俺は執事ジェームスへと向き直った。
「キャサリンと会わせていただけませんか?」
もちろん、「はいどうぞ」と簡単に通してもらえるとは思っていない。俺達がキャサリンの結婚話を止めに来たことは、彼にも薄々伝わっているはずだ。執事という立場上、それを承知のうえで屋敷に招き入れるわけにはいかないだろう。
一応、形式的に頼んではみたが、俺の中ではすでに次の手を考え始めていた。強行突破か、あるいは屋敷の外でキャサリンかダミアンが出てくるのを待つか……。
だが――
「承知しました。ダミアン様とのお話が終わるまでお待ちいただくことになりますが、それでもよろしければ、中へご案内いたします」
意外にも、ジェームスはあっさりと俺達を招き入れてくれた。
思わぬ展開に少し拍子抜けしつつも、俺達はジェームスの後に続いて屋敷の中へと足を踏み入れる。背筋を伸ばして歩く彼の背中を見ながら、素直な気持ちが口をついて出た。
「てっきり追い返されると思っていました。案内していただき、ありがとうございます」
「いえ。私も、お嬢様を『第七夫人に』などという申し出には賛同しかねますので」
前を向いたまま、淡々とそう言うジェームスの声に、俺はうなずいた。
なるほど。自分が仕える家の娘が、愛情のない政略で「第七夫人」にされようとしているのだから、執事として複雑な心境なのだろう。
……いや、待てよ。
今、何て言った?
「ちょっと確認なんですが……『第七夫人』って、ダミアンにはすでに六人も奥さんがいるってことですか?」
それは初めて聞く情報だった。
六人の女性に囲まれて暮らす男……なんてうらやま……いや、いやいや! そこじゃない!
キャサリンがそれを望んでいるのならともかく、金で家を縛り、無理やり自分のものにしようなんて、断じて許されることじゃない!
それに、この世界って一夫一妻制じゃなかったか? それとも、そういう自由もあるのか……? いや、それなら俺も――
「重婚って認められているのか?」
俺の後ろから飛んできたクマサンの鋭い声に、心を読まれた気がして、思わず肩がビクッと跳ねた。
「法的には認められておりません。ダミアン様は第七夫人と仰っておりますが、すでに正妻がいらっしゃる。つまり実際は、妾の一人という扱いになるのでしょう」
「なんだそれは……!」
怒りが腹の底でじわじわと湧き上がってくる。
その横でクマサンが顔をしかめ、低くつぶやいた。
「複数の女性に手を出すと……」
「最低ですね!」
「とんだ女たらしってわけか」
ミコトさんとメイの声も重なり、俺達の間に重苦しい空気が流れる。
魅力的な女性の間で気持ちが揺れるのは、わからなくもない。感情は簡単にコントロールできものじゃない。惹かれる相手が何人もできてしまうこと自体は責められないと思う。
でも、「この人」と決めて婚姻関係を結んだのなら、ほかの誰かに手を出すのは話が違う。誠実さを欠いた行動は、どんな理由があっても許されない。
「ますます見過ごせなくなったな――」
俺は拳を強く握りしめた。
「キャサリンは俺が必ず救ってみせる。相手が貴族だろうと、どれだけ権力があろうと関係ない。ダミアンとかいうスケベ貴族なんかに渡してたまるか!」
その言葉に、自分でも驚くほどの決意がこもっていた。
けれど――その直後。
「――ほう、ずいぶんと威勢のいいことを言うじゃないか」
落ち着き払った声が、しかし鋭く刃のような威圧感を帯びて、俺達の背後から降ってきた。
俺は反射的に振り向く。
そこにいたのは、四十代ほどの男。浅黒い肌に精悍な顔立ち、仕立ての良いスーツを完璧に着こなしたその立ち姿は、まさしく地位と力を備えた本物の貴族そのものだった。
――間違いない。こいつが、ダミアン。
「この私を『スケベ貴族』呼ばわりとは、なかなか大胆な男だな」
鋭い眼差しがこちらに突き刺さる。
その一瞬で、心臓がギュッと縮むような緊張が走った。
甘く見ていたかもしれない。六人もの女性を囲い、貴族社会を渡り歩く男が、ただの女好きの軟派者であるわけがない。その眼差しの奥には、確かに修羅場を生き抜いてきた男の圧があった。
……だけど、ここで怯むわけにはいかない。
「自分の半分も生きてないような女の子を、愛人にしようだなんて……同じ男として、どうかと思うぞ」
俺は目を逸らさずに、まっすぐ睨み返す。
「ロリコン野郎」なんて言葉が喉から出かかったが、それはなんとか飲み込んだ。
……最近、女子高生とテーマパークデートしたばかりだ。あれはあくまで健全なイベントだったが、言葉のブーメランが怖い。
数秒間の、無言の火花散るような睨み合い。
先に口を開いたのは、ダミアンだった。
「……なるほど、お前がショウだな」
またしても、自分の名前がNPCの口から飛び出す。
……今度こそ、本当にこの世界で俺の名前が通るようになってきたのか?
「俺のことを知っているのか?」
「ああ。キャサリンから聞いている。頼りになる男らしいじゃないか」
やっぱり有名人になったわけじゃなかった。
でも、キャサリンは、パートナーのエルシーを優勝させることもできなかった俺のことを随分と評価してくれているらしい。
人づてに誰かが俺のことを褒めてくれていたのを聞くのは、直接褒められるよりも嬉しい。こんな状況なのに、ついニヤついてしまいそうになる。
でも、浮かれている場合じゃない。
俺は気を引き締め、表情を改めて整える。
「……頼りになるかどうかはわからないが、少なくとも困っている女の子を放っておくような男じゃないことは確かだ」
「いい面構えだ。どうやら、彼女が言っていたことも、誇張ではなさそうだ」
ダミアンはゆっくりとうなずきながら、俺の仲間達――クマサン、ミコトさん、メイの顔を順に見渡す。
「すると……この三人は、お前の従者か」
……おいおい、今何て言った?
「……従者?」
クマサンの声が、低く冷える。
「この人のこと、やっぱり好きになれません……」
「生理的に無理ってやつだね」
ミコトとメイの声が重なった瞬間、屋敷の空気がぐっと重くなったような気がする。
――やっちまったな、ダミアン。
貴族であろうが何であろうが、うちの女性陣を敵に回してしまったことだけは確かだった。