「なるほど! バーバラさんの言う通りです。俺達に必要なのは、必ずしも『幻の楽譜』の原本じゃない。曲さえ再現できればいいんだから、下書きでも十分なんだ」
まさに目から鱗だった。
これまでセーラさんの行方を追うことしかないと思い込んでいたが、下書きでいいのなら、作曲者であるローランの足跡をたどるという別ルートが見えてくる。彼は王都の貴族――年齢的に、すでに亡くなっていたとしても、子や孫なら存命だろう。王都であれば、探し出すのもそう難しくないはずだ。
「やったな、ショウ。これで希望がぐっと広がったぞ」
クマサンが朗らかな声でそう言いながら、俺の肩をポンと叩く。
「ああ! まずはローランの家を探そう。有名な作曲家でもあったなら、きっと見つけられる。下書きが残っているかどうかはわからないけど、あたってみるだけの価値はある」
「よし、それなら手分けして街の人から聞いて回ろう」
「そうですね。そのほうが効率は良さそうですね」
次の方針を確認し、腰を上げかけたとき――
「ちょっとお待ち」
バーバラさんの声が、俺達を呼び止めた。
「……まだ何か? もしかして、さっきの話のお礼とか……? 俺に払える程度なら――」
「そんなものはいらないよ。そうじゃなくてね、『幻の楽譜』の下書きについて、心当たりがあるんだよ」
――――!!
思わず息を呑んだ。
これまで図書館で無駄な労力を費やしてきたせいか、このクエストは情報集めに時間がかかるものだと思い込んでいた。でも、もしかすると、正しい順序で人の話を聞いていけば、こうして自然と道が開かれていく構造なのかもしれない。
「お願いします、バーバラさん! その心当たりについて、教えてください!」
俺は思わず身を乗り出していた。しかし、バーバラはニヤリと口の端を吊り上げる。
「……話してやってもいい。だけど、一つだけ、条件がある」
……あ、そういうことね。
順調に進むかと思わせておいて、ここで新たなお使いクエストの発生。
この展開、よくあるやつだ。メインの話がなかなか進まなくてヤキモキするが――まあ、背に腹は代えられない。
「……わかりました。何でも言ってください」
覚悟を決めてそう答えると、バーバラさんはまっすぐに目を向けた。そして、思いもよらない言葉を口にする。
「……もし、あんた達がこれからの冒険の中で、セーラがどんな人生を送ったのか知ることがあったら――そのときは、私に教えておくれ。たとえそれがどんなものであったとしても」
……え?
予想外のお願いに、言葉が出なかった。
てっきり、「珍しい薬草を取ってきてくれ」とか、「昔の仲間に手紙を届けてくれ」みたいな、そういう雑用を想定していた。だがこれは――想いのこもった、切実な願いだった。
ゲームをプレイしているという感覚に囚われすぎていたことを、俺は恥じた。
目の前にいるのはただのNPCじゃない。少なくともこの世界の中では、自分の時間を生き、過去を背負い、今もなお仲間の行方を案じている――そういう人だ。
「……わかりました。セーラさんのことがわかれば、必ずバーバラさんにお伝えします。約束します」
俺がそう返すと、バーバラさんふっと穏やかに微笑んで、静かにうなずいた。
俺が思っている以上に、彼女とセーラは親しくしていたのかもしれない。バーバラさんが吟遊詩人を引退してからも、ずっとセーラのことを案じていたのが、その表情から伝わってきた。
「ありがとよ」
「いえ……俺もセーラさんのことは気になってますから」
下書きの楽譜を手に入れれば、セーラの行方を追う必要はなくなるだろう。
だが、今回のクエストに限らず、この世界を旅していれば、いつかどこかで、彼女の足跡に偶然出会うかもしれない。
そのときは、きっと――いや、必ずバーバラさんのもとを訪れよう。
たとえ忘れていても、ゲーム的なペナルティはきっとない。逆に報酬を得ることもないだろう。
それでも――それこそが、この世界を生きる冒険者として、そして一人の人間として果たすべき約束だと、俺は心に誓った。
「それで、バーバラさん。下書きの件ですが――」
「吟遊詩人ギルドのギルド長・イザークを訪ねてみな。あいつの父親が、かつてローランを支えていた人間さ。作曲だけじゃない、楽譜の管理もね。今はその役目を、イザークが継いでいるはずだ。そこに『名もなき小夜曲』の下書きが含まれている可能性は高い」
「――――!」
信憑性の高い情報に加え、目的の場所も王都内。これほどありがたい話はない。
……あれ? でも、ちょっと待てよ。
俺の中に、一つの疑問が浮かんだ。
「……バーバラさん、俺達、吟遊詩人ギルドでキャサリンの紹介状を見せて、受付のお姉さんに『幻の楽譜』について、ギルドの人達にも心当たりがないか聞いてもらったんです。でも、その時は誰も詳しいことを知らないって言われて……それで、バーバラさんのことを紹介されたんですよ。今の話が本当なら、そのギルド長のイザークって人は知ってたんじゃないんでしょうか?」
そう。もしギルド長が楽譜の存在を知っていたなら、その時にこの話が聞けていたはずだ。たまたまギルド長が不在だったという可能性もあるが……それならそれで、「今は不在ですが、ギルド長なら何か知っているかも」とか言ってくれそうなものだ。
俺は思わず首を傾げたが、バーバラさんは肩をすくめ、まるで当然だと言わんばかりに首を振った。
「『幻の楽譜』は知る人ぞ知る存在だが、その存在を知っている者はローランの最高の楽曲だということも知っている。そのため、楽譜があるとわかれば、欲しがる人間が金に目がくらんで押し寄せて来る恐れがある。ローランとセーラの経緯を父親から聞いているイザークは、二人の大切な曲をそんな奴らに汚されるのを望んじゃいない。だから、楽譜を持っていても誰にも話すことはないのさ。たとえ、誰の紹介状を持っていったとしてもね」
「……そうなんですか」
俺は小さくため息をつきながら、肩を落とした。
それが事実なら、再度ギルドを訪ねても、楽譜については教えてもらえないということだ。
せっかく新たな手掛かりを得られたと思ったのに、また行き詰まってしまった――と思った、そのとき。
「『バーバラから託された』って伝えな」
「……え?」
バーバラさんの言葉に、思わず顔を上げる。
「イザークに『バーバラから託された』と伝えなって言ったんだよ。そうすれば、イザークも『名もなき小夜曲』について教えてくれるはずさ」
バーバラさんとイザークの関係性はわからない。だが、彼女の言葉には確かな自信と信頼が滲んでいた。もしかすると、この人は思った以上に影響力のあるすごい人なのかもしれない。
「……ありがとうございます」
俺は真っすぐに礼を述べ、深く頭を下げた。
「……ただし、話はしてくれるだろうが、イザークが楽譜を見せてくれるかどうかは別の話だ。まあ、せいぜい頑張りな」
「…………」
下げた頭の上からそんな不吉な言葉が降ってきた。
……今度こそ、無理難題か、困難なお使いクエストが来る流れか?
俺達はバーバラさんに礼を述べ――再び、吟遊詩人ギルドへと向かった。