っていないことにした結果、俺は東側の部屋から、わざわざ遠い南西の階段に向かうという不自然な動きを証言する羽目になっていたのだ。
だけど、それはちょっとおかしいというだけで、致命的なミスになるとは思えない。現に、あの時シアは何も指摘しなかったし、投票では全員が白票を入れていた。
「……待って、シアさん。でも、それだけで俺を人狼だって疑うのは、飛躍しすぎじゃないかな? たとえば、一階の残りタスクが西側や南側の部屋だったら、南西の階段を使ってもおかしくないだろ?」
「はい、ですから、不思議に思っただけで、それで特別ショウさんを怪しいと思ったわけではないです」
――――?
ちょっと待ってくれ。それなら何故俺に投票したんだ? ますますシアの意図がわからなくなってきた。
「……じゃあ、どうしてシアさんは、最後の投票でミコトさんじゃなく、俺に入れたの?」
俺は恐る恐る尋ねる。もし「ミコトさんの方が仲が良いから」なんて言われたら、それはそれで結構ショックかもしれない。
シアは少し申し訳なさそうに目を伏せた。
そして、意を決したように口を開く。
「……えっとですね、多分ショウさんは気づいてないと思うんですけど、私と話している時、あんまり都合のよくないこととか、誤魔化したいような時とか、声のトーンが半音上がるんですよ」
「……え?」
思わず間抜けな声を漏らしてしまう。
身に覚えはない。それは俺自身も知らない、俺の癖のようだった。
「ショウさん、会議が進むたびに、その半音高い声で話すことが増えていって……最後の会議の時なんて、ほとんどその状態で喋ってましたよ。だから、ああ、これはショウさんが人狼で、頑張って嘘をついてるんだなって思ったんです」
「…………」
何ということだろうか。俺の完璧な計画は、自らの癖によって台無しになってしまったようだ……。
…………。
えー、そういうので見抜くのってありなの!?
くそっ! 悔しすぎる!
俺は苦々しい思いを抱えながら、恨みがましい視線をシアへと向けた。
「そういうので投票先を決めるのは、ずるいと思う」
「えー、だってしょうがないじゃないですか。わかっちゃったんですから」
シアは申し訳なさそうな素振りもみせず、ただ無邪気に笑っていた。その笑顔が、俺の悔しさにさらに追い打ちをかける。
しかし、彼女とはまだそこまで長い付き合いというわけではない。それなのに、俺の癖を見抜いていたとは……正直、驚きを隠せない。俺達が会話するのは基本的にボイスチャットだから、確かに声に集中する環境ではあった。でも、俺はシアの話し方の癖なんて、何一つ気づけていない。それなのに、彼女は俺の嘘を見抜く――もしかすると、シアは普通の人よりもずっと鋭い観察眼を持っているのかもしれない。
「シアさんって、探偵とか刑事とか向いてるんじゃない? 観察力とか分析力とかすごそうだし」
「私、どっちかというと鈍くて、そういうの全然無理なんですよ」
「え? でも、俺の話す癖とか簡単に気づいたんだよね?」
「それは……相手がショウさんだからですよ」
シアは少し視線を逸らしながら、そうつぶやいた。
「…………?」
俺は思わず小首をかしげる。
俺だから? それは、俺の嘘があまりに下手でわかりやすいってことなのか?
声が半音高くなるって言われたけど、それってそんなにわかりやすいものなのだろうか? 正直、音感のない俺にはよくわからない。
俺はシアの言葉の真意を確かめようとしたが、ふいに横から刺すような鋭い視線を感じた。嫌な予感がして恐る恐る顔を向ける。
「……ショウ、よりによって俺を殺すなんて、あんまりじゃないか」
ゴブリンあたりならその目力だけで即死しそうな勢いで、クマサンが俺を睨んでいた。
――だよねー。俺も怒られるかなとは思ってたよ。
俺は慌ててクマサンに駆け寄る。
「いや、でも、あれでも気を遣ったんだよ? 最初に出会ったときに殺すこともできたけど、さすがにそれは悪いと思って一緒にタスクして回ることにしたし」
「……一緒に楽しんでると思ってたのに、俺のこと邪魔だと考えながらやってたってことか?」
あれ? 弁解したつもりが、余計にクマサンの目に宿る殺意のような光が強まった気がするんだけど……。
「違う違う、あれはアレで楽しかったから! でも、これは騙し合いのゲームだから! 逆の立場だったらクマサンだって俺を狙うでしょ?」
キング・ダモクレスのダモクレスの剣に狙われた時のような危機感を覚えた俺は、クマサンを宥める。
――だが、俺に怒りを向けるのはクマサンだけではなかった。
「ショウさん、ひどいです!」
怒っても可愛らしい声とともに、クマサンの隣からミコトさんが、責めるような視線を向けてきた。普段は元気いっぱいの彼女が、こうして上目遣いで抗議してくると、なんというか……なかなか心にくるものがある。
「私は誰も襲ってないのに、あんなに人狼扱いするなんて!」
「ミコトさんまで……。でも、これってそういうゲームだから……」
「しかも、最後は私に投票までするし、傷つきましたよ!」
うっ……。
確かに、ミコトさんを疑う方向に誘導したのは俺だ。でも、クマサンと違って、俺はミコトさんを殺していない。ここに活路を見いだせるはずだ。
「でも、俺、ミコトさんは殺してないし……」
なんとかミコトさんを落ち着かせようとした矢先、横から静かな声が割り込んできた。
「私のことは平気で殺したよな」
顔を向ければ、メイが腕を組み、じと目で俺を見ていた。
「…………」
弁解の言葉がすぐには出てこない。
メイはコキコキと首を左右に傾げ、芝居がかった口調で続ける。
「後ろから容赦なく首を折られて――ああ、痛かったなぁ」
その言葉に、思わず冷や汗が滲む。
――いや、待て。そもそも、人狼の館のクエストでは、マーダースキルを使われても痛みや苦しさなんて感じない仕様のはずだ。だからメイの言葉は完全に演技――なのだが、それを指摘したら、余計に機嫌を損ねる気がする。だから、俺は反論の言葉を飲み込んだ。
「ライブに来てくれて、ショウは私のことを応援してくれていると思っていたのに……まさか、私を殺したいほど憎く思っていたなんて……」
メイは悲しげに目を伏せ、唇を震わせる。だが、その芝居がかった口調と、時折こちらを窺うような視線が、これは演技だと物語っていた。だが、それがわかっていてもフォローしないわけにはいかない。
「そんなことはない! あんなに眩しく輝いたメイは、俺にとって憧れだし、誇りでもあるよ!」
メイが静かに息を呑んだ。次の言葉が発せられないことにほっとするが、すぐにミコトさんから声が飛んでくる。
「ショウさんにとって私は、いざとなったら罪をなすりつけて切りてるような存在なんですよね……。私は悲しいです」
ミコトさんは普段から嘘をついたりしないから、どこまで本気なのか読めない。でも、だからこそ、俺も冗談では返せなかった。真剣な言葉で答えるしかない。
「違う、違う! 俺は最後までミコトさんを守るから! たとえ世界中が敵になったって!」
ミコトさんがうつむいた。
安心していいのかどうかわからない。だが、さらに言葉を重ねる前に、クマサンが重い言葉を吐き出してきた。
「ショウは楽しそうなフリをしておいて、裏では邪魔だと思ってたりするんだよな」
クマサンは半分本気で言ってるのがわかるからやばい。怒りながら悲しそうにもしていて、胸がしめつけられる。それだけに、その勘違いを払拭しないわけにはいかなかった。
「そんなことはない! 俺が一番俺でいられるのはクマサンと一緒のときだよ! クマサンの前で俺に嘘はない!」
これはもう弁解ではない。俺の本音だった。
三人は一旦押し黙る。
メイも、ミコトさんも、クマサンも、何かを考えているように押し黙った。
……いや、待て。この沈黙、もしかして爆発の前触れか?
慌てて何か言葉を足そうとしたその時――
「納得できない! もう一回やるよ、みんな!」
でも、これはチャンスかもしれない。一回のゲーム内容なんて、何度か繰り返せばすぐに薄れるはずだ。
「みんな! ねーさんもああ言ってるし、もう一回しようよ!」
俺はねーさんの提案に乗ることにした。
「まあ、いいけどさ……」
「……そうですね」
「俺も……」
三人とも同意してくれた――が、何故かみんな頬がほんのり赤い気がする。
まだお怒りが収まっていないのか?
それなら、次のプレイで挽回するしかない!
「よし、気合入れていくぞ!」
こうして、俺達は夜遅くまで「人狼の館」を繰り返しプレイした。
なぜか、やたらギルドメンバーに狙われ、殺されまくった気もするが――それでも楽しかった。
RPGは敵と戦うだけのゲームじゃない。たまにはこういう楽しみ方も、いいものだ。