【※引き続き、本編とは異なり、ミコトの一人称視点でお届けします】
空は今日も美しく澄み渡り、森の木々が風に揺れるたび、わさわさと葉擦れの音が耳に届く。そんなところまで細かく作り込んでいるんだと改めて感心してしまう。だけど、肝心の彼の姿は、どこにも見当たらなかった。
冷静に考えれば、それは当然だった。
彼が今日もログインする保証はない。ましてや、この森の近くを通るとは限らない。
でも、彼にもう一度会うための手段として、私はこれしか思いつかなかった。
――どれほどの時間、そこに立ち尽くしていただろうか。
現実と見紛うような美しい景色を眺めているのは楽しい。でも、さすがに同じ場所に留まり続けていれば、それにも飽きてくる。
そんなとき、たまたま森に向かってきた四人組のパーティに声をかけられた。
「こんなところで何しているの? レベルも近いし、よかったら一緒にパーティを組まない? ヒーラーが入ってくれるとすごく助かるんだよね」
彼らの構成を見る限り、確かにヒーラーはいないようだった。すべての職業を理解しているわけではないけれど、職業名と装備から察するに、彼らは全員アタッカー。サブ職業に回復職をつけているので、きっと手分けして回復しながら戦うつもりだったのだろう。
待っている人がいますので――そう断ろうとして、昨日の雑談の中で、彼が「いろいろな人とパーティを組むのは勉強になる」と言っていたのを思い出した。
それに、彼が教えてくれたことを、別パーティでどこまで実践できるのか試してみたい。うまくできたなら、その結果を彼に報告したい。
それに、私と彼とではレベル差がある。こうして経験値を稼げば、少しでも彼に追いつけるかもしれない。ただ待ち続けているだけでは、彼とのレベル差は開くだけ――
「……よろしくお願いします」
迷いはした――だけど、私はそう答えていた。
「お、ミコトさん、レベルアップおめでとう!」
「おめでとう~」
「おめでと!」
「おめ~」
誰かがレベルアップすると、自然とこんな風に祝福の言葉が飛び交う。
一人用のRPGでは、絶対に味わえない感覚だ。
彼らと一緒に狩り始めてから、もう何度かレベルが上がった。そのたびにこうして祝ってもらえるのが嬉しくて、自分から誰かを祝うのも、また楽しい。
「ちょうどキリもいいし、今日はこのへんで終わりにしておこうか?」
一通りお祝いムードが落ち着いたころ、リーダーがそう提案した。
もしかしたら、もっと前から切り上げようと思っていたのに、私のレベルアップを待っていてくれたのかもしれない。
実際、私達はかなり長い時間、狩りを続けていた。
「そうだね~」
「いつの間にか、結構な時間経ってたな」
ほかのメンバーも同意し、自然と解散の雰囲気が広がる。私もうなずいた。
「それにしても、ミコトさんのおかげで随分と経験値を稼がせてもらったよ」
突然名前を呼ばれ、思わず小さく身をすくめる。
「ほんとそれ! 無駄な回復がなくて体力管理もバッチリだから、休まず戦えたもんな」
「ヘイト管理もうまいから、ヒールでターゲットを取ることもなかったし」
「おかげで俺らのSPに余裕ができて、ミコトの休息中も俺らだけで戦えたしな」
次々と褒め言葉が飛んできて、嬉しいやら照れくさいやらで、どう反応していいか少し困っていると――。
「とてもMMORPG初心者とは思えないよ」
リーダーがそう言って微笑んだ。
「……いろいろと教えてくれた人がいたので」
本当に称えられるべきは、私に教えてくれたあの人だ。だからこそ、胸を張ってそう言えた。
「教えられたって、すぐにできるもんじゃないよ。いくら言っても、無駄な回復ばかりする人とかいるし。ミコトさん、センスあるって」
「……ありがとうございます」
褒められて嬉しいのは、自分の努力が認められたから。だけど、それ以上に――
私を導いてくれた人の存在まで肯定された気がして、素直に喜ぶことができた。
「そうだ。ミコトさん、よかったらフレンド登録しない?」
リーダーがふと、そんなことを言い出した。
「フレンド登録……?」
聞き慣れない言葉に首をかしげると、彼は「ああ、そうか」と笑いながら説明してくれた。
フレンド登録とは、相手がログインしているか、どこのフィールドにいるかがわかる機能で、音声や文字でのチャットも自由にできるという。まるで、いつでも繋がっていられる「魔法の糸」のようなものだ。
そして、その話を聞いた瞬間、私はひどく後悔した。
――どうして、昨日、あの人とフレンド登録をしておかなかったのだろう。
もし登録していれば、今日みたいにひたすら彼を待ち続ける必要なんてなかった。ログインしているかどうかも、今どこにいるかも、簡単にわかったはずなのに。
……けれど、昨日の私は、そもそもこの機能があることすら知らなかった。
あの時点でフレンド登録をお願いするなんて選択肢は、最初から私の中に存在していなかったのだ。
それが、またどうしようもなく悔しい。
でも、彼はどうしてフレンド登録のことを教えてくれなかったのだろうか?
知らなかった、というのは考えにくい。
彼はこのゲームにも、MMORPGという世界にも、ずいぶん慣れていた。
だから、フレンド登録という機能の存在くらい、知っていたはずだ。
――だったら、なぜ?
私のような初心者では、フレンドになるほどの価値がないと思われた?
そう考えれば筋は通るかもしれない。けれど、そんな人なら、最初からあんなに親切にしてくれたはずがない。むしろ、彼は初心者にこそ優しい人なんだと思う。
だから、理由はきっと別のところにある。
……たとえば、昨日の時点で彼がフレンド登録の話をしていたとしたら?
きっと私は、その流れで素直に登録していただろう。
お世話になったばかりの相手からそんな話をされたら、普通は断れない。
もちろん、私に断る理由なんてなく、むしろ歓迎すべきことだったけれど――
彼は、それを気にしたのかもしれない。
昨日、彼は言っていた。しつこく絡んでくる人や、ストーカーのように付きまとうプレイヤーもいる、と。
だからこそ、自分がフレンド登録の話を出すことで、私に断りにくい空気を作ってしまうことを避けたのかもしれない。
フレンドを作るのなら、ちゃんと自分の意思で――そう思って、敢えて何も言わなかったのだとしたら……。
そう考えたら、彼がフレンド登録の話をしなかったことに納得ができた。本当に、彼らしいと思う。
……でも、どんな理由にせよ、彼とフレンド登録できる「昨日」はもう戻ってこない。
それだけは、確かな現実だった。
「それで、ミコトさん、フレンド登録、どうかな?」
「あ、僕もお願いしたい!」
「俺も」
「私も!」
このゲームで最初のフレンド登録は彼としたい――そんな思いはあったが、目の前の四人はとても気の良い人達だった。彼らからのフレンド登録を断る理由なんて……ない。
「……はい、お願いします」
だから、そう答え、私に初めてのフレンドができた。
それからも、ログインするたび、私はあの森を訪れた。
彼と再び会えることを願って。
けれど、彼の姿を見ることは一度もなかった。
街に行けば、すれ違うこともあるかと思って、行き交うプレイヤーの名前を無意識に目で追っていた。
だけど、どこにも彼の名前はなかった。
彼のような人なら、いずれ誰かとパーティを組んで現れるかもしれない。そう思って、誘われたパーティには積極的に参加した。
それでも、彼と出会うことはなかった。
この世界は広すぎた。
偶然の再会を信じるには――あまりに、広すぎたんだ。
気がつけば、私のフレンドリストには、たくさんの名前が並ぶようになっていた。
その一覧を見るたび、ふと思う。
本当は、一番最初に、彼の名前が並ぶはずだったのに、と。
……でも、まだ「その位置」に彼の名前を置く方法は残っている。
このフレンドリストは、いくつかの条件で並び替えができる。
登録順、五十音順、レベル順――その中に、「自分からフレンド申請した順」という項目がある。
この並び順では、自分から申請した相手が時系列で上から順に並び、その後に相手から申請された順で続くという仕組みだった。
もともと奥手な私は、自分から誰かにフレンド申請をしたことがなかった。けれど、この並び順を知ってからは、敢えて一度も自分から申請しないようにしていた。
――彼に再会できたそのとき、私からフレンド申請をして、彼の名前を一番上にするため。
自分からフレンド申請しないことを傲慢に思われるかもしれない。でも、これだけは譲れなかった。
ほかの人から見れば、ただの意地かもしれないけど――それは、私なりの「願い」だった。
それでも、彼と再会する日は訪れなかった。
彼の職業が本来は生産職だと知ってからは、プレイヤーの購入した店が並ぶエリアにも足を運ぶようになった。だけど、そこに彼の店はなかった。
後から知ったことだが、彼の職業は生産職の中でも、ハズレ職業と呼ばれるものらしい。
そんな話を聞くたび、胸がざわめいた。
もしかしたら、彼はキャラを作り直してしまったのかもしれない。あるいは――もう、この世界を去ってしまったのかもしれない。
フレンド達からは、ギルドへの勧誘も受けていた。
けれど、彼と再会してフレンドになったときは、彼のギルドに入りたい――そう思っていたから、ずっと断り続けていた。
でも、私のレベルも上がり、ヒーラーとして名が知られるようになるにつれて、勧誘の数は増え続けた。
いい加減煩わしく思うようになり、迷った末、最初にフレンドになった人達が立ち上げたギルドに入れてもらった。
「……もう、潮時なのかな」
街を歩きながら、つい愚痴をこぼしてしまう。
名前を探す癖は、もはや日常になっていた。
けれど、毎回がっかりすることに、少しずつ疲れてきたのかもしれない。
ふと気がつけば、いつの間にか、NPCから借りた店が並ぶエリアに来てしまっていた。
このあたりは、レベルの低い生産職が開く店ばかり。今の私が訪れるには、もう縁遠い場所だった。
以前、ここをくまなく探したことがある。それでも、彼の店は見つからなかった。
それ以来、ここには来ていなかった。
そもそも、出会った時点で私よりもレベルの高かった彼が、今さらこんな場所で店を開いているはずがない。
「こんなところに来てもしょうがないのに――えっ?」
ふと見上げた先に、彼の名前が刻まれた看板が目に飛び込んできた。
このエリアの店舗は、借りたプレイヤーの名前がそのまま店名になる仕様のはず。
そして、この世界では同じ名前を持つプレイヤーは二人と存在しない。
心臓が跳ねた。
けれど、早まってはいけない。
もし彼がすでにゲームを辞めていたら、その名前は再び使えるようになっているはず。
つまり、この店のオーナーがあの時の彼とは限らない。
むしろ、同じ名前の別人だったとしたら――
それは、彼が本当にこの世界からいなくなったという決定的な証拠になってしまう。
その可能性が怖くて、足がすくみそうになる。
それでも私は、震える足で店の前へと歩み寄り、震える手で扉に手をかけた。
そして――意を決して、ゆっくりと扉を開ける。
「いらっしゃい」
――その声が耳に届いた瞬間、全身に電気が走った。
優しくて、温かくて、ずっと心に残っていた声。
どれだけ時間が経っても、決して忘れることのできなかった、あの声だった。
彼はカウンターの向こうに立ち、前髪で片目を隠したまま、もう片方の澄んだ瞳を、あの日のように私に向けてくれている。
胸の奥から、言葉にならない想いが込み上げてきた。
けれど同時に、不安も芽を出す。
……彼は私のことを覚えていてくれているのだろうか?
私にとって彼は特別な存在だったけれど、彼にとって私は――ほんの一瞬、手を差し伸べただけの、名もない初心者の一人だったかもしれない。
そんな考えが脳裏をかすめた瞬間、頭が真っ白になり、再会したときに言おうと考えていた言葉はすべて霧の中に消えてしまった。
「……ミコトさん、だよね? レベルもずいぶん上がってて、すっかり見違えたよ。このゲームを楽しんでくれてるみたいで、良かった。……って、俺のことなんて覚えてないかな」
照れくさそうに笑いながら、そう言った彼は――あの頃と、少しも変わっていなかった。
忘れるわけないじゃないですか――すぐにそう返したかったが、混乱していた私は別の言葉を口にしてしまう。
「フレンド登録、お願いします!」
あの時のお礼も、どれだけ探したのかも、今までどこにいたのかも、言いたいことや聞きたいことは山ほどあった。なのに、感情が溢れすぎて、最初に出てきたのは、そんな一言だった。
でも、彼は少し驚いたあと、おかしそうに笑って――優しくうなずいてくれた。
――こうして、「自分からフレンド申請した順」にしている私のフレンドリストの一番最初には、今も変わらず「ショウ」の名前が、静かに、そして誇らしげに輝いている。