NPCとはいえ、この世界の中では彼女もまた、一人の人間だ。
エルシーとの向き合い方を反省しつつ、俺は改めて彼女に向き直る。
「それで、エルシー。手紙に書いていたキャサリンの件なんだけど……」
「はい、そのことなんですが――」
エルシーは少し俯きながら、キャサリンの窮状を語り始めた。
俺は言葉を挟まず、彼女の話にじっと耳を傾ける。
彼女の話によると――
キャサリンのブリジット家は、かつて音楽で名を馳せた名門だが、祖父や父に商才がなく、家の経済状況は以前から苦しかったという。
そんなブリジット家を金銭面で支えていたのが、王都の貴族・ウィストリア家であり、今やブリジット家は完全に頭が上がらない立場にある。
そして今、そのウィストリア家の現当主ダミアンが、キャサリンを自分のもとに差し出すよう求めてきたのだという。
もし断れば、支援を打ち切るばかりか、過去の支援分の返済までちらつかせているらしい。
キャサリンも、そして彼女の父親も、抵抗の余地すらなく、言いなりになるしかない状況に追い込まれているのだ。
「そんなことになっていたのか……。許せないな」
俺は思わず拳を握りしめ、低くつぶやいた。
金の力で女の子を手に入れようだなんて、なんと羨ましい――いや、卑劣な奴だ。
俺は、キャサリンと会った回数は決して多くはない。だけど、そのわずかな交流でも、彼女の人柄や、六姉妹に向けていたツンとした態度の裏にある優しさは強く印象に残っている。
だからこそ――この話を聞いて、何もしないという選択肢はありえなかった。
「……放ってはおけないな」
「望まない結婚なんて、絶対ダメです!」
「女の敵だな」
気がつけば、クマサン達もそれぞれのパートナーとの再会を終え、エルシーの話に耳を傾けていた。
俺以上に気合が入って見えるのは、やっぱり女同士、いろいろと思うところがあるからだろうか。
とにかく、一緒にこのクエストに挑んでくれそうで心強い。
俺は何度かうんうんとうなずき、再び視線をエルシーへと向けた。
「ありがとう、エルシー。事情はだいたいわかった。キャサリンのことは、俺達に任せてくれ」
「はい、よろしくお願いします……。でも、ちょうど今、キャサリンのお屋敷にはダミアン様が来ているはずなんです。もしかすると、このまま王都へ連れて帰るつもりなのかも……」
「なんだって!?」
何というタイミングだ――って、ゲームのクエストなんて、たいていそんなものだけど。
「わかった。とにかく急いでキャサリンの屋敷に向かうよ」
正直、今の時点で何ができるかはわからない。
もし支援の返済が条件なら、大量の金策クエストをこなす必要があるだろうし、極端な手段――たとえば暗殺なんかに進むルートもあるかもしれない。まぁ、あったとしても、そんな陰の道に踏み込むつもりはないんだけどさ。
とにかく、何をするには時間が必要だ。もしダミアンがこのままキャサリンを王都へ連れていくつもりなら、とにかくそれだけは阻止しなければならない。
「みんなも、ついてきてくれるよな?」
「当たり前だろ」
三人とも迷いのない眼差しでうなずいてくれた。
そんな俺達を見て、エルシーが頭を下げる。
「みなさん、よろしくお願いします。キャサリンの屋敷は――」
エルシーから場所を教わると、俺達はすぐさまその屋敷へと向かった。
キャサリンの屋敷は、街の中心にほど近い場所に建っていた。
築年数こそ古そうだが、隅々まで手入れが行き届いており、どこか彼女の実直な性格がにじみ出ているような、そんな佇まいの家だった。
「行くぞ、みんな」
そう声をかけて、俺は屋敷の扉に手をかけ、力いっぱい引こうとした――が、扉はまったく動かない。押してみてもダメ。完全に閉ざされているようだった。
「開かない。まじかよ……」
ゲーム内の建物は、どこでも自由に出入りできるわけではない。
常に鍵が開いている家もあれば、クエストの発生条件を満たさないと中に入れない場所もある。また、時間帯やそこに住むNPCの行動によって、同じ建物でも施錠の有無が変わることもある。
だけど、このタイミングでキャサリンの屋敷が閉ざされているのは、さすがに予想外だった。
「中に入れないのか?」
「……ああ、そうなんだ」
クマサンの問いに、俺は力なく答える。
もしかして、来るのが遅すぎたのか――そんな不安が頭をよぎる。
エルシーのもとに行く前に、まっすぐキャサリンの屋敷に向かっていれば……そんな分岐条件があったのかもしれない。
最悪、この時点でイベントは別ルートに進み、キャサリンを追って王都へ向かう展開になっている可能性もある。
その場合、難易度が跳ね上がるのはおそらく間違いない。……やれやれ。
そんなふうに先の展開を予測していた、そのとき――
ガチャ
何の操作もしていないのに、突然扉が開き、俺は思わず一歩後ずさる。
驚きながら扉の向こうに目をやると、そこにはモーニングコートを着た初老の紳士が静かに立っていた。
「あ、突然すみません、俺は――」
「ショウ様ですね?」
咄嗟に名乗ろうとした俺より早く、相手の口から自分の名前が飛び出した。
プレイヤーではない、NPCだ。……とはいえ、最近のHNM狩りや運営イベントの活躍のおかげで、俺の名前はNPCの間でもそれなりに知られて――
「ショウ様のことは、キャサリンお嬢様から何度も伺っております」
「…………」
……だよね。
俺の武勇伝がNPCにまで知られてるわけ、ないよね。
うん、最初からわかってた。ちゃんとわかってたんだ……。
「えーっと、確かに俺はショウですが……あなたは?」
なんとか平静を装いながら、目の前の老紳士に尋ねる。
キャサリンの関係者なのは間違いないだろうが、まさか父親では……いや、それにしてはずいぶんと丁寧な物腰だ。
「申し遅れました。私は当ブリジット家の執事を務めております、ジェームスと申します」
ジェームスと名乗るその人物は、恭しく一礼してみせた。
整えられた白髪に、折り目正しい姿勢――まさに理想的な老執事といった風格だ。
「なるほど、執事さんでしたか。キャサリンがダミアンとかいう貴族と結婚させられそうだって聞いて、慌てて来たんですけど……彼女はまだこの屋敷に?」
「はい。お嬢様はちょうど今、ダミアン様と応接室でお話をされております」
その言葉に、俺はひとまず胸を撫で下ろす。
すでに連れ去られた後……なんて展開じゃなかったのは、不幸中の幸いだ。
――でも、だったら最初から、さっさと扉を開けてくれればよかったのに。
余計な心配をさせやがって。