ミスリルゴーレムに殴られながら、俺は死を実感する。スキル封印さえ解ければ、まだ勝機はあるかもしれない。だが、仮にギリギリで解けたところで、回復がなければ結局死ぬだけだ。
壁の向こうにはミコトさんがいるはずだ。しかし、仲間にスキルを使う場合は、相手の姿が見えていなければならない。俺と仲間達を分断する壁が、その可能性を断ち切っていた。ミコトさんの支援を受けられなければ、ミスリルゴーレムと殴り合いになったとしても、先に死ぬのは俺のほうだろう。
【ミスリルゴーレムの攻撃 ショウにダメージ67】
システムメッセージが無機質に浮かんでくる。
ゴーレムの拳が俺の体力をさらに削り取った。
「みんな、ごめん……俺は死に戻りする。三人とも、無事に脱出してくれ」
死を覚悟した俺は三人に最期の言葉を残した。
俺が死ねば、ゴーレムを倒せるアタッカーがいなくなる。タンクとヒーラーが残るので、死ぬことはないだろうが、倒しながら進んできた今までと違い、この先は逃げながら戻らなければならない。そんな負担を強いることが申し訳なかった。
『ショウ……』
『こんなとこで一人で死ぬなよ、バカ……』
クマサンもメイも、もうどうにもならないことを理解しているようだった。だが、ただ一人、ミコトさんだけは違った。
『ショウさん! 私がいる限り、こんなところでは死なせません!』
ミコトさんの必死な声がパーティチャットで聞こえてくる。顔は見えずとも、彼女が今どんな表情をしているのか手に取るようにわかった。
「ありがとう、ミコトさん。……その気持ちだけで十分だ」
『ショウさん! 壁のすぐそばに来てください!』
別れのつもりで口にした言葉を、ミコトさんはあっさり拒絶した。彼女の声には、諦めの色は微塵もない。何か考えがあるのだろうか?
だが、壁の両側から「せーの」で同時に殴ったとしても、壁破壊なんてできるはずがない。そんなことは、ミコトさんもわかっているはずだが……。
「俺のすぐ後ろは壁だよ」
とりあえず状況を伝えたが、どうにかなるとは思えなかった。
【ミスリルゴーレムの攻撃 ショウにダメージ66】
空気の読めないミスリルゴーレムは、俺達のやりとりなどお構いなしに淡々と殴ってくる。
ああ、そうか。
ミコトさんの伝えたいことが、俺にもわかった。
死ぬのならせめてミコトさんのそばで――そういうことなのだろう。
彼女は巫女だ。俺の魂は安らかに街まで戻ることができるだろう。
南無……。
――などと思っていた俺を、ふいに優しい光が包み込んだ。
【ミコトは範囲ヒール・大を使った】
【ミコトの体力が0回復】
【ショウの体力が240回復】
【クマサンの体力が0回復】
【メイの体力が0回復】
――――!?
大幅に減っていた俺の体力ゲージが、一気に回復した。
『よかった……。思った通り、範囲ヒールなら壁越しでも回復可能でした』
ミコトさんの安堵した声が、パーティチャットを通じて響いた。その声音からも、この作戦が彼女にとっても一か八かの賭けだったことが伝わってくる。
なるほど――通常のヒールは目標を視認しないと発動できないが、範囲ヒールは別だ。スキルの仕様上、目標となったプレイヤーの一定範囲内にいるパーティメンバーをまとめて回復する。そのため、ミコトさんは壁のすぐ向こうに立ち、自分を中心に範囲ヒールを使うことで、壁越しに俺にまで効果を及ぼしたのだ。
この状況で、それを見抜いて即座に実行できるミコトさんの判断力に、改めて驚かされる。
「ありがとう、ミコトさん!」
これまで何度、彼女がうちのヒーラーで良かったと思ったことだろうか。その数が、また一つ増えた。
『ショウ! 今のうちだ! ミコトが回復してくれるうちに料理スキルをぶちかましてやれ!』
クマサンの熱い声が、俺の耳に届く。
…………。
そうか。みんなはまだ知らないんだった。――俺がスキル封印状態なことを。
「あー……ごめん。宝箱を開けた時にスキル封印状態を食らってて、料理スキルを使えないんだ……」
『はぁ!? 何をやってるんだ!?』
ああ、クマサン、俺をそんなに責めないでくれ……。一番腹を立てているのは、間違いなく俺自身なんだから。
「すまない……。ミコトさん、そういうわけだから、もう回復は――」
【ミコトは範囲ヒール・中を使った】
【ミコトの体力が0回復】
【ショウの体力が120回復】
【クマサンの体力が0回復】
【メイの体力が0回復】
回復はもういい、と言いかけたのに、その言葉を遮るかのようにミコトさんからヒールが飛んできた。
「ミコトさん、回復してもらっても、俺には攻撃手段が――」
『だったらスキル封印が自然回復するまで、私が回復し続ければいいだけです!』
ミコトさんの強い覚悟のこもった声が、俺の情けない言葉をかき消した。そのまっすぐな意志に、思わず息を呑む。
ミコトさん……格好良すぎ。……マジで惚れそう。
こうして、一方的に攻撃を受ける無様な俺を、ミコトさんは壁の向こうからひたすら回復し続けてくれた。
しかし、範囲ヒールは通常のヒールよりもSPの消費量が激しい。単体回復の倍のコストがかかるため、回復対象が二人ならトントン、三人以上でようやく効率的な回復手段となるスキルだ。
だが、今回の回復対象は俺だけ――つまり、彼女のSPは通常の倍の早さで減っていくことになる。
これは時間との戦いだ。
俺のスキル封印が解けるのが先か、ミコトさんのSPが尽きるのが先か。
――頼む! どうか間に合ってくれ!
拳を握りしめ、攻撃を耐えながら祈る。
その瞬間――
【ショウはスキル封印状態から回復した】
――きたっ!
『ショウさん!』
ミコトさんの叫びが聞こえる。焦りと期待の入り混じった声。それに応えないわけにはいかない。
「わかってる! ここからは反撃だ!」
包丁を握り直し、今までの鬱憤を晴らすかのように料理スキル「みじん切り」を放った。
【ショウの攻撃 ミスリルゴーレムにダメージ485】
鋭い刃がゴーレムの輝く体をえぐり、体力ゲージを削る。敵の体力は膨大で、今のは小さな傷かもしれない。だが、それでも確かなダメージだ。
一対一では敵の背後を取ることはできず、攻撃箇所の補正は受けられない。それでも、この硬いミスリルの巨躯に、これだけのダメージを通せるアタッカーが、一体どれほどいるだろうか?
俺なら、一人でもこいつを削り切ることができるはずだ!
だが、そう思った矢先――
【ミスリルゴーレムの攻撃 ショウにダメージ133】
今までの二倍の量の体力ゲージが削られる。攻撃に転じれば防御状態が解除されるのは、当然のことだった。
ここからはガチの殴り合いだ。
見た目は一対一のタイマン。
本当のタイマンなら、間違いなく俺が負ける。
だけど――俺は一人じゃない。
厚い壁越しでも俺はミコトさんの存在を感じている。
これほど心強いことはない!
「スキル、乱切り!」
【ショウの攻撃 ミスリルゴーレムにダメージ404】
閃く包丁。ゴーレムの硬質な装甲に深く切れ込みが入った。
しかし、返すように巨大な拳が振り下ろされる。
【ミスリルゴーレムの攻撃 ショウにダメージ135】
鋭い衝撃に、息が詰まりそうになる。
料理スキルには重量制限があるため、防御力の高い重装備は身につけられない。鎧を着て料理なんてナンセンスすぎるから、ある意味、当然の仕様だ。
だが、それゆえ俺の装備は、服を強化したクロースアーマー。物理攻撃をまともに受ければ、こうして容赦なく削られていく。
【ミコトは範囲ヒール・大を使った】
【ミコトの体力が0回復】
【ショウの体力が240回復】
【クマサンの体力が0回復】
【メイの体力が0回復】
すかさず、ミコトさんからヒールが俺の身体を優しく包んだ。
――ありがたい!
この回復がある限り、俺は倒れない。
だからこそ、俺は前を向く。
敵に集中し、包丁を振り続けた。
だが――戦況に変化が生じる。
防御に徹していた時は、ミコトさんのヒールと受けるダメージがほぼ均衡していた。しかし、防御を解いて攻撃に転じたことで、そのバランスが崩れた。
スキルには、再使用までのクールタイムが存在している。被ダメージが大きすぎて、ヒールが追いつかなくなっていった。
減っては増える体力ゲージ。けれども、減る量の方が確実に多い。
このままでは、じり貧だ。
防御に戻れば体力は維持できるかもしれないが、それでは勝負を決められない。ただミコトさんのSPを無駄に消耗させ、いずれ回復できなくなるだけだ。
『このままじゃゴーレムより先にショウの体力が尽きるぞ!』
『何とかとかしてみせてくれよ!』
クマサンとメイの焦り混じりの声が飛ぶ。
ヤジなのか、応援なのか……どちらにしても、何とかできるのならとっくにやっている。
俺はただスキル攻撃を繰り返した。
――しかし、先に限界を迎えたのは、俺の方だった。
【ミスリルゴーレムの攻撃 ショウにダメージ131】
鈍い衝撃とともに、体力ゲージが三桁を切る。
ついに残り体力が二桁に突入――次の一撃で確実に終わる。
だが、ミコトさんの範囲ヒールはまだクールタイム中。
――やべぇ! ここまでしてもらったのに、これは死ぬ。
わかっていても、俺にできることは攻撃することだけだった。アニメや小説と違って、ゲームに奇跡は起こらない。
無駄になるとわかっていても、俺は包丁を握る右手を振り上げた。その時――
『巫女の祝福!』
インフェルノ戦でも聞いたミコトさんの力強い声が響き渡る。
【ミコトはリミットスキル巫女の祝福を使った
ミコトの体力は全快した
ショウの体力は全快した
クマサンの体力は全快した
メイの体力は全快した】
一瞬、理解が追いつかなかった。
視界の端で、わずかに残っていた体力ゲージが、一気にフルまで回復する。
「ミコトさん……!」
息を呑む俺に、彼女の声が響く。
『私が生きてるうちは、ショウさんを死なせません!』
その一言に、心臓が強く打った。
――なんて頼もしいんだ。マジで愛してる。
再使用まで24時間必要なリミットスキルを、ミコトさんは俺のためだけに使ってくれた。このスキルなら、壁があろうと問答無用で体力を全快させてくれる。代わりにミコトさんが膨大なヘイトを稼ぐことになるが、壁のおかげで彼女が狙われることはない。
とはいえ、戦況が逆転したわけではない。この先は、また俺の体力が次第に削られることになる。もう「巫女の祝福」は使えない。
――だけど、時間的猶予はできた。
「……ここで倒し切れなきゃ、男じゃねえ!」
震える拳を握りしめ、俺は包丁を構える。渾身の力を込めてスキルを発動した。
「スキル、みじん切り!」
【ショウの攻撃 ミスリルゴーレムにダメージ499】
気合いのこもった一撃が、ミスリルゴーレムをえぐった。
金属が跳ね散るエフェクトが、敵ももう限界に近いことを物語っている。だが、それでも奴は止まらない。
「いい加減に死んどけよ!」
反撃の拳が飛んでくるが、負けじと再びスキルを放つ。
無機質なゴーレムと、熱く吠える俺との殴り合いが続いた。
こちらがどれだけ削ろうとも、奴は確実に拳を振り下ろしてくる。
フルまで回復してもらった体力は、また大きく減っていた。
二度目の「女神の祝福」はない。あとはもうどっちが先に体力がゼロになるかの勝負だ。
互いにギリギリの戦い――だけど、だからこそ……!
「負けるわけにはいかない!」
吼えるように叫び、踏み込む。
ゴーレムの拳が目前に迫るが、俺はひるまない。
この一撃で決める――!!
「スキル、ぶつ切り!」
全力一閃が、ミスリルの輝きを貫いた。
刹那、ゴーレムの動きが止まる。
ミスリルの輝きが、一瞬だけくすんだように見えた。
そして――次の瞬間、巨体が音を立てて崩れ落ちた。
俺の体力はまだ1/4ほど残っている。
「……勝った」
実感が、じわりと湧き上がる。
だが、この勝利は俺の力じゃない。
この勝利はミコトさんのおかげ――いや、もはや彼女の勝利と言っていい。
「ありがとう、ミコトさん」
俺はミコトさんに勝利を捧げるように、トドメを刺した包丁を握った右手を天に突き上げた。