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第217話 下書きの在処

「なるほど! バーバラさんの言う通りです。俺達に必要なのは、必ずしも『幻の楽譜』の原本じゃない。曲さえ再現できればいいんだから、下書きでも十分なんだ」


 まさに目から鱗だった。

 これまでセーラさんの行方を追うことしかないと思い込んでいたが、下書きでいいのなら、作曲者であるローランの足跡をたどるという別ルートが見えてくる。彼は王都の貴族――年齢的に、すでに亡くなっていたとしても、子や孫なら存命だろう。王都であれば、探し出すのもそう難しくないはずだ。


「やったな、ショウ。これで希望がぐっと広がったぞ」


 クマサンが朗らかな声でそう言いながら、俺の肩をポンと叩く。


「ああ! まずはローランの家を探そう。有名な作曲家でもあったなら、きっと見つけられる。下書きが残っているかどうかはわからないけど、あたってみるだけの価値はある」

「よし、それなら手分けして街の人から聞いて回ろう」

「そうですね。そのほうが効率は良さそうですね」


 次の方針を確認し、腰を上げかけたとき――


「ちょっとお待ち」


 バーバラさんの声が、俺達を呼び止めた。


「……まだ何か? もしかして、さっきの話のお礼とか……? 俺に払える程度なら――」

「そんなものはいらないよ。そうじゃなくてね、『幻の楽譜』の下書きについて、心当たりがあるんだよ」


 ――――!!

 思わず息を呑んだ。

 これまで図書館で無駄な労力を費やしてきたせいか、このクエストは情報集めに時間がかかるものだと思い込んでいた。でも、もしかすると、正しい順序で人の話を聞いていけば、こうして自然と道が開かれていく構造なのかもしれない。


「お願いします、バーバラさん! その心当たりについて、教えてください!」


 俺は思わず身を乗り出していた。しかし、バーバラはニヤリと口の端を吊り上げる。


「……話してやってもいい。だけど、一つだけ、条件がある」


 ……あ、そういうことね。

 順調に進むかと思わせておいて、ここで新たなお使いクエストの発生。

 この展開、よくあるやつだ。メインの話がなかなか進まなくてヤキモキするが――まあ、背に腹は代えられない。


「……わかりました。何でも言ってください」


 覚悟を決めてそう答えると、バーバラさんはまっすぐに目を向けた。そして、思いもよらない言葉を口にする。


「……もし、あんた達がこれからの冒険の中で、セーラがどんな人生を送ったのか知ることがあったら――そのときは、私に教えておくれ。たとえそれがどんなものであったとしても」


 ……え?

 予想外のお願いに、言葉が出なかった。

 てっきり、「珍しい薬草を取ってきてくれ」とか、「昔の仲間に手紙を届けてくれ」みたいな、そういう雑用を想定していた。だがこれは――想いのこもった、切実な願いだった。

 ゲームをプレイしているという感覚に囚われすぎていたことを、俺は恥じた。

 目の前にいるのはただのNPCじゃない。少なくともこの世界の中では、自分の時間を生き、過去を背負い、今もなお仲間の行方を案じている――そういう人だ。


「……わかりました。セーラさんのことがわかれば、必ずバーバラさんにお伝えします。約束します」


 俺がそう返すと、バーバラさんふっと穏やかに微笑んで、静かにうなずいた。

 俺が思っている以上に、彼女とセーラは親しくしていたのかもしれない。バーバラさんが吟遊詩人を引退してからも、ずっとセーラのことを案じていたのが、その表情から伝わってきた。


「ありがとよ」

「いえ……俺もセーラさんのことは気になってますから」


 下書きの楽譜を手に入れれば、セーラの行方を追う必要はなくなるだろう。

 だが、今回のクエストに限らず、この世界を旅していれば、いつかどこかで、彼女の足跡に偶然出会うかもしれない。

 そのときは、きっと――いや、必ずバーバラさんのもとを訪れよう。

 たとえ忘れていても、ゲーム的なペナルティはきっとない。逆に報酬を得ることもないだろう。

 それでも――それこそが、この世界を生きる冒険者として、そして一人の人間として果たすべき約束だと、俺は心に誓った。


「それで、バーバラさん。下書きの件ですが――」

「吟遊詩人ギルドのギルド長・イザークを訪ねてみな。あいつの父親が、かつてローランを支えていた人間さ。作曲だけじゃない、楽譜の管理もね。今はその役目を、イザークが継いでいるはずだ。そこに『名もなき小夜曲』の下書きが含まれている可能性は高い」

「――――!」


 信憑性の高い情報に加え、目的の場所も王都内。これほどありがたい話はない。

 ……あれ? でも、ちょっと待てよ。

 俺の中に、一つの疑問が浮かんだ。


「……バーバラさん、俺達、吟遊詩人ギルドでキャサリンの紹介状を見せて、受付のお姉さんに『幻の楽譜』について、ギルドの人達にも心当たりがないか聞いてもらったんです。でも、その時は誰も詳しいことを知らないって言われて……それで、バーバラさんのことを紹介されたんですよ。今の話が本当なら、そのギルド長のイザークって人は知ってたんじゃないんでしょうか?」


 そう。もしギルド長が楽譜の存在を知っていたなら、その時にこの話が聞けていたはずだ。たまたまギルド長が不在だったという可能性もあるが……それならそれで、「今は不在ですが、ギルド長なら何か知っているかも」とか言ってくれそうなものだ。

 俺は思わず首を傾げたが、バーバラさんは肩をすくめ、まるで当然だと言わんばかりに首を振った。


「『幻の楽譜』は知る人ぞ知る存在だが、その存在を知っている者はローランの最高の楽曲だということも知っている。そのため、楽譜があるとわかれば、欲しがる人間が金に目がくらんで押し寄せて来る恐れがある。ローランとセーラの経緯を父親から聞いているイザークは、二人の大切な曲をそんな奴らに汚されるのを望んじゃいない。だから、楽譜を持っていても誰にも話すことはないのさ。たとえ、誰の紹介状を持っていったとしてもね」

「……そうなんですか」


 俺は小さくため息をつきながら、肩を落とした。

 それが事実なら、再度ギルドを訪ねても、楽譜については教えてもらえないということだ。

 せっかく新たな手掛かりを得られたと思ったのに、また行き詰まってしまった――と思った、そのとき。


「『バーバラから託された』って伝えな」

「……え?」


 バーバラさんの言葉に、思わず顔を上げる。


「イザークに『バーバラから託された』と伝えなって言ったんだよ。そうすれば、イザークも『名もなき小夜曲』について教えてくれるはずさ」


 バーバラさんとイザークの関係性はわからない。だが、彼女の言葉には確かな自信と信頼が滲んでいた。もしかすると、この人は思った以上に影響力のあるすごい人なのかもしれない。


「……ありがとうございます」


 俺は真っすぐに礼を述べ、深く頭を下げた。


「……ただし、話はしてくれるだろうが、イザークが楽譜を見せてくれるかどうかは別の話だ。まあ、せいぜい頑張りな」

「…………」


 下げた頭の上からそんな不吉な言葉が降ってきた。

 ……今度こそ、無理難題か、困難なお使いクエストが来る流れか?


 俺達はバーバラさんに礼を述べ――再び、吟遊詩人ギルドへと向かった。



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