『アナザーワールド・オンライン』では、運営イベント終了後に、編集したダイジェスト動画が公式から後日公開される。
いつもなら、自分がチラッとでも映っているかどうかに注目しながら眺める程度だった。でも、今回は違う。
――俺達が勝った。
公式動画でも、主役級の出番で映っているはずだ。
緊張で震える手でマウスを握り、パソコンのモニターに公式動画のページを表示させた。
「楽しみだね!」
横から、鈴の音のような可愛らしい声が弾む。
「……そうだね」
口の中が、やけに乾いていた。
緊張の理由は、動画の内容への期待だけではない。
新たに購入した二つ目のゲーミングチェアに座るリアルのクマサンが、すぐ隣にいることが何よりも大きかった。
公式動画の公開日が、ちょうどクマーヤの配信日と重なったこともあり、「せっかくだし、一緒に見よう」と彼女が提案してくれたのだ。
もちろん、二つ返事で了承した。一人で見るより、共に戦った仲間と見る方がずっと楽しいに決まっている。
――だけど、目の前の現実は、それどころじゃないほど緊張する状況だった。
可愛い女の子と、肩が触れそうな距離で並んで動画を見るなんて、俺の人生にはなかったことだ。
普段の配信時は、彼女の邪魔をしないように距離を取っていたから問題なかったが、今回は違う。密着とまでは言わないまでも、息がかかりそうな距離。もう、それだけで落ち着かない。
……我ながら、情けないにもほどがある。
公式動画には、ロングバージョンとショートバージョンが用意されているが、俺はロングバージョンを選んだ。時間ならたっぷりあるし、クマサンとのこの時間を、少しでも長く味わっていたかった。
緊張はしているけど、決して嫌なわけじゃない。むしろ――かなり嬉しい。
動画が再生されると、軽快なBGMに載せてイベント概要とルール説明がテンポよく始まり、すぐにチャリオットバトルの映像へと切り替わる。
モニターの中に広がるのは、俺の知らなかった戦場の光景だった。
――こんなにも激しく戦っていたのか。
俺が把握していたのは、せいぜい自分の周囲だけ。でも、こうして改めて客観的に映像で見ると、俺の知らない場所でも無数のチャリオットが入り乱れ、熾烈な戦いを繰り広げていたのが、ひしひしと伝わってくる。
「やっぱり、王都の周りは最初から激戦になっていたんだね」
クマサンが画面を見ながらつぶやく。
映し出されている地形は、確かに王都付近だ。俺が中盤戦で経験したような複数のチャリオットが入り乱れる混戦が、開始直後から発生していたようだ。
「最初のショウの判断が、大正解だったってわけだね」
彼女がこちらを見たのがわかる。でも、気づいていながら、俺はまっすぐに画面を見続けた。横を向いただけで、彼女の瞳に映る自分の姿さえ見えそうな距離だ。――無理、今は無理。
「……勝ち残れたのは、みんなが俺の判断を信じてくれたからだよ」
そんなことをつぶやくのが精一杯。
それに、褒められるのは苦手だ。妙にむずがゆい気持ちになる。
俺は意識的にモニターに集中した。
そこでは様々なチャリオットが自分なりの戦いを繰り広げている。
同じギルドでチームを組んでいるのだろう、堅実な戦法を取るチャリオット、防衛者で固めてひたすら逃げに徹するチャリオット、相手を倒すよりも状態異常魔法や補助者が使える武装でひたすらほかのチャリオットの邪魔をすることを優先するチャリオット――戦い方にもそれぞれ色がある。
「……楽しんでるな、こいつら」
緩んだ口からついそんな言葉が漏れた。
同じゲームをやって同じ世界で生きてきたんだから、彼らがそれぞれのやり方で、本気でプレイしているのが画面越しにでも伝わってくる。
リアルの世界ではないこんなゲームに必死になってと笑う人もいるかもしれないが、俺はそうは思わない。一生懸命になれるものがあるってことは、それだけでいいことだと思う。そこには確実に「熱」がある。日を追うごとに心が冷めていったサラリーマン時代にはなかったものがここにはある。
「ちょっ、何、その動き! クマサン、今の見た!?」
興奮して笑いながら隣を振り向いた――その瞬間、言葉が止まった。
クマサンが、モニターじゃなく俺を見ていた。楽しそうに、まるで春の陽だまりのような笑顔で。
……クマサン、動画見てる?
「どこを見てるんだよ……」
「いやぁ、楽しそうだなって思って」
そう言ってクマサンは嬉しそうに口角をさらに上げた。
くっ!――いい大人がゲーム動画に興奮している様を見て笑っていたってことか! 彼女の性格の良さは俺もよく知るところだが、まさかこんな趣味があったとは!
「……楽しそうで悪かったね」
頬を膨らませ、俺は再び画面に視線を戻す。
「ううん、全然悪くないって」
そんなことを言われても説得力がない。なにしろ、あんな楽しそうな顔をしていたのだから。
――でも、よく考えれば、さっきの顔は人をからかって喜んでいるような顔ではなかった気がする。そういう邪さがまったくない、心からの純粋な笑み――そんなふうに思えてくる。
……もしかしたら、クマサンも素直に動画を楽しんでいて、たまたま同じタイミングでお互いを見ただけだったのかもしれない。クマサンが意味もなく皮肉を言うとは思えないし、きっとそうだ。そうに違いない。
動画は進み、今度は砂漠での大乱戦が映っていた。ルシフェル、ソルジャー、そして俺達も入り乱れた、あの戦いだ。
あの時の俺は自分の視点からしか戦場を見ることができなかったが、こうして客観的に様々なアングルから映し出されると、この戦いが思っていた以上に壮絶だったことがわかる。
映像から伝わる熱量に、思わず息を呑む。
「あっ! ショウがミカエルを倒したところがはっきり映ってたね!」
クマサンが手を叩いてはしゃぐ。
確かに、編集のおかげもあり、なかなか劇的に仕上がっている。だが、それは俺がルシフェルチームを倒したという決定的な証拠であり、それを多くの人が知ることになるわけで――ただでさえルシフェルには目の仇にされてそうなのに、ますます恨みを買うんじゃないかと心配になる。
「ショウ、格好良かったよ」
――でも、クマサンにそんなふうに言ってもらえたから、ルシフェルごとの恨みなんてどうでもいいかと思えてきた。現金なものだな、俺って。
そして、動画はクライマックスへと進んでいく。
最後の三つ巴――
二チームから狙われた俺達のチャリオットが、魔障嵐へと躊躇いなく突っ込んでいく。
もし動画にコメント機能があれば、爆撃のようにコメントの嵐が降り注いでいたに違いない。
「ねーさんもソルジャーも、よく俺達を追って来てくれたよな。安全地帯で待たれていたら、負けてたのはこっちだったからな」
「でも、ショウはあの二人なら追ってくるって信じてたんでしょ?」
ああ、そうなのかもしれない。
きっと俺はねーさんとソルジャーを信じていたのだ。
だからこそ、あんな無茶な作戦を咄嗟に思いついた――今なら、そう思える。
そして映像は進み、俺達とねーさん達がザ・ニンジャを倒し、残った二台での最終決戦へと突入していく。
改めて見ると、本当にギリギリの戦いだったことがよくわかる。
シアを倒した後、アセルスの紅蓮黒龍波で俺が倒されていたら、戦いの結果は変わっていただろう。よくほんのわずかでも体力が残ってくれたものだ。
最後の一太刀でアセルスを倒した直後、俺は魔障嵐のダメージで死んだが、その時の俺は満足した顔をしていた。残った仲間が必ず勝利をつかみとってくれると、何の疑いもなく信じ切った顔だ。
その後、クマサンが自分の命をミコトさんに分け与え、二人の女王同士の激烈な戦いが始まった。
――やべぇ! 熱い!
もう結果は知っている。死亡したとはいえ、すぐ近くで見ていた当人だ。
それでも、こうして改めて映像で見ると、興奮せずにはいられない。
思わず力が入り、手近にあったものをぎゅっと握りしめた。
「いけっ、ミコトさん!」
結果も展開も全部わかってるのに、叫ばずにはいられなかった。
そしてついに、ミコトさんの最後の一撃が、ねーさんの体力を削りきる。
その瞬間、カメラアングルが変わり、スロー演出とともに何度もリプレイされる。
勝者である俺は、こういうくどい演出も十分に楽しめるが――つい、悔しそうにしているねーさんの姿が脳裏に浮かぶ。
最後は、落ち着いたBGMにのせて優勝チームと各賞の発表が流れる。受賞したプレイヤーの活躍シーンがその背景に流れる演出が、なかなかに粋だった。
「いい動画だったよな!」
「……うん」
興奮が冷めないまま横をみると――あれ? なぜだろう? クマサンが顔を赤くして少しうつむいている。
さっきまでの様子とは随分と違う。動画に感極まったとか?
……でも、それとはちょっと様子が違う気がする……。
…………
――あっ!
そこで俺はようやく気づく。
いつの間にか、俺の手がクマサンの拳に重なり、その小さく柔らかな手を思い切り握っていたことに。