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第166話 おめでとうとありがとう

 緊張の中、三人で並び立ち、ミコトさんの登場を今か今かと待ち構える。

 息を呑む静寂。

 やがて、おしゃれな木の扉がゆっくりと開いた。


 ――パパパーン!


 続けざまに鳴り響いた三発のクラッカーが、色とりどりの紙吹雪を宙へと解き放った。

 現れたミコトさんの頭上へ、舞うように降り注いでいく。現実世界ではありえないほどの量と滞空時間を持つ紙吹雪が作り出すその空間は、とても幻想的に見えた。まさに、ゲームだからこそできる芸当だ。

 ミコトさんは目を見開き、呆然とした表情を浮かべている。何が起きたのか、理解が追いついていないようだった。


『誕生日おめでとう!』


 示し合わせたかのように三人の声が重なり、ようやく彼女は状況を理解したのか、驚きに染まった顔が、ゆっくりと柔らかな笑顔へと変わる。


「どうして……私の誕生日を知って……あっ、ショウさんですね」


 頭の回転の早いミコトさんのことだ。この前俺に生年月日を話していたことを思い出したのだろう。


「迷惑じゃなかったかな?」


 断りもなしに、クマサンとメイにも彼女の誕生日を教えてしまったことを、少し気にしていた。けれど、彼女はすぐに首を横に振る。


「そんなわけないですよ。……友達に誕生日を祝ってもらえるなんて思ってなかったから……嬉しいです」


 ミコトさんは静かに目を閉じ、ふっと微笑む。安堵と喜びが滲み出たその表情に、胸の奥がじんわりと温かくなる。俺の行動は間違いじゃなかった。


「さぁ、ミコトさん、席に着いて! バースデーケーキも用意したんだ」


 俺は身体をずらし、背後のテーブルへと手を差し向ける。そこには、光沢のあるチョコレートの艶やかな輝きを放つケーキが鎮座していた。


「わざわざ用意してくださったんですか……あっ、それってもしかしてザッハトルテですか? 特別なケーキってことですよね……ありがとうございます」


 さすがミコトさんだ。一目でザッハトルテだと理解して、俺の想いまで汲み取ってくれた。その反応が嬉しくて、自然と頬が緩む。


「さぁ、ミコトさん、主役の席に座って」


 俺は椅子を引き、ケーキの前の席を示した。


「……なんだか照れちゃいますね」


 恥ずかしそうにしながらも、ミコトさんはゆっくり椅子に腰を下ろす。その仕草さえも、どこか慎ましくて微笑ましい。

 俺達もそれぞれの席に着くと、天井の魔光石の明度を調整し、室内を薄暗くする。

 そして、テーブルの中央のレインボーキャンドルに火を灯した。

 揺らめく光が俺達の顔を柔らかく照らし出す。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と、ゆっくりと移り変わる七色の光。その流れが紫に到達すると、今度は逆向きに赤へと戻っていく。

 幻想的な光のリズムが、静かな祝福の空気を作り出していた。

 しばし、その特別な空間を四人で堪能した後、代表するように俺が口を開く。


「ミコトさん、キャンドルの火を吹き消して」

「え?」

「誕生日といったら、やっぱりこれだよ!」

「……でも、この年になってやるのはちょっと恥ずかしいですよ」


 高校生の若さで何を恥ずかしがることがあるのかと、大人になってしまった俺にはそう思えてしまうが、彼女にとっては子供っぽさを脱却したい年頃なのだろう。思えば、自分も高校生の頃はそうだった気がする。


「誕生日の主役が恥ずかしがってどうするんだよ。こんなことできるのは、誕生日の特権なんだから、堂々とやればいいんだよ」


 俺の言葉に、クマサンとメイも深くうなずく。それを見て、ミコトさんは観念したように小さく息をつきながら、それでもどこか満更でもない表情で、テーブルの上に身を乗り出した。

 レインボーキャンドルの灯りが揺れる中、ミコトさんはそっと目を閉じ、願いを込めるように大きく息を吸い込む。そして、炎に向かって力強く吹きかけた。

 口を尖らせ、真剣な表情で息を吐くその顔は、いつもより無邪気で、どこか子供のように見えた。それがまた、ひどく愛らしい。でも、きっと本人には言わないほうがいいだろう。

 ミコトさんの息を受けた炎は、大きく揺れ、一瞬強く輝いた後、ぱっと消えた。

 だが、それで終わりではない。レインボーキャンドルは、消えた後も祝祭の演出を生み出す。火の消えたキャンドルの上の空間に、ふわりと光の粒が集まり、小さな虹が架かった。


「……すごい」


 ミコトさんの瞳が、驚きと喜びに輝く。その囁きが、静かな空間に溶けていった。


「ミコト、誕生日おめでとう!」

「ハッピーバースディ!」


 クマサンとメイが、改めて祝いの言葉を送った。

 二人に続いて、俺も言葉をかけるべく、彼女に視線を向ける。好きな小説の主人公の受け売りだが、こういう時にこそ言いたい言葉があった。


「ミコトさん、誕生日おめでとう――そして、ありがとう!」

「えっ……ありがとう、ですか? それはむしろ私の言葉なのでは……」


 ミコトさんが嬉しそうにしながらも、少し不思議そうに首を傾げた。


「17年前の今日、ミコトさんが生まれてきてくれたことに対しての『ありがとう』だよ。……ミコトさん、生まれてきてくれて、そして俺達と出会ってくれて、ありがとう」

「ショウさん……」


 ミコトさんはうつむいてしまい、室内の薄暗さも相まって、その表情はよく見えない。

 ……もしかして、引かれたか?

 雰囲気に流されて、つい口にしてしまったけど、「痛い奴」と思われてしまっただろうか……? ミコトさんなら、調子に乗ってしまっただけと受け流してくれる気もするが……。

 少し不安を感じながら、俺は部屋の明るさを元に戻した。


「……こんなにしてもらって……みなさん、本当にありがとうございます」


 再び顔を上げたミコトさんは、いつもの笑顔だった。俺はほっと胸を撫で下ろす。

 ……でも、少し目が赤いような気もする。

 何かフォローすべきかと迷ったが、その前にメイが口を開いた。


「ミコト、これで終わりじゃないんだぜ。な、ショウ」


 メイはミコトさんの微妙な変化に気づいていないようで、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、俺に目配せをしてきた。

 そうだった。メインの贈り物はまだ俺のアイテムボックスに入ったままだ。肝心のものがまだ渡せていない。


「ああ。実は、俺達三人からミコトさんにプレゼントがあるんだ」

「プレゼントって……もうこんなにしてもらってますけど……?」


 戸惑うミコトさんに構わず、俺はトレードの申請を送る。少し躊躇った後、彼女が承諾し、トレードボックスが開いた。俺は迷わず、三人で用意したアイテムを選択する。


「……月夜見の銀華?」


 アイテム名を見て、ミコトさんが不思議そうな顔をした。俺が考えた名前だ、知っているはずがない。アイテムの説明に目を向けたのだろう。すぐに彼女の表情が変わった。


「――――!! これって、ルーンミスリルの髪飾りじゃないですか! しかも、消費SP減少の効果までついてる……。こんな貴重なものどうやって……あっ、この前、ショウさんが手に入れたルーンミスリルですね! そんな貴重な素材、私なんかに使うんじゃなくて、ショウさんのために使ったほうが――」


 彼女がそれ以上何か言う前に、ぽんと肩に手を置いた。


「俺がミコトさんに装備してほしいんだよ。だから、これは俺のわがままだと思って、もらってくれるかな?」

「ショウさん……」

「それに、これは俺一人のプレゼントじゃない。丹精込めて作ってくれたのはメイだし、クマサンも費用を出してくれたし。だから、ミコトさんに貰ってほしいのは、俺達三人の想いなんだよ」


 ミコトさんはしばらくじっと黙っていたが、やがて深く頭を下げた。


「……みなさん、本当にありがとうございます」


 彼女の声からは、俺達の気持ちがちゃんと届いたことが伝わってくる。

 ミコトさんはトレードを承諾し、晴れて「月夜見の銀華」は正式に彼女の所有アイテムになった。


「せっかくだから装備してみてくれよ」


 クマサンに促され、ミコトさんはアイテムウィンドウを操作する。しばらくして、彼女の黒髪に銀の光が射した。

 月夜見の銀華――手に取って見た時も、その繊細な細工とミスリル銀の輝きに惚れ惚れしたが、実際にミコトさんが身につけると、その美しさはまるで別物だった。

 深い夜を思わせる艶やかな黒髪の上で、銀色の髪飾りが静かに輝いている。まるで漆黒の空にぽっかりと浮かぶ三日月のように。

 正直、俺はアクセサリーの良さというのがよくわかっていなかった。下手に飾り立てるより、何もつけていないほうが自然体で魅力的だとさえ思っていた。でも――今初めて、その考えが覆された気がする。

 ミコトさんの髪に映える銀の輝きは、互いの魅力を引き立て合い、絶妙な調和を生み出していた。もともと可愛らしかったミコトさんに、幽玄な美しさが加わっている。リアルのミコトさんと同じく、高校生くらいにしか見えなかったゲームキャラクターとしての彼女が、いつもよりずっと大人びた雰囲気を纏っていて――俺は思わず息を呑んだ。


「……とても綺麗だ」


 気づけば、そんな言葉が零れていた。

 ミコトさんは一瞬驚いたように目を輝かせたが、やがて頬を染め、はにかむように微笑んだ。


「ありがとうございます」


 その表情に、胸が妙にドキドキしてくる。


「……ショウ、見つめすぎじゃないか?」


 低く、どこかドスの効いたクマサンの声。


「そ、そんなに見てないって」


 慌てて視線を逸らすが、クマサンはじとっとした目で俺を見つめていた。


「どうだか……」


 さっきまでお祝いムードだったのに、なぜか今のクマサンは機嫌が悪そうに見える。

 ……もしかして、自分だけ負担が少なかったのを、やはり気にしているのだろうか?

 そんな考えが浮かんだ途端、クマサンの視線の圧が一層強くなった気がした。

 ……俺は自分の気づかないところで、また何か地雷を踏んでしまったのかもしれない。



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