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第193話 ミコト・アーリーデイズ その1

【※今回のお話は、本編開始以前の外伝的な話になります。本編とは異なり、ミコトの一人称視点でお届けしますので、ご注意ください】


 ――学校に行くのが、いやになった。


 何がきっかけなのかは、私にもわからない。

 私の話し方が冷たく感じられ、知らず知らずのうちに傷つけていたのかもしれない。あるいは、この前の実力テストで、いつもクラストップだったあの子を上回ってしまったのが原因だったのか。それとも、女子に人気のあるサッカー部の三年の先輩の告白を断ったことが、誰かの反感を買ったのか――

 理由は曖昧なまま、いつの間にか学校の中で、私の周りに味方はいなくなっていた。


 ――せめて今だけでも、学校のことを忘れたい。

 そんなふうに思っていたとき、目に留まったのがネットで紹介されていた『アナザーワールド・オンライン』というVRゲームだった。

 キャッチフレーズは、「現実とは違う世界でもう一人の自分を生きる」。

 RPGなら少しは遊んだことがある。でも、VRで、しかもオンラインゲームは未経験だった。

 それでもなぜか心惹かれた私は、貯めていたお小遣いを使って、本体ごと購入してしまった。

 衝動的だったかもしれない。でも、そうやってお金を使うことそのものが、ストレスのはけ口になっていた気もする。

 ともかく、私はこうして『アナザーワールド・オンライン』と出会った。


 本体が届いたその日、マニュアルにざっと目を通して、さっそくVRゴーグルを装着する。


「うわぁ……」


 自然と声が漏れた。

 テレビ画面で見るゲームとは段違いの迫力。目の前に広がるオープニング映像の臨場感に、思わず息を呑む。

 そのまま感動しながら「NEW GAME」を選択した。


 まずはサーバー選択から始まる。

 このゲームのプレイヤーの数はとても多いそうで、全員が同じ空間で遊ぶわけではない。複数のサーバーに分かれていて、選んだサーバーは後から変更できず、別サーバーの人とはゲーム内で会えない仕様だ。

 友達と一緒に遊ぶなら、事前にサーバーを合わせておく必要があるらしい。私は一応、そのあたりも調べておいた。

 ……とはいえ、一緒に遊ぶ友達がいるわけでもない。むしろ、知っている人が誰もいないところで始めたいくらいだ。

 だから私は、「ランダムサーバー」を選んだ。どんな人達がいるサーバーになるか、それはもう運に任せることにした。


 サーバーを選んだ後は、いよいよキャラクター作成だ。

 最初に決めるのは、種族と性別。

 人間、エルフ、ドワーフ――ファンタジーではお馴染みの種族に加えて、獣人のように見た目が大きく異なる種族まで用意されていた。

 なるほど、「もう一人の自分」は、必ずしも人間である必要はないのか。

 たとえば、ウサギ型の獣人なんて、すごく可愛い。

 性別だって、現実と同じ「女の子」である必要はない。ドワーフの髭のおじさんや、ホビットの男の子として生きる選択だってできる。

 それぞれの種族のデフォルト画像を次々に切り替えながら、私はもう一人の自分を探し続けた。


 ――そして、さんざん悩んだ末に、私が選んだのは「人間の女の子」だった。

 こういうとき、冒険できない自分が、なんだか悔しい。でも……やっぱり、これが私らしいのかもしれない。


 次に選ぶのは、職業。

 このゲームは、サブ職業というものは自由に選べるけど、メイン職業は変更不可能。つまり、最初のこの選択が非常に重要というわけだ。

 ただ、問題なのは、この職業の数が非常に多いこと。種族選択の比ではない。

 職業を切り替えるたびに、キャラクターの初期装備の見た目も変化していく。初期装備の能力は変わらないらしいけど、見た目だけはそれぞれの職業に合わせた衣装が用意されている。いずれ装備を変えることになるだろうけど、少なくともそれまでこの姿のままなので、これは結構重要かもしれない。

 正直、初めてのゲームなので、職業による差というのがわかっていない。だったら、初期装備の見た目で選ぶのかも悪くないかもしれない。


「――――! 可愛い!」


 いくつもの職業を切り替えていく中で、私の視線を釘付けにしたのは、白衣に緋袴という赤と白のコントラストが美しい巫女服姿だった。

 職業名は「巫女」。

 ゲームの中で、巫女って……どんな役割なんだろう?


「……悪霊のお祓いとかするのかな?」


 正直、巫女という職業がいいのか悪いかもわからないけど、よく考えたらそれはほかの職業だって同じことだ。どれも未知数なのだから、だったら私は――この第一印象を信じてみよう。そう思って、職業「巫女」を選択した。


 ここまで決めると、今度はキャラクターの外見設定に移る。

 身長、体型、髪型、髪色、目の色、目の形、まつげの長さ……設定項目は想像以上に細かく、膨大だった。

 面倒な場合は、あらかじめ用意された何十種類ものテンプレートキャラクターから選ぶこともできたし、「ランダム作成」なんて機能もあった。でも、なぜか今回は、そういった選択肢に手を伸ばす気にはなれなかった。

 どれだけ時間がかかっても、自分の手で決めたい。そう思った私は、ひとつずつ丁寧に、外見を作り込んでいった。


「……できた」


 時間はかかったけれど、ようやく自分が納得できるキャラクターが完成した。

 目の前に浮かぶのは、とても魅力的な女の子。少しだけ、中学時代の自分に似ている気がした。

 ――でも、私はあんなに可愛くない。

 そう思って、すぐに頭を横に振る。似てるなんて、調子に乗りすぎだ。こういうところが人に嫌われる理由なのかもしれない……。


 気を取り直して、キャラクター作成の最後の項目へ。

 それは――名前の入力。

 私はゲームでキャラクター名をつけるのがあまり得意じゃない。デフォルトの名前があるのならそれを使うのだが、このゲームには初期ネームが用意されていない。どうしても、自分で名付けなければならなかった。

 だけど不思議なことに、今回はすぐに決まった。


「ミコト」


 迷いなく、そう入力していた。

 同じサーバーにすでに登録されていたら使えないと聞いていたが、すんなりと受け付けられた。ありがちな名前な気もするのに、誰も使っていなかった。それだけで、なんだか運命みたいなものを感じてしまう。

 すべての項目を決め終えて、最終の「決定」ボタンを押す。


 その瞬間、目の前がふっと暗くなり――次に明るくなったときには、私はもう『アナザーワールド・オンライン』の「ミコト」として、冒険者の店のカウンターの前に立っていた。


 目の前には、ファンタジー感のある制服を着た綺麗なお姉さん。正直、ゴーグルの重さと感触がなければ、本物の人間だと勘違いしそうなくらいリアルだ。


「名前は……ミコトさんですね。……あ、それ以上、ご自分のことを語らなくても大丈夫です。あなたが本当は何者で、どんな過去を持っているのかなんて――ここでは、誰も気にしません。冒険者登録を済ませた今、ここにいる『ミコトさん』こそが、あなたのすべてです。どうか、ここからあなた自身の物語を紡いでいってください」


 それは受付のお姉さんが、最初に誰にでも言っている言葉なのだろう。だけど、彼女のその言葉は、不思議なほど私の胸に響いた。

 ここでは「学校のこと」も「クラスの女子達のこと」も、気にしなくていいんだよ――そう言ってもらえたような気がした。


 受付で基本的な説明を受けた後、私は冒険者の店を出て、王都の街に足を踏み出す。


「……すごい、本当にファンタジーの世界に入り込んでる……」


 中世風の石造りの街並みは、細部まで丁寧に作られていて、ただ歩いているだけでも胸が高鳴った。

 VR技術の進化ってすごい!

 この技術で現実の観光地を再現してくれたら、もう実際に足を運ぶ必要なんてないかもしれない。そんなことすら思ってしまう。

 街を行き交う人々も、あまりにリアルだった。中にはプレイヤーもいればNPCもいるのだけど、本物の人間と見た目だけならほとんど変わらない。


「ここには、現実とは別の、もう一つの世界が生きているんですね……」


 そんな実感が、胸の奥にじんわりと広がっていく。


 そのあと、しばらくは街を回って観光気分を味わったけれど、一通り見終えると、少し物足りなさを感じ始めた。

 普通のRPGなら、向こうからイベントがやってくる。でも、このゲームは違う。自由度が高い代わりに、自分から行動しなければ、物語は始まらない。

 受付のお姉さんは、「街の人に話しかければ、何かしら頼まれるかもしれませんよ」と言っていた。でも、あまりにリアルな外見の人達に囲まれていると、たとえ相手がNPCだとわかっていても、声をかけるのに勇気がいる。

 ――そういえば、「初心者には街の外のモンスター退治もいいかも」と言っていたっけ。モンスター討伐は冒険者全員への依頼でもあるそうで、倒せばお金や経験値が手に入るらしい。


「……よし。まずは、それに挑戦してみましょう」


 私は、小さく息を整え、初めての一歩を踏み出した。

 長い距離を歩き、ようやく街の外に出た。走っても現実のように息を切らすことも疲れることもないのはありがたい。

 見上げれば、空は澄み渡るような青。現実の空よりもずっと綺麗に思える。夜になったら、星が見えるのだろうか。そんな想像をするだけで、ちょっと楽しみになる。


「……それより、モンスターを探さないと」


 お姉さんは近くの森の中に、最近モンスターが多く現れると言っていた。

 少し離れたところに確かに森が広がっている。おそらく、あれだろう。


「きっと、あの森のことですね」


 私は初期装備の木の棒を手に、森の中へと足を踏み入れた。

 現実と違って、歩いても泥が服に付かないのはありがたい。せっかくの可愛い巫女服が汚れたら、ちょっと悲しい。

 ――そんな呑気なことを考えていたせいだろうか、突然、背後から強烈な衝撃を受けた。


【ホブゴブリンの攻撃 ミコトにダメージ10】


 体力ゲージが一気に削られる。

 何が起こったのかわからず、慌てて振り返ると、そこには私よりも背の高いモンスターが棍棒を振り上げていた。

 どうやら後ろから殴られたらしい。

 そして、振り上げられた棍棒が目の前に迫る。


【ホブゴブリンの攻撃 ミコトにダメージ9】


 またしても体力ゲージが減っていく。

 けれど、身体が動かない。

 ――目の前で誰かに鈍器で殴られるなんて、初めての経験だった。

 これはゲームだと頭ではわかっている。でも、あまりにリアルすぎる映像は、理性を飛び越えて、感情に直接揺さぶりをかけてくる。


 ――あとから冷静に考えれば、この時の私は、突然襲われていたことでパニックを起こしていたのだと思う。反撃することも、回復することも、逃げることすらできたはずなのに、私はただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。


 ――このまま殺される。

 わずかに残った冷静な思考で、そんな考えがよぎった――そのときだった。

 体力ゲージが、突然回復した。


「大丈夫? 危なそうだったから、回復したけど問題なかった?」


 声の方を振り向くと、スラリとした青年が立っていた。片目は髪に隠れて見えないが、あらわになったもう片方の瞳が、すごく綺麗で思わず息を呑んだ。

 どうやら彼が回復スキルを使って助けてくれたらしい。


「よかったら、その敵、もらってもいい? まだ戦闘態勢を取っていないから、今なら俺の攻撃が通るし」

「お、お願いします!」


 ほとんど反射的に、そう答えていた。

 このゲームでは、誰かが戦闘状態に入ると、ほかのプレイヤーはその敵に手が出せない仕組みになっている。横取りを防ぐための仕様らしい。

 でも私は、ただ一方的に殴られていただけで、何も行動を起こしていなかった。だから、状態としては、「非戦闘状態」のままだったので、代わりに彼が戦闘を開始することができたのだ。下手に抵抗しなかったのが、このときばかりは幸運な方向に転がった。


 彼は私の回復を終えると、迷いなく剣を抜き、ホブゴブリンへと挑みかかる。

 今日初プレイの私と違い、彼は経験者のようで、私よりもレベルが高かった。

 ほどなくして、ホブゴブリンはあっさりと倒された。


「あ、ありがとうございました」


 戦闘を終えた彼に、慌てて頭を下げる。


「気にしないで。……えっと、レベル1だし、始めたばかりなのかな?」

「はい。……キャラもさっき作ったばかりです」


 笑われるだろうか? モンスターに怯えて武器も振るえない臆病者だと。

 そんな不安が胸に広がったけれど、彼はただ優しく微笑んでくれた。


「初めての戦闘は、びっくりするよね。特にこのゲーム、モンスターもやけにリアルだし。ホブゴブリンなんか人型だから、余計に攻撃しづらいよね」

「……はい。お恥ずかしながら、慌ててしまって、何もできなくて……」

「その気持ち、よくわかるよ。でも、この森の敵はちょっとレベルが高いから、最初は南の森でレベル上げをするほうがいいと思うよ」


 ――南の森?

 私は思い返す。王都を出たのは東の門だった。

 そういえば、受付のお姉さんも「南の森」だと言っていたような気がする。……どうやら、私は最初に向かうべき森を間違えてしまっていたらしい。


「……すみません。行く森を間違えてしまったみたいです」

「まあ、よくあることだよ。それに、レベル1でも、パーティを組めば、ここでも十分狩りはできるし……。えっと、もしよかったら、一緒にパーティを組んでみる? ついでに、戦闘のコツくらいなら教えてあげられるとは思うけど?」

「え……?」


 思わぬお誘いだった。

 こうやってみんなに声をかけてる軽い人なのかなと思ったけど、見れば彼は顔を少し赤くし、緊張している様子だった。


 ――ああ、この人は勇気を出して私に声をかけてくれたんだ。


 それが伝わってきた。

 そして、彼がそんな勇気を出してくれたのは、きっと情けない姿をさらした私を放っておけないと思ったからなんだろう。

 優しい人だ――そう思った。


「ご迷惑でなければお願いします」


 男の人と話すのは、正直ちょっと苦手。

 でも、気がついたら、私はそう自然に返していた。


 ――これが、私と彼の、最初の出会いだった。



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