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第152話 同接数増加の理由

 同時接続者数の急激な増加に気づいたのは、俺だけではなかった。


「……今日はずいぶん見てくれる人が多いんだね。びっくりしたよー! クマーヤの知らないところで、何かあったりしたのかな?」


 クマサンの声が、いつもよりわずかに弾んでいる。彼女は普段通りの調子を装っていたが、急な視聴者の増加に驚きが隠せないようだった。


「まさか、バグとかじゃないよね?」


 冗談めかして言いつつも、戸惑いの色は濃い。クマサンが画面の向こうに問いかけると、すぐに視聴者から様々なコメントが返ってきた。


『初見です! どんな配信なんですか?』

『ねこちゃんがおすすめしてたので見にきました』

『クマーヤってどんなV?』

『芦見ねこちゃんの推しと聞いて興味持ったよー』

『推しの推しは俺の推し!』

『どんな子なのか気になって飛んできました』


 視聴者からのコメントが次々に流れていく中、ある名前が目立つほどに多く含まれていた。

 ……芦見あしみねこ? 誰だ、それは?

 見覚えのない名前に、俺は反射的に手元のノートパソコンのキーボードを叩き、検索欄に名前を打ち込んだ。


 ――芦見ねこ。

 検索結果には、雪月花49フォーティナインというアイドルグループの名が並んでいた。その一員である彼女は、黒髪清楚系の美少女。グループ内でも人気は高く、歌唱力に定評があるらしい。それだけではなく、最近はバラエティー番組にも進出し、芸人とは異なる切り口の大喜利や鋭いツッコミで話題を集めているという。

 どうやら、その彼女が、俺達の生配信中に放送されていたテレビ番組の中で、最近のお気に入りとしてクマーヤの名前を挙げたらしい。


 ――いつの間にか、テレビに出るようなアイドルにまで知られていたとは……。


 驚きとともに、じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。

 アイドル自体には興味がないため、彼女のことはよく知らない。だが、それでもこれはありがたい。ネットが普及した今でも、情報発信という点ではテレビの力は突出している。そこにクマーヤの名前を出してもらえただけで、今回の視聴者増加の理由も納得がいく。

 だが、それと同時に、浮かれてはいけないという自戒も生まれた。

 今回増えた視聴者は、クマーヤそのものに興味を持って見に来たわけではない。推しが好きなもの、それに対する一時的な関心。それだけだ。

 だから。おもしろくなければすぐに離れていく。そもそも、「どんなものか見てみたい」という好奇心だけで来た人も多いはずだ。

 増えた人の多くは、次の配信には来てくれない。それどころか、大半の人は今回の放送でさえ最後まで付き合ってはくれないだろう。

 Vチューバーの世界というのは、そういう世界なんだ。――と、自分に言い聞かせる。


 実際、俺の考えに間違いはない。ただ、俺の前には、クマサンがいる。

 配信内容は、モンハンのプレイ実況という目新しさのないものだが、彼女の美声と軽快なトークが作り出すこの空間は、ここでしか味わえない特別なものだ。

 クマサンなら、ちょっと見にきただけの視聴者であっても、その心を掴み、引き留めることができるかもしれない――


 俺は厳しい現実を理解しつつも、かすかな希望を抱きながら配信を見守った。




 気づけば、予定していた二時間が過ぎていた。


「今日はたくさんの人が見に来てくれて楽しかったよ~。次もまた来てくれると嬉しいな。それじゃあ、またクマ~」


 ちょうど新しいモンスターを狩り終えたタイミングで、クマサンはお決まりの挨拶とともに配信を締めくくった。


「ふぅ……」


 彼女が深く息を吐くのが、俺の耳にもはっきりと届いた。

 最終的な同時接続者数は――4102人。

 2000人の壁を悠々と超え、3000人すらも飛び越え、まさかの4000人超え。

 テレビ放送のタイミングで、芦見ねこが自身Xでもクマーヤのことをポストしたらしく、その投稿を見た新規の視聴者も流れ込んできたようだった。


「クマサン、お疲れ様」


 俺は彼女に近づき、冷えた豊潤もも天然水のペットボトルを差し出す。


「ありがと。……で、一体何があったの? ねこちゃんが関係してるみたいだけど?」


 ペットボトルを受け取りながら、クマサンは首をかしげた。

 配信中の彼女には検索する余裕もなかったのだから、知らなくて当然だ。


「実は――」


 俺はクマーヤの配信中に調べた情報を彼女に伝えた。


「へぇ~、ねこちゃんが知っててくれたんだ。すごいじゃん! ショウも、あんな可愛い子が見ていてくれたってわかって、嬉しいんじゃないの?」


 クマサンの目が輝く。どうやら彼女は俺と違って、芦見ねこというアイドルをよく知っているようだ。俺とも、有名アイドルに注目された喜びを分かち合いたいのかもしれない。でも――


「……ごめん、クマサン。俺、アイドルってあんまり興味なくて……さっき検索して、ようやく芦見ねこって名前を知ったくらいなんだ」

「そっか」


 あれ? てっきりがっかりされるかと思ったのに、クマサンはどこかホッとしたような顔をしていた。……いや、気のせいか? もう一度彼女の表情を確認しようとすると、今度は少し残念そうな顔になっていた。


「でも、どうせならその放送、見たかったなぁ」


 はい、そうくると思ってたよ。そのあたりは抜かりがない。


「放送終了後からTVerで配信されているみたいだから、見る?」

「うん! 見るっ!」


 今や多くの民放の番組がTVerのおかげで、スマホやPC、ネット接続されたテレビで、見逃していても一週間以内なら視聴可能だ。俺はクマーヤの配信中に、芦見ねこが出演していた番組が放送終了後すぐにTVerで配信されていることを確認していた。

 俺は配信に使っていたPCを操作し、該当の番組を再生する。ノートパソコンやスマホでも視聴できるが、やはり少しでも画面が大きい方がいい。

 最初に流れるCMの間に、俺はもう一つ椅子を持ってきて、クマサンの隣に腰を下ろした。

 画面をしっかり見ようと、自然と身体を傾けた結果、気づけば肩が触れ合うほどの距離になっていた。


 ――クマサンからすごくいい匂いがする!


 柔らかく甘い、それでいてどこか涼やかな香りが鼻腔をくすぐる。俺の部屋には本来存在するはずのないかぐわしい匂いに、心臓が一つ大きく跳ねた。


「ショウ、息が荒いけど、緊張してるの? ショウが出るわけじゃないんだから、落ち着いて」

「……ああ」


 危なかった。どうやら彼女は、俺が番組視聴に緊張していると勘違いしてくれたらしい。実際にはクマサンとの距離感や匂いに意識が向いてしまっていたなど、口が裂けても言えない。

 俺は平静を装いながら、画面へと視線を戻す。


 …………。


 番組は、VTRをメインに、ゲストの芸能人がそれについてコメントする、いい意味でも悪い意味でも、よくあるバラエティ番組だった。芦見ねこはレギュラーではなく、単なるゲスト出演。クマーヤが特集されたわけでもなく、イラストが紹介されることもない。

 それでも、MCの有名芸能人が「最近見た映像や動画でおすすめのものは?」と問いかけた際、芦見ねこが「クマーヤっていう、可愛いクマさんVチューバーの配信がお気に入りなんです」と答えたことで、クマーヤの名前が全国ネットで流れた。

 ほんの一瞬の発言。編集でカットされてもおかしくなかったはずだが、「名前がねこなのにクマが好きなの?」「実は私、ネコ派じゃなくて、クマ派なんです!」という軽妙なやり取りがスタジオの笑いを誘ったおかげで、しっかり放送されたようだ。

 正直、期待して見た割にはあまりにも短い露出だったが、それでもこの一言で配信の視聴者が増えたのだから、テレビの影響力というのはすごい。あるいは、俺が知らないだけで、芦見ねこの影響力が想像以上に大きいのかもしれない。


「ねこちゃんの口からクマーヤの名前が聞けるなんて、感動だよ!」


 俺と違ってクマサンは、この内容でも十分に喜んでいるようだった。俺と違って、テレビに関わる仕事をしていた彼女にとって、クマーヤの名前が公の場で語られることの意味は、俺以上に重みを持つのかもしれない。


「それにしても、アイドルまで俺達の配信を知っていてくれたなんて、驚きだな。視聴者にそれらしい名前の人っていたっけ?」

「ん~、ねこっぽい名前の人は何人かいたと思うけど、名前は変えてるだろうし、何とも言えないね。ねこちゃんがアナザーワールドをやってて、出会っていても気づけないだろうし」


 アイドルがアナザーワールドをプレイしている可能性か。少し前なら、そんなことはあり得ないと笑い飛ばしていただろう。けれど、今の俺にはもう、そんな固定観念は通用しない。なにしろ、元声優の熊野彩がアナザーワールドの世界にいて、俺が気づかぬまま一番のフレンドとして過ごしていたくらいなのだから。

 それを思えば、芦見ねこが単に配信を見ていただけでなく、アナザーワールドをプレイして俺達のことを知った可能性だって十分にあり得る。

 それに――なぜか「芦見ねこ」という名前が引っ掛かる。


「……芦見ねこ、あしみねこ……」


 俺は無意識のうちに、その名前を口に出し、違和感の正体を探る。


「アシミネコ……、アシ・ミネコ、……ミネコ」


 その瞬間、俺とクマサンはぴたりと視線を合わせた


「……いや、さすがにミネコさんが、実は芦見ねこだなんて……そんなバカなことがあるはずないよな」

「……だよね。ねこちゃんとミネコじゃ性格というかキャラクターが違いすぎるし……」


 番組で見た芦見ねこは、まさに正統派美少女そのものだった。言葉遣いも丁寧で、下手にふざけるようなそぶりもない。そんな彼女が、思いも寄らない鋭いツッコミを入れたり、とんでもない大喜利を披露したりするのが世間では受けているようだが、少なくとも語尾に「にゃん」なんてつけてバカなことを言っている姿は想像できない。

 だが、テレビも芸能人も、作られたものだ。本来の自分を隠し、カメラの前では芦見ねこというキャラクターを演じている可能性はある。むしろ、その反動で、アナザーワールドの中では本来の自分を120パーセント全開にしているのだとしたら、ミネコのあのキャラクターも理解できる気がしてきた……。


「まぁ、アナザーワールドの世界で、プレイヤーが本当は誰なのか考えるなんて、ナンセンスだよな」

「……だよね」


 俺の言葉にクマサンは小さくうなずいた。

 正体を知られたくないというのは、クマサン自身も同じだろう。その彼女と一緒になってミネコの正体を詮索するなんて、ナンセンスすぎる。


 ――しかし、真実を知りたいという探求心、それこそが人類をここまで進化させてきたのもまた事実。

 俺はクマサンにも内緒で、ミネコ=芦見ねこ説が真実かどうか、確かめることを考えていた。



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