ついにミコトさんの誕生日がやってきた。
今日はギルドメンバーで狩りに行く予定だと話しておいたため、彼女がログインすることは確認済みだ。
そして、その集合時間よりも前に、俺とクマサン、メイの三人は、三つ星食堂の個室に集まっていた。
来賓を待たせるわけにはいかないからな。
「……今さらだけど、俺は俺でプレゼントを用意しておいた方がよかったかな」
そわそわと落ち着かない様子で、クマサンが不安げにつぶやく。費用負担についてはメイが話をつけてくれていたが、いざこの場に立つと、自分の負担が少ないことに引け目を感じたのかもしれない。
こういう時に、さりげなく気の利いた言葉をかけられる男こそ、スマートな大人というやつなのだろう。そんなことを思いながら、俺が何か言葉を探そうとしたとき――
「クマサン、確かにプレゼントをもらえるのは嬉しいことだろうよ。でも、一番嬉しいのは、きっと、自分のことを祝ってくれる人がいるって実感することだと私は思うよ」
メイがクマサンの肩に手を置き、穏やかに微笑みながらそう言った。その言葉に、クマサンはどこか安心したように小さくうなずいた。
……やべぇ、メイ、格好いい。
俺が憧憬の念を抱いてメイを見つめていると、彼女もこちらに視線を向け、ふと真顔になった。
「それよりショウ、ケーキの用意は忘れてないよな? ショウが自分で用意すると言っていたから任せていたけど、念のため私も人数分のショートケーキは持ってきたぞ」
さすがメイ。抜かりがない。
でも、心配には及ばない。俺は自信満々に胸を張る。
「おいおい、メイ。俺が誰だか忘れたのか?」
したり顔で問いかける俺を見ながら、メイは小首を傾げた。
「……無職のVチューバー?」
「ちげーよ!――って違わないけど、リアルの話じゃなくて、ゲームの話だよ!」
「……自称最強アタッカー?」
「自称って言うな! そうじゃなくて、料理人だよ、料理人!」
俺の叫びに、メイはくすりと笑う。
くそっ、からかってやがるな。
咳払いして気を取り直し、俺は改めて二人に向き直る。
このゲームには、スイーツのレシピはそれなりにあるが、意外にもケーキの種類はあまり多くない。イチゴのショートケーキ、チョコレートショートケーキ、モンブランなど、定番のバリエーションはいくつか揃っているが、それらはサブ職業を料理人にすれば誰でも作れるような簡単なものばかりで、特別感には欠ける。
だが、俺は料理人だ。サブ職業では到底作れないものを生み出せる。
「見てくれ、これがミコトさんのために特別に用意した俺のケーキだ!」
アイテムボックスから具現化させたそれを、自信満々にテーブルの上へと置いた。
チョコレート色のホールケーキが、天井で輝く魔光石の灯りを受け、まるで宝石のように上品な光沢を放つ。滑らかにコーティングされたチョコレートのグラサージュは、一切の乱れもなく、まるで鏡のように艶やかに光を映し込んでいる。余計な装飾は一切なし。側面に至るまで均一に覆われたチョコレートは、まるで深い闇のような重厚な美しさを持ち、見る者に濃厚な甘美の予感を抱かせた。唯一、中央に添えられた小さなチョコレートプレートには、優美な筆跡で「ミコト」の名前が刻まれ、その存在を主張していた。それは、ただのケーキではなく、もはや一つの芸術品だ。
二人もきっとこの美しさに見とれているだろうと思って視線を向けると――
「シンプルというか……」
「……なんだか地味だな」
残念なことに、二人の反応は俺の予想と少々――いや、かなり違っていた。
……あれ?
もしかして、俺、やらかした?
「チョコレートケーキか。ミコトもチョコレートは好きなはずだけど……」
「誕生日のケーキといえば、普通は白いクリームいっぱいのケーキじゃないのか?」
二人がさらに追い打ちをかけてきた。
だけど、俺は退かない。
「ただのチョコレートケーキじゃないよ! これは、ザッハトルテ!」
「……強そうなケーキだな」
メイが腕を組み、微妙な表情でつぶやいた。
確かに、名前の響きだけなら、武器にしたら強そうな名前のスイーツランキングで上位に食い込みそうだ。
だが、俺がこのケーキを選んだのは、決して名前の格好よさが理由ではない。
ザッハトルテ――オーストリア発祥の、由緒正しきチョコレートケーキ。「チョコレートケーキの王様」とも称され、貴族達の舌を魅了し続けてきた。
時は1832年。オーストリア帝国の宰相、クレメンス・フォン・メッテルニヒが、彼に仕える料理人たちに「新たなデザートを作れ」と命じたとき、それに応えたのが若き料理人、フランツ・ザッハーだった。彼が生み出したのが、アプリコットのジャムを挟み込み、艶やかなチョコレートをフォンダンで包み込んだこの逸品――ザッハトルテだ。そのレシピは長らく門外不出とされ、伝統と誇りを背負った一品となった。
そんな気品溢れるケーキだからこそ、ミコトさんの誕生日ケーキに相応しいと俺は思ったのだ。華美な装飾ではなく、シンプルでありながら高貴な存在感。口に入れた瞬間、しっとりとしたチョコレートの生地が広がり、甘酸っぱいアプリコットのジャムがその味わいを引き締める。これ以上にミコトさんに相応しいケーキがあるだろうか?
「ミコトさんならきっとわかってくれる!」
「……そうかな?」
メイはまだ疑問の表情を浮かべていたが、俺は気にしないようにし、一本の赤いローソクをアイテムボックスから取り出し、テーブルの上に飾った。
「……それは?」
「レインボーキャンドルだよ」
「おお、それが噂の!」
レインボーキャンドル――それは、火を灯すと七色に変化しながら輝く、ゲームならではの幻想的なロウソクだ。「恋人同士で一緒に見ると、二人の関係は永遠に続く」というロマンチックな噂とともに、一時は爆発的な人気を博した。その結果、市場では異常な高値で取引されたりもしていた。
もっとも、俺にはまったく縁のない代物だったので、バカ高い値段で購入するプレイヤーを冷ややかな目で見ていたものだ。今は価格も落ち着いているので、今回誕生日を盛り上げるために初めて購入してみたのだが……クマサンとメイの反応を見る限り、二人も俺と同じ境遇だったようだ。それを知り、なんだか妙な安心感を覚えてしまう。
「……でも、ロウソクって、普通はケーキの上に立てるものじゃないのか?」
メイが首をかしげる。
「しょうがないだろ。システム的に、食べ物の上にアイテムは置けないんだから」
VRゲームとはいえ、現実のように何でもできるわけじゃない。食べ物がほかのアイテムで潰れることがないようにという配慮なのか、食べ物の上にはほかのアイテムを置くことができない仕様になっている。試しに、ケーキの上でロウソクから手を離してみたが、何度やっても、ケーキに触れることもなくただテーブルに転がってしまうだけだった。
「だいたい、こういうのは雰囲気が大事なんだよ!」
そう言いながら、俺はアイテムボックスから取り出したクラッカーを二人に手渡す。クラッカーもゲーム内で流通しているアイテムで、値段は安い。とはいえ、レインボーキャンドル同様、使うのは初めてだった。
つくづく、俺のアナザーワールドライフはパーティアイテムとは無縁だった。でも、あの日、「猛き猪」と遭遇して以来、俺の人生には転機が訪れたような気がする。
ミコトさんはそのきっかけとなった大切な人の一人だ。
「喜んでもらえるといいな……」
ぽつりとつぶやいたそのとき、ふと視界の端で変化があった。開きっぱなしにしていたフレンドリスト。そこに表示されていたミコトさんの名前が、灰色から白に変わる――彼女がログインした証だ。
事前の約束では、ログインしたらこの個室に集まることになっている。
「みんな、ミコトさんがログインした! もうすぐ来るぞ!」
俺の言葉に、クマサンとメイの顔がピンと引き締まる。
俺達はクラッカーを構え、じっと個室の扉を見つめた。
祝われる側ではないのに、ドキドキしてくる。まるでHNMの湧き待ちをしているときのような緊迫感の中、俺達は静かにミコトさんの到着を待った。