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第184話 動画とクマサンの決意

 クマサンと手を握るのは、これが二度目だった。

 一度目は、アナザーワールドの「人狼の館」で。あの時のクマサンの手は、毛がフサフサで、俺よりも大きくて硬かった。


 ――なのに、今この手は、どうしてこんなに小さくて、華奢なんだ!?

 拳の上から手を重ねただけ。それなのに、力を入れれば壊れてしまいそうなほど繊細な感触が、指先から伝わってくる。リアルの女の子の手って、手の甲でも、こんなにも柔らかいんだ……。


 ――って、違う! 今はクマサンの手の感触を分析してる場合じゃない!

 我に返った俺は、慌ててクマサンから手を離した。


「ご、ごめん、クマサン! なんか、つい興奮しちゃって……」


 もはや謝罪というより言い訳だった。でも、わざとじゃないのだけはわかってほしい。


「……別に、気にしてないよ」


 クマサンは優しかった。突然手を握られたのに、少しも怒る素振りを見せなかった。

 ほっと胸を撫で下ろした、その直後――


「……そのままでもよかったのに」


 彼女がぽつりと何かをつぶやいた。

 けれども、焦りがまだ頭に残っていた俺は、その言葉をうまく聞き取れなかった。

 ぼそっと毒を吐かれてたら、泣いてしまうかもしれないが――どうもそういうわけではなさそうだ。

 クマサンは顔を赤くしているが、それが怒りによるものじゃないことくらいはさすがにわかった。その赤さの理由は気になるところだが、とりあえず怒りによるものでなければ、今はいい。

 俺は今の失態を誤魔化すように、話題を変えることにした。


「……この前のイベント、一応俺も自分で編集して動画にしてみたんだけど……公式のやつがここまで完成度高いと、わざわざ公開しなくてもいいかなって思えてきたよ」

「え、どうして?」

「さすがに動画の完成度が違い過ぎるし……それに、今回の動画をアップしたら、俺達とクマーヤの関係があまりにもバレバレになるし」

「それは今さらだね」


 クマサンが薄く笑った。

 確かに、俺達がクマーヤをやっていることは、公式には明言していないものの、無関係だと思ってる人は、ほとんどいないだろう。インフェルノ討伐動画を始め、今までアップしてきたアナザーワールド・オンラインの動画を見れば、クマーヤと三つ星食堂に繋がりがないと思うほうが不自然だ。

 とはいえ、中身をオープンにしているVチューバーもいるものの、多くの視聴者にとって、中の人がわかっているVチューバーほど萎えるものはない。リアルから切れ離されているのが、Vの良さの一つでもある。

 クマーヤの正体に関しては、可能な限りぼかしておきたい。


「……今さらかもしれないけど、見てくれる人を裏切りたくはないしね。それに――クマーヤの正体が熊野彩だってバレる危険性は少しでも減らしたい。クマーヤの活動が、クマサンが声優復帰するときに役に立つのならいいけど、間違っても足を引っ張るようなことしたくないからね」


 そう、俺の一番の懸念事項はそれだった。

 クマーヤは大切だけど、それ以上に、クマサンの未来が大事だった。

 そんな俺の言葉に、彼女はまっすぐな目を向けてきた。


「――もしかして、ショウって……クマーヤとして活動している時、ずっと私のこと気遣ってくれてたの?」

「――――? そんなの当たり前だろ?」


 俺にしてみれば、何をいまさらって話だった。でも、彼女は目を見開いたあと、ふっと優しく笑った。


「……そうだよね。ショウはそういう人だよね」


 「そういう人」という言い方が気になる。彼女には、俺がどのように映っているのだろうか? クマサンは納得したような顔をしているが、俺には逆に疑問と不安がよぎる。

 だが、俺がその意味を問うより先に、クマサンが口を開いた。


「ねえ、ショウ。声優熊野彩のことは、もう気にしなくていいよ。私ね――ショウが一緒なら、Vチューバーとして一緒に歩んでいく覚悟、もうとっくにできてるから」

「――――!?」


 彼女の言葉は俺の心を激しく揺さぶった。

 それは彼女が声優の道を諦めるということであり、熊野彩の一ファンとしてはとても寂しい。

 でも、それだけじゃない。彼女が声優復帰した際には、クマーヤの活動――彼女と過ごすこの時間――が終わりを迎えるだろうと思っていただけに、これからも続く二人の未来を彼女が口にしてくれたことに、嬉しさが込み上げてくる。


「いや、でも、クマサン――」


 何か言おうとする俺の手をクマサンが握った。

 彼女の手から伝わってくる柔らかな力強さが、それ以上の言葉は不要だと語っていた。


 ――そうか、彼女はとっくに覚悟を決めていたんだ。

 むしろ、迷っていたのは、俺の方だったのかもしれない。


「――これからもよろしく、クマサン」

「うん!」


 うなずいた彼女の笑顔は、まぶしく、思わず見とれるほど綺麗だった。



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