「見えた!」
最初に気づいたのはメイだった。俺達は一斉に視線を前方へ向ける。視界の先、砂煙を巻き上げながらまっすぐこちらへ迫ってくるチャリオットが一台。その動きと位置からして、どうやら向こうもこちらに標的を定めているようだ。馬車が近づくにつれて、乗っているプレイヤーの姿や名前も確認できるようになる。
御者カムイ、王シライシ、攻撃者レベッカ、攻撃者ダイス――全員知らないメンバーだ。終盤ならともかく、最初に戦うのが知り合いというのは、さすがに気まずい。だからこそ、全然知らない相手だということに少しほっとする。
このまま正面からすれ違いざまに、互いに攻撃を仕掛ける展開になる――そう思った矢先、敵のチャリオットが予想外の動きを見せた。進路を逸らし、緩やかにこちらを避けるような軌道を描き始めたのだ。
「……私達を見て、逃げることに作戦変更したのでしょうか?」
隣のミコトさんが小さく首を傾げた。確かにその可能性はある。俺達は今、サーバー内でもそれなりに名の知れた存在だ。「1stドラゴンスレイヤー」の称号、クマーヤの投稿した戦闘動画、そして最近では数は少ないもののHNMでも活躍を見せている。そんな俺達の名前を見て、相手が尻込みしたとしても不思議ではない。
なにしろ、「攻撃者」として今ここにいるのは、最強アタッカーとも一部では囁かれるこの俺なんだから。
もし逃げようとするのなら、逃がしてあげてもいいかな――などと呑気なことを考えたその瞬間だった。
敵チャリオットから、鋭い閃光が二条、こちらに向かって放たれた。
「ミコト、危ない!」
咄嗟に叫んだのはクマサンだった。彼女はすぐさまミコトさんを背後にかばう。
「スキル『かばう』!」
それはこのイベントでの防衛者専用スキルだ。一定時間、王への攻撃をすべて自分が肩代わりすることができる。魔法は軌道を変え、ミコトさんに届く前にクマサンの身体へと吸い寄せられた。
直撃を受けたクマサンだったが、強力な魔法スキルだったわりには、ダメージはそれほどでもない。
「……相手のレベルが低いのか? クマサン、ダメージが少なくて良かったな」
「ショウ、ルール説明を読んでないのか?」
「え……?」
クマサンのジト目を感じながら、俺は間抜けな声を出してしまった。
「今回のイベントでは、遠距離攻撃には補正が入るって書いてあっただろ? 距離が遠ければ、その分だけ威力が落ちる」
「……俺、遠距離攻撃はないから、そのへん読み飛ばしてた。ごめん……」
素直に頭を下げる。
確かに、冷静に考えてみれば、このチャリオット戦においては、魔法スキルにしろ射撃スキルにしろ、遠距離攻撃できるプレイヤーが圧倒的に有利だ。それに対して、威力を弱めるなどの補正は当然の処置だろう。
……近距離戦闘しかできない俺って、もしかしてやばくない?
「また来ます!」
ミコトさんの声で再び視線を敵チャリオットへと向ける。
相手は一定距離を保ちながら、また魔法を飛ばしてきた。
クマサンのスキルはまだ効果時間内だ。まだまだ耐えられる――そう思っていたが。
【ショウのダメージ30】
【クマサンのダメージ20】
【ミコトのダメージ24】
【ショウのダメージ24】
【クマサンのダメージ16】
【ミコトのダメージ20】
クマサンだけでなく、俺やミコトさんまでダメージを受けていた。
どうやら相手は戦術を切り替えたらしい。ミコトさんを狙っても「かばう」でクマサンに遮られるだけ――そう判断して、範囲魔法に移行したのだ。範囲攻撃が相手では「かばう」の効果も意味を成さない。
魔法攻撃自体は確かに弱体化されている。今のもまともに食らえば体力ゲージを何割も削られるような魔法だったが、ダメージ自体は微々たるものだ。
――だが、それはあくまで一撃ごとの話だ。
敵は距離を取りながら、二人の攻撃者で次々と魔法を放ってくる。こちらが近づこうとしても、距離を取られる。それを延々と繰り返されては、こちらはまともに攻撃できずに、ただ体力を削られるだけだ。
……遠距離編成、恐るべし。
「……もしかして、俺って一太刀も浴びせられないまま敗退することになるのかな?」
そうなったらマジでクソイベントだ。運営にメールでも送ってやろうかな。
――そんなネガティブ思考に陥りそうになったときだった。
「私がなんとかしてやるよ! ショウは戦う準備しときな!」
そう勇ましく声を上げたのはメイだった。俺の気持ちにかかる雲を吹き飛ばすようなその声に、思わず胸が高鳴る。
――やだ、なんか、格好いい!
どこに隠れていたのだろうか、俺の中の乙女な部分が顔を出しそうになった。
けれど、頼もしいとは感じる反面、正直なところ疑問もある。
「……近づけるのか? チャリオットの速度は同じだろ?」
「こっちは最短距離で追う分、敵の移動より効率がいい。それに――相手をターゲットして追いかければ、逃げている側には速度補正が入るルールだ。すぐに距離を詰めてみせる!」
俺の疑問に、メイは振り向きもせずに答えた。その背中がやけに凛々しく見える。
しかし、そんな仕様もあったのか……。御者をするつもりはなかったので、きっと見落としていたのだろう。遠距離補正の件といい、なんとも情けない……。
そうして俺が反省している間にも、メイはぐんぐんと距離を詰めていく。敵チャリオットが逃げの軌道を取っているにもかかわらず、確かに間合いは縮まっていた。台座の上のレベッカ、ダイス、そしてシライシの姿が徐々に大きくなり、その表情まで見えてくる。
魔法の猛攻は依然として続いているが、メイは怯むことなく詰め寄った。
あともう少しだ――そう思ったときだった。
「おい、向こうの攻撃者は料理人だぞ」
敵チャリオットから話し声が聞こえてきた。
「ぷっ。対人で料理スキルが使えると思ってるの? ウケるんだけど」
「料理スキルが攻撃に使えるとネットで知って、調子乗ってるんだろ」
三人は攻撃しながらクスクス笑い合っていた。
……ネットの情報もなにも、それを発見したのは俺なんだけどなぁ。
正直、今まで料理人を馬鹿にされてきたので、いまさらそんなことを言われても、さして腹は立たない。実際、何もできなかった時期もあったし。でも、今の俺は違う。少なくとも、自分ではその価値を証明してきたと思っている。だから、今回も黙って証明するだけ――そう思っていた。
だけど、そんな俺とは対照的に、仲間達は明らかに怒りを滲ませていた。
「あいつら……許せねぇ!」
メイの手綱を握る腕にぐっと力を込めるのが、後ろからでもわかった。
「ショウさんのことを知らないなんて……ホント、ふざけた人達です」
クマサンの巨体の影から、ミコトさんが静かながら怒気を孕んだ声を上げる。あのミコトさんが怒りをあらわにするのは、めったにないことなので、俺も少し驚いている。
「ミコトのことは任せろ。ショウ、奴らに本当の実力ってやつを見せてやれ!」
クマサンが熱い眼差しを俺に向けてくる。もう、いつからそんな熱血キャラに変更したんだか……。
でも、不思議と悪くなかった。俺自身が怒らなくても、仲間達が代わりに怒ってくれる――その事実がなんだか嬉しい。
……これは期待に応えないとな。
俺はアイテムウィンドウを開き、頭装備を「狂気の仮面」に変更した。
ああ、なぜだろう。この仮面を被ると、非情な処刑人になったような気がする。
――王シライシ、お前達の罪は、俺の仲間を怒らせたことだ! 震えて、自分達の罪を数えるがいい!
パァンと乾いた音を立ててメイの手綱がしなる。それに応えるように、チャリオットを引く二頭の馬が鋭くいななき、最後の距離を詰めた。
二台のチャリオットは決して密着しているわけではない。だが、攻撃者には攻撃距離補正が働く。実際に俺の包丁はまだ届かなくても、このイベント中はもう射程距離内だ。
「これが俺の料理スキルだ! 食らえ、みじん切り!」
【ショウの攻撃 シライシにダメージ477】
俺は包丁振り抜いた。距離はまだ数メートルあるが、手には命中した手応えがある。
モンスターと違い、プレイヤー相手に武器を振るうことに抵抗のあるプレイヤーは多いだろう。現実と変わらないVRならなおさらだ。
その点、今回の距離補正はありがたい。直接相手に攻撃を当てなくとも攻撃判定が発生するため、人を攻撃しているという心理的負担がほとんどない。
相手を見れば、さっきまで嘲笑を浮かべていた顔が、驚愕に染まっている。
だが、これで終わりじゃない。俺のスキルは豊富だし、メイは完璧に射程内を維持してくれている。
「スキル――乱切り!」
【ショウの攻撃 シライシにダメージ424】
【シライシを倒した】
王シライシの身体が、台座の上でぐらりと傾き、力なく崩れ落ちる。
「嘘だろ!?」
「どうして料理スキルが人相手に使えるのよ!」
ダイスとレベッカが悲鳴じみた声を上げるが、もうお前達の脱落は決まった。料理スキルを見誤ったのが敗因だ。――いや、この俺を敵に回したこと、それ自体が敗因だったのかもな。
シライシ達のチャリオットは半透明になり、速度が落ちていく。「人狼の館」で殺された村人のように、幽霊となってほかのチャリオットの戦いを見守ることはできるだろうが、彼らはもうこのイベントの主役ではないのだ。
――こうして、俺達はまず1撃破を達成した。