結局ルーンミスリルを手に入れたのは俺だけだった。ゴーレム狩りを終え、街に戻ってきた俺は、貴重なルーンミスリルをそっとマイルームの倉庫にしまうと、それ以外のドロップ素材をすべて換金することにした。
メイならば、手に入れた素材を鍛冶に活かせるのだろうが、料理人である俺にとって、それらはただの換金用アイテムに過ぎない。もっとも、幸運なことに今回の狩りはかなりの成果があった。ゴーレムからの素材をすべて売り払うと、思いがけずまとまった資金が手元に転がり込んできた。時間あたりの収益を考えれば、過去最高の稼ぎだったかもしれない。
メイには借金があるため、少しでも返済の足しにと金を渡そうとしたのだが、「今はまだいい」と拒まれてしまった。彼女なりの考えがあるのかもしれないが、なんとなく釈然としない。確かに、手元にまとまった金があるのはありがたい。だが、この調子だと、いつまで経っても借金が返せないのではないかという不安が頭をよぎる。
……もっとも、ゲームの中での借金は、現実のそれとは違い、それほど深刻なものではない。むしろ「もっと頑張らないと」とモチベーションに繋がることすらある。
「……それに比べて現実の借金は恐ろしい」
幸運なことに、俺自身は現実で借金をしたことはない。会社を辞めた後、貯金を切り崩しての生活を続けているが、なんとか借金をせずに済んでいる。それどころか、最近ではVチューバー活動のおかげで、貯金が減るどころか逆に増えそうなほどだ。
「シアさんの影響は大きかったなぁ……」
芦見ねこ――シアさんのリアルでの姿である彼女の宣伝のおかげで、生配信の同時接続者数も、動画の再生数も一気に伸びた。この前までは、「家賃くらいはなんとかなるかも」と思っていた程度の配信収益が、今では四人で分配しても、生活費を賄い、なおかつプラスが出そうなほどになってきた。
「配信ドリーム、おそるべし……」
とはいえ、この人気がいつまでも続くと楽観視はしていない。もちろん、人気を維持する努力は惜しまないつもりだが、配信も動画投稿も生ものだ。トレンドから外れれば、一気に底辺Vチューバーに逆戻りすることは容易に想像できる。
だからこそ、俺は自分の資金計画にじっくりと向き合わなければならなかった。
アナザーワールドではなく、現実世界の自分の部屋で、俺はモニターに映したエクセルに打ち込んだ数字を睨みつける。
「払わないといけないのは税金だけじゃないからな……」
次の確定申告では、税金はゼロだと思っていた。しかし、Vチューバーを始めて以来、思いのほか収益が伸び、税金を納める必要が出てきたのは間違いない。
もっとも、税金そのものは覚悟していた。問題は社会保険料のほうだ。
会社員だった頃は、健康保険も厚生年金も給与から天引きされていたため、特に支払いを気にする必要がなかった。しかし、仕事を辞めた今は違う。自分で必要な金額を把握し、確保しておかなければ、滞納という情けない事態に陥りかねない。
特に、会社員時代と今とでは、社会保険料の計算方法も金額も大きく変わる。正直、給与計算のプログラムに関わった経験がなければ、そんな事前の想定さえ、もっと苦労しただろう。
「このままだと来年の国民健康保険料はかなり上がりそうだよなぁ……」
俺は今後の収入の見込み額から試算した保険料と、現在支払っている保険料を見比べて、大きくため息をついた。
今の俺が払っている国民健康保険料は、前年度の所得に基づいて計算されている。去年は大した収入がなかったため、現在毎月払っている保険料はわずかな額だ。しかし、今年は配信と動画投稿の収益が大幅に増えている。このままの調子でいけば、来年の保険料は跳ね上がるだろう。
来年も今の配信収入を維持できればいいが、万が一収益がガタ落ちすれば、収入がたいしてないのに高額な保険料を支払い続けるという地獄を見ることになる。だからこそ、今のうちからしっかりと資金を確保しておかなければならなかった。
ちなみに、会社員時代に払っていた健康保険料は、国民健康保険ではなく協会けんぽの健康保険だったので、計算方法が全く異なる。前年度所得は関係なく、その年の給与で金額が決まる。ただし、毎月給与に応じて変動するわけではなく、四月・五月・六月の三ヵ月の平均給与を基準に、標準報酬月額が決まり、それに応じて九月から翌年八月までの保険料が固定される仕組みだ。
つまり、一年間の給与合計や平均ではなく、特定の三ヵ月間の給与が基準になる。そのため、年間の収入が同じでも、四月から六月にかけて残業等で給与が多ければ、その分保険料も高くなるというわけだ。
前の会社は、三月の残業は四月分給与として支払われ、四月の残業が五月分給与として支払われるシステムだった。そのせいで、年度末と年度初めの繁忙期に残業が増え、四月・五月・六月の給与が高くなり、保険料も割高になっていた。この仕組みを知ったときは、「こんなの損するだけじゃないか……」と理不尽に思ったものだ。
「今は年間所得で計算されるから、いつ収益があっても保険料は変わらないんだよな……」
まだ今年の収入は確定しないが、見込みでさくっと計算しただけでもまたため息が出る。
「……来年の保険料は二倍どころじゃすまないな。まぁ、国民年金の方は収入に関係ないだけマシか……」
支払う金額を見ていると気が重くなるが、少しでも前向きに考えようとする。
国民健康保険とは違い、国民年金は収入に関わらず一定額だ。毎年少しずつ上がっているとはいえ、月額約17,000円。無職の頃は厳しかったが、配信で収益が出るようになってくると、収入額が増えても額が変わらないのは助かる。
会社員時代に加入していた厚生年金は、国民年金とは違い、給与が増えれば支払額も増える仕組みだった。計算方法も健康保険と同じで、四月・五月・六月の平均給与を基準に報酬月額が決まり、それに応じて一年間の年金額が決定される。つまり、給与が高ければその分多く払わされるわけだ。
とはいえ、厚生年金や協会けんぽ等の健康保険には大きなメリットがあった。それは、会社が半額を負担してくれることだ。意外と知られていないが、給与明細に記載された社会保険料と同じ額を、会社が支払ってくれていたのだ。
四月から六月の平均給与で保険料と年金額が決まるため、年間平均額で計算するより高くなって損じゃないかと思ったこともあった。しかし、支払う額が増えれば将来の年金額も増えるし、健康保険の給付額も手厚くなる。そして、そのための保険料を会社もより多く負担してくれているわけだから、単純に保険料が高い=損というわけでもなかったのだ。むしろ、考えようによっては得していると言えないこともない。
だが、今となってはそれも過去の話。配信者となった俺にはもう関係のないことだ。
社会保険や税金の仕組みを理解すればするほど、会社という組織に守られていたことを痛感するが、それ以上に個人で生きていく道が開けたことに希望を感じていた。
「クマーヤの活動、これからも頑張っていかないとな。これはもう俺だけの問題じゃないんだし……」
俺は机の脇に置いた資料に目を向けた。
それは、クマサン、ミコトさん、メイから聞き取った個人情報などをまとめたものだ。
彼女達の確定申告などをサポートするにあたって、彼女達の年齢や扶養の有無、配信以外の収入などを把握しておかねばならないため、今のうちから情報を集め始めていた。
特にミコトさんはまだ高校生だ。親は会社員だそうなので、親の扶養にも入っているだろう。その場合、配信での収入を分配して、ミコトさんの所得が一定額以上になれば、税や保険の扶養から外れることになる。税の扶養から外れても、親の税額が多少増えるだけなのでまだいいが、健康保険の扶養はそういうわけにはいかない。いわゆる「130万円の壁」というやつで、収入が130万円以上になると、たとえ高校生であっても国民健康保険に加入し、自分で保険料を払わなければならなくなるのだ。
「このままだと、ミコトさんの収入が130万円を超える可能性が出てくるよな……」
机に肘をつきながら、俺はエクセルの計算式を見つめた。
ミコトさんの取り分は、俺やクマサンより少なく設定したが、それでも今の配信が好調な今のペースなら、130万円の壁を越えてしまう。たとえ今年はセーフになっても、このペースを維持できれば、来年は確実に超える。
「ミコトさんが高校生の間は、取り分を調整して130万円未満に抑えたほうがいいのか……?」
合理的に考えれば、そのほうがミコトさんにとって負担は少なくなる。だが、それは彼女の稼ぐ権利を制限することにもなる。本来なら、収入が増えるのは良いことのはずだ。それに、もしこのままクマーヤの人気がさらに伸びれば、いずれ扶養の枠を気にする必要がなくなるほど稼げるようになるかもしれない。
問題は、ミコトさんが親にこの話をちゃんと説明できるかどうかだった。
「……大人の責任として、俺が説明するしかないよな」
娘がよくわからない金を得て扶養から抜ける――そんな話を突然されたら、親なら誰だって驚くだろう。最悪、不信感を抱かれ、ミコトさんと関わるのを禁止される可能性すらある。だからこそ、俺が事情をしっかり説明し、納得してもらう必要があった。
俺は資料を手に取り、ミコトさんの生年月日を指でなぞる。
――高校生か。
年齢の数字を見て、改めて彼女との違いを実感する。俺は無職とはいえ、こうして彼女をサポートする立場にある。配信の仲間として、そして同じゲーム仲間として。
「……ん?」
決意を固めた矢先、ふと生年月日を見て、あることに気づいた。
「……もうすぐミコトさんの誕生日じゃないか」
ミコトさんとは以前からフレンド同士であったが、お互いの誕生日を話題にすることはなかった。そうやって知らないままなら良かったが、こうやって知ってしまうと、何もしなくていいのだろうかと考えてしまう。
なにしろ、彼女は現在不登校中だ。友達に誕生日を祝ってもらえない可能性が高い。
そもそも、そうやって祝ってくれるような友達がいれば、不登校になんてなっていないかもしれない。
「……だったら、せめて俺くらいは何かプレゼントしてもいいよな」
とはいえ、リアルで何かを渡すのはさすがに抵抗がある。いい大人が、高校生の女の子にプレゼントを渡すために会いに行くなんて、それこそ不審者認定されかねない。
となれば、やはりゲームの中がいい。ゲームアイテムなら、受け取る側も気軽だろうし、俺自身も変な気を遣わずに済む。
それに、俺のアイテムボックスには、ルーンミスリルがある。
ロット勝ちしたものをあの場で譲り渡すのは、ゲーマーとしての矜持に欠ける行為だが、誕生日プレゼントとして渡すのなら、話は別だ。
「でも、ルーンミスリルそのままっていうのも芸がないよなぁ……」
何か、もう少し特別な形にできないだろうか。
ぼんやりと考えながら、あることに気づいた。
――そういえば、こうして女の子への誕生日プレゼントについて思い悩むなんて、これが初めての経験かもしれない。