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第154話 反省とレアアイテム

 口止め料? そんなものを要求するつもりは毛頭ないんだが……。

 そんなことを思いながらメッセージを見つめ、とりあえず「はい」を選んだ。

 すぐにトレードウィンドウが表示され、シアの側に一つのアイテムが選択される。

 そのアイテム名を見た瞬間、俺の眉がピクリと動いた。


 ――狂気の仮面。


 ……なにこれ?

 名前からして不吉すぎる。呪いのアイテムだと言われても、全く違和感がない。


 ――もしかして、シアは内心、俺のことめちゃくちゃ怒ってたりしないよな……?


 急に背筋が寒くなる。

 ちらりとシアの顔を見ると、彼女は相変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。

 しかし、もしも彼女が本当に怒っていたとしたら――逆に、この笑顔のほうが怖い。

 若干の不安を覚えつつも、トレードは完了し、俺の所有アイテム欄に「狂気の仮面」が追加された。


「……あの、シアさん、これって?」


 警戒しながら尋ねる。彼女の怒りを買っているのなら、すぐに土下座くらいはするつもりだ。


「さっきHNMの『不死王ネクロヴァルド』を倒してきたんですけど、そのドロップアイテムです」

「――――!」


 俺は驚きで言葉を失った。

 不死王ネクロヴァルド――それは、アンデッドの王とも呼ばれるHNMだ。アンデッド系には料理スキルが使えないため、恐らく俺には一生縁のない敵と言っていい。そんなモンスターのドロップ品ともなれば、俺が手に入れる方法は、大量の金を積んで誰かから買うくらいしかない。

 狂気の仮面は市場でも見たことがないし、もしかすると、とんでもないお宝かもしれない。

 高まる期待を抑えつつ、シアの顔を見る。けれど、彼女はなぜか申し訳なさそうに口を開いた。


「ロットで私が手に入れたんですけど……ちょっと、私には使いこなせそうになくて……」


 膨らんだ希望の隣で、不安がざわめく。

 何かある。彼女の言葉から考えて、決して単なるレアアイテムではないのだろう。

 嫌な予感を抱えながら、俺は急いで手に入れた「狂気の仮面」の説明を確認した。


【狂気の仮面】

【この仮面を身につけると、狂気に取りつかれ、相手にした敵を、命懸けで倒さねばならない仇敵だと認識してしまう。そのため、通常攻撃、アイテム使用、補助系・回復系スキルは使用不可、攻撃系スキルしか使用できなくなる。その代わり、攻撃系スキルのダメージは1.2倍になる】


 こ、これは……。

 まさに「狂気」の名の通り、危険な装備だった。

 通常攻撃を封じられ、回復も補助できず、アイテムすら使えない。

 タンクやヒーラーにとっては、自らの首を絞めるだけの装備だ。

 アタッカーにしても、通常攻撃が封じられるのは致命的。攻撃スキルはSP消費が激しく、連発できるものではない。まるで縛りプレイを強制されるような装備……普通のプレイヤーなら、こんなもの手に入れても倉庫の奥に封印するだけだろう。


「ショウさんなら使いこなせるんじゃないかと思って……。ダモクレスの剣のお礼にはとても足りませんけど、会えたら渡そうと思っていたんです」


 彼女はわかっているのだ。普通のアタッカーにとっては自らを縛る枷にしかならないこの装備が、料理人の俺にはたいしたデメリットにならないことを。

 基本的に通常攻撃のダメージは1。戦闘の主力は、消費SPの少ない料理スキル。実際、俺が敵に与えるダメージのほぼすべてが料理スキルによるものだ。

 サブ職業を白魔導士にすることが多いので、回復や補助の封印は痛いが、ダメージ1.2倍はそれを補って余りある。


「……シアさん、俺ならこの狂気の仮面を使いこなせる……いや、それどころか、まるで俺のためにあるような装備だよ」

「そう言っていただけるのなら、ロットで勝ち取った甲斐がありました」

「ありがとう、シアさん!」


 思わず礼を言うと、シアの顔がぱっと明るくなった。

 俺は手に入れたレアアイテムの効果を噛みしめ、思わず笑みをこぼす。

 そんな俺の様子を見て、シアはまるで自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。


「喜んでもらえたなら、私も嬉しいです」


 形だけの言葉じゃないことは、彼女の表情を見ればわかる。

 本当に、いい人なんだよな……シアって。

 俺がそう思った瞬間、まるで見透かしたかのように、彼女は少しだけいたずらっぽく微笑んだ。

 そして、小さく囁く。


「ダモクレスの剣のお礼のつもりでしたけど……口止め料だと思ってください。だから、私が芦見ねこだってことは、二人だけの秘密ですからね」


 その言葉に、心臓が一瞬だけ跳ねる。

 本気で口止めするつもりじゃないことは明らかだった。むしろ、俺にアイテムを渡すための口実にしている。

 彼女はきっと、俺がこの秘密を誰にも漏らさないと信じてくれているのだ。

 その信頼が、俺の胸の奥に罪悪感を呼び起こす。


 ――シアは、今回のことがなくてもレアアイテムを俺に渡そうとしていた。

 それなのに、俺は……。


 シアの正体を探ろうとしたわけじゃない。

 けれど、アナザーワールドの世界で、キャラの「中身」を確かめようとしていたのは事実だった。

 身近にクマサンという、同じような境遇の人がいるというのに……俺は、一体何をしていたのだろうか。

 ギルドを結成してから、VRもリアルも楽しすぎて、俺は知らず知らずのうちに調子に乗っていたのかもしれない。


 ――ごめん、シアさん。それに、ミネコさんも。


 俺は心の中で二人に詫びる。


「俺の包丁に誓って誰にも言わない。この秘密は墓場まで持っていく」


 真剣な表情で告げると、シアは小さく笑った。


「言っても誰も信じないとは思いますけど……よろしくお願いしますね」


 彼女は微笑んだ。

 この信頼には、応えなければならない。

 ギルドメンバーであっても、シアの秘密は話せない。たとえ、それがクマサンであっても――


 俺は、強力な装備を手に入れると同時に、自らの過ちを深く心に刻んだ。




 翌日、俺は一人、街の喧騒を離れ、ひっそりとした森へと足を踏み入れた。「狂気の仮面」の効果を確かめるには、誰にも邪魔されない場所が必要だった。

 この森は、プレイヤー達にはあまり人気がない。経験値稼ぎの効率が悪く、手に入る素材も凡庸。狩場としての魅力に乏しいため、パーティを組んだプレイヤー達はあまり寄りつかない。

 高レベルプレイヤーが、低いレベルのプレイヤー達の狩場を自己都合で荒らすのは推奨される行為ではないので、何かを試すのにはちょうどよい場所だった。加えて、この森には動物系のモンスターが多く生息しており、料理スキルを試すのにも適している。


「さて……試してみるか」


 俺はアイテムウィンドウを開き、「狂気の仮面」を選択する。アイテムウィンドウから直接装備することもできるが、やはり装備前に実物を見ておきたい。

 次の瞬間、俺の手に淡い光が瞬き、仮面が実体化した。


「これが狂気の仮面か……」


 俺は手にした仮面をまじまじと見つめる。

 白い仮面。フルフェイスではなく、顔だけを覆うデザインだ。材質は不明だが、プラスチックに似た軽さでありながら、指で弾くと金属を思わせる硬質な響きが返ってくる。

 無機質な造形は、人間の顔を模している。滑らかな曲線を描く楕円形のフォルム。目の部分には鋭い横長の黒いスリットが刻まれ、やや吊り上がった形状をしている。鼻の部分は存在せず、口元には細く赤い線が引かれていた。それは、真一文字のようにも、静かに笑っているようにも見える。白い表面に映える黒と赤のコントラストが、なんともいえない不気味さを際立たせていた。

 「狂気の仮面」という名にしては、派手さはない。むしろ簡素で、静謐ですらある。しかし、真の狂気とは、暴力的なものではなく、こうした沈黙の奥底に潜んでいるものなのかもしれない。

 俺は仮面をそっと顔に当て、装着する。ベルトや耳に掛ける部分がないのに、顔にすっと収まった。

 これが現実なら視界が狭くなりそうなものだが、ゲーム世界のおかげで視界には影響はない。むしろ何もつけていないかのようだ。

 俺は身だしなみウィンドウを開いた。

 現実世界なら鏡でも使わないと自分の顔を見ることはできないが、アナザーワールドでは、身だしなみウィンドウを開けば、あらゆる角度から自分の姿を映し出すことができる。


「……意外と格好いいんじゃないか、これって」


 ウィンドウに移る自分の姿を見て、思わず口元がほころぶ。

 白い仮面をつけた俺の顔には、無機質な静謐さが漂い、どこか異質で孤高な印象を与えていた。感情を押し殺したその造形は、どことなく怪しく、それでいてクールだ。

 中二心をくすぐるというか、今までの俺になかったスタイリッシュさが漂っている気がする。

 そう思いながら、自分の姿に見入っていたその時――ふと茂みの奥で枝の折れる音がした。

 俺は目を凝らし、モンスターの存在を探る。


「……この仮面の効果を試すにはちょうどいいな」


 視線の先にいたのは、魔猪まちょと呼ばれる猪モンスターだった。



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