ようやくの勝利に肩で息をついていると、背後から鈍い振動と軋むような音が伝わってきた。
振り向くと、あれほど固く閉ざされていた壁がゆっくりと上がっていく。
どうやら、ミスリルゴーレムを倒せば開く仕掛けだったらしい。倒して出るか、敗北して死に戻りか――逃げるという選択肢のない恐ろしいトラップだった。
「ショウさん! 無事で何よりです」
開いた壁の向こうから、真っ先に駆け寄ってきたのはミコトさんだった。息を呑んだまま俺の顔をじっと見つめ、その表情が安堵へと変わっていく。怒られるのを覚悟していたのに、むしろ心配しすぎたせいで気が抜けたような笑顔を見せられると、余計に申し訳なくなってくる。
「……ごめん、ミコトさん。そして、ありがとう」
「もう……あんまり心配かけさせないでくださいね」
微笑むミコトさんを見て、改めて彼女がいてくれて良かったと身に染みて思う。
だが――
「……ショウ、一人で勝手に隠し部屋に入ったりするからこんなことになるんだぞ」
ミコトさんの後ろで腕を組みながら睨みを利かせているクマサンは、しっかりお説教モードだった。
「面目ない……」
反論の余地はない。俺が浅はかだった。
別に、宝箱の中身を独り占めしようとしたわけではない。ただ、隠し部屋と宝箱を目の前にしたら、冒険者としての好奇心が抑えられなかった。
「そういうときは俺を一緒に連れていけばいいのに……」
「ごめんってば。だって、今まで誰も発見していない場所を俺が初めて見つけたんだから、その気持ちを少しはわかってよ……」
俺は心底反省しつつも、冒険者としてのロマンへの理解を求めた。
未知との遭遇。その興奮は、誰にだってわかるはずだ。
だけど――
「誰も発見していない場所って……ショウはこのミスリルゴーレムトラップ部屋のことを知らなかったのか?」
クマサンの隣で、メイが呆れたように眉をひそめる。
「……え?」
「鍛冶師の間では、確定でミスリルゴーレムと戦えるこの隠し部屋は有名だぞ? まぁ、私も来るのは初めてだけど」
有名? え、ちょっと待って。俺はてっきり未踏の場所を発見したと舞い上がっていたのに、実は誰でも知ってる場所だったのか?
この鉱山には、クエストの関係で足を運んだことはあったが、ゴーレムばかりが出現するせいで料理スキルが役に立たず、正直あまり馴染みがなかった。そのせいで、俺が無知なだけだったかもしれない……。
何とも言えない敗北感に襲われながら、俺はクマサンの方に顔を向けた。
「……クマサンは知ってた?」
「いや、俺も知らなかった」
首を振るクマサン。続いて、目の前のミコトさんに視線を向ける。
「この鉱山にトラップ部屋があるとは聞いていましたが、詳しいことまでは知りませんでした」
そういう彼女の表情からも、特別な情報として知っていたわけではないことがうかがえる。
つまり、誰もが知るレベルの話ではないが、ある程度の情報通なら把握しているような知名度はあるらしい。新発見だと興奮していた分、落胆は大きい。
「……そうか。俺が第一発見者じゃなかったのか」
肩を落とす俺に、メイが少し考えたあとで言った。
「まぁ、でも、何の情報もなしにこの部屋を見つけたのは、割とすごいと思うぞ。最初に発見した奴は、ネットで『よくこんなの見つけたな』ってかなり賞賛されてたしな。しかも、確定でミスリルゴーレムが出てくる。トラップは一度発動しても、一時間後には元に戻るから、何度でもミスリルゴーレムが狩れるって」
――――!
そこまでわかっているのか。でも、それなら……。
近くにほかのパーティの姿はない。このまま粘れば、ミスリルを何度もゲットするチャンスでは!?
新発見ではなかったが、資金稼ぎの好機と考えれば、まだ希望はある。
しかし、メイは少し渋い顔をして言葉を続けた。
「けど、宝箱を開けた瞬間に、部屋の中にいるプレイヤー全員が強制でスキル封印状態になる。しかも、部屋の外でスキル封印を回避しても、壁が下りて物理的に分断されるんだ。リスクが大きすぎて、結局誰も狩らなくなったんだよな。アタッカーだけのパーティなら、アイテムで回復しながら戦うって手もあるが、普通のパーティじゃ、運が悪ければ死人が出る」
「…………」
膨らんだ期待は、まるで穴の開いた風船のようにしぼんだ。
確かに、ミコトさんの回復も、クマサンの挑発もなしで、あのミスリルゴーレムと戦うことを想像したら……絶望しかない。
ミコトさんが部屋の外にいて、スキル封印を食らわなかったのは、むしろ幸運だったのかもしれない。とはいえ、それでも「巫女の祝福」まで使わせてしまった。再挑戦するくらいなら、レアポップするのを期待してミスリルゴーレムを探し回るほうが、よほど賢明だろう。
「ショウ、そんなにがっかりするなよ」
どうやら、俺の表情にははっきりと失望が滲んでいたらしい。メイが気遣うように声をかけてくれた。
「少なくともショウのおかげで、今回はミスリル素材のほかにルーンミスリルがドロップしているぞ」
その言葉に、ミコトさんとクマサンが目を見開いた。
「本当ですね! すごい!」
「そんなレア素材が出たのか。ショウって運がいいのか悪いのか、よくわからないな」
ドロップアイテムを確認したのだろう、二人の声には驚きが混じっていた。
つられるように、俺もドロップアイテムウィンドウに目を向ける。
今回の戦利品は、ミスリル素材が三つと、ルーンミスリルが一つ。ミスリル素材は採掘でも手に入るが、ルーンミスリルはルーン文字が刻まれた神秘のミスリルで、現状ミスリルゴーレムからのレアドロップでしか入手できない貴重なものだ。魔法系スキルを強化する武器や防具、魔法耐性を高める防具など、用途は多岐にわたる。
残念ながら、包丁用のレシピは存在しないため、俺にはあまり縁がなさそうだが……クマサンなら魔法耐性を上げる防具に、ミコトさんなら魔力強化や魔法耐性装備に活用できる。鍛冶師のメイに至っては、いくらでも使いようがあるだろう。
「ここはロット勝負ですね!」
ミコトさんの声には気合いがこもっていた。
正直なところ、俺としてはさっきの戦闘で助けられたこともあり、ミコトさんに手に入れてもらいたい。ルーンミスリルは魔力強化にも魔法耐性にも使えるが、特に魔力強化の用途での価値が高い。このパーティで魔力強化の恩恵を受けられるのはミコトさんだけだ。パーティ全体の戦力強化を考えれば、彼女の装備に使うのが理にかなっている。
だから、俺が「ミコトさんに譲ろう」と提案すれば、クマサンもメイも納得してくれる可能性は高かった。だが、ミコトさんの方から「ロット勝負」と言い出した以上、いまさらその提案はしづらい。それに、素材アイテムは平等にロットで決めるというのが、俺達の暗黙のルールだった。
「ショウさん、そんな渋い顔をして……もしかして『自分一人で倒したから、自分が貰うべき』とか思ってないですよね?」
ミコトさんが冗談交じりに言ってくる。本気でないことは、口調や表情からもわかる。
だが、違うんだ! 俺は君に手に入れてもらいたいんだよ!
「そんなことは少しも思ってないよ……」
「わかってますって。ショウさんはそういう人ですから」
いや、わかってないって……。
ああ、もう! こうなったら、ミコトさんのロット数値が大きいのを祈るのみだ!
「えいっ!」
気合いの声とともに、ミコトさんのロット数値が表示される。――715。
ユニオンなら到底勝てない数値だが、四人パーティなら悪くない。
続いて、クマサンとメイもロットをするが、二人の数値は517と328。ミコトさんがトップのロット数値で、俺は密かに胸を撫で下ろした。
残るロットは俺だけ。しかし、俺はロット運の悪さに定評がある。どうせ低い数値が出るだろう。
そう高を括りながら、ルーンミスリルにロットをする。
……922。
なぜ、こういう時に限って、こんな数値が出るんだ。
「あー、負けましたぁ。残念です」
ミコトさんが肩をすくめ、あっさりとした口調で言う。
「ショウさん、おめでとうございます」
恨み言ではなく素直な祝福の言葉。それが余計に、俺の胸を締めつけた。
きっと一番欲しかったのはミコトさんだろうに、それをおくびにも出さずに「おめでとう」と言えるのがミコトさんという人だ。だからこそ、俺のアイテムウィンドウに収まったルーンミスリルの存在が、やけに重く感じられる。
「……ミコトさん」
悔しさもあるだろうに、それでも笑顔を向けてくれる彼女に、俺はただその名をつぶやくことしかできなかった。ここで「譲るよ」とトレードを申請するのは簡単だ。でも、ロット勝負を自ら提案したミコトさんに対し、それはかえって失礼になる。ゲーマーとしての矜持を、俺も理解していた。
「ミスリルゴーレムを探しにいきましょう! 今度ルーンミスリルがドロップしたら、今度こそ私がゲットしてみせます!」
「そうだね。頑張って見つけよう!」
あくまで前向きなミコトさんに、俺も力強くうなずく。
そうだ、今の俺にはミスリルゴーレムを倒す力がある。もうミコトさんの「巫女の祝福」はないが、クマサンがターゲットを取ってくれて、ミコトさんとメイが支えてくれれば、あんなに苦戦することもない。
「みんな、ゴーレムを狩りまくるぞ!」
「はい!」
「おう!」
「ああ!」
俺の掛け声に三人が応じてくれた。
しかし、この後、かなりの時間、鉱山にこもってゴーレムを狩り続け、ミスリルゴーレムとも幾度か遭遇したものの――ついに、ルーンミスリルがドロップすることはなかった。