俺達が吟遊詩人ギルドの扉を押し開けると、受付のお姉さんが今度はにこやかな笑顔で迎えてくれた。
「どうでした? バーバラさんにはお会いできましたか?」
「はい、おかげさまで。貴重なお話をお伺いすることができました。……それで、今度はそのことで、ギルド長のイザークさんとお話させていただきたいのですが、いらっしゃいますか?」
「はい、ギルド長は中におりますが……」
少し困ったように眉を下げ、お姉さんは続けた。
「ギルド長は『幻の楽譜』については噂程度に聞いたことがあるだけで、詳しいことは知らないと、そう言っていましたよ?」
嘘をついている様子はない。おそらく、本当にイザークからそう伝えられているのだろう。
ギルドの仲間にも真実を語らない男が、会えたとしても、素直に『名もなき小夜曲』について知っていることを話してくれるのかは怪しいが――それでも、今は彼に聞くしかない。
「構いません。とにかく一度、お話だけでもさせてください。もしお忙しいようでしたら、会っていただけるまで何時間でも待ちますから――」
そうお願いしたときだった。
受付の奥から、低く渋い声が飛んできた。
「いくら待ってもらっても、話せることなんぞ、俺には何もないぞ」
「あっ、ギルド長!」
お姉さんが慌てて振り返る。
その視線の先にいたのは、ただ立っているだけでも様になる、渋くて厳格な雰囲気をまとった男だった。
深い海のような青紫のロングコートを羽織り、胸元にはかすかに光る銀のブローチ。鍛えられた体つきは服の上からでもわかる。
鋭く細められた灰色の瞳は、まるで相手の内側まで見透かすかのようで、その視線には経験と威厳が宿っていた。顎にはきっちりと整えられた口ひげと短いあごひげ。髪は後ろで一束に結ばれており、白髪混じりの黒髪が年輪を刻んでいるようだった。
ぱっと見は四十代ほどだが、実年齢は十歳ほど上かもしれない。
「……あなたがイザークさんですか」
「ああ、そうだが、吟遊詩人でもない冒険者に関わってる余裕は俺にはない。今晩は歌劇のステージだってあるんだ。『幻の楽譜』を探しているなら、ほかをあたりな」
取りつく島もないとはこのことだ。今にも踵を返して奥へ戻ってしまいそうな気配に、俺は咄嗟に声を張った。
「バーバラさんから、託されました!」
彼女に言われたとおりの言葉を口にする。
言ったあとで、「何を?」と聞かれたらどう答えるんだ俺……と内心焦ったが、イザークの目が一瞬で鋭くなったのを見て、そんな心配は杞憂だったと悟る。
「……いいだろう」
あっさりとうなずいたイザークに、俺は思わず息を呑む。
バーバラさん、やっぱりただ者じゃない……。
「すまんが、こいつらを俺の部屋に案内してやってくれ」
イザークは受付のお姉さんにそう告げると、迷いなく奥へと歩いていった。
ギルド長室で話を聞いてもらえるということは――これはつまり、いよいよ『名もなき小夜曲』に手が届くということなのかもしれない。
受付のお姉さんに案内されたギルド長室。
俺達は応接用のソファに腰を下ろし、ギルド長イザークと向かい合った。
「バーバラさんに認められたってことは――お前達、ただの興味本位で『名もなき小夜曲』を追っているわけじゃないんだな?」
「はい」
俺は真っすぐにうなずいた。
どうやらバーバラさんは、イザークにとっても信頼のおける人物らしい。あの人、やっぱり相当な過去を持った吟遊詩人なんだろうな……。
「実は――」
俺はこれまでの経緯を包み隠さず話した。
こういうときは、下手な駆け引きや嘘は逆効果だ。
真剣な気持ちを、そのままぶつけるのが一番だと、俺は信じている。
すべてを話し終えると、イザークはしばらく黙ったまま、じっと俺達を見つめていた。
そして、重い口を開く。
「なるほど、そういう事情か。……確かに、『名もなき小夜曲』の下書きなら、俺の手元にある」
――おおおっ!?
思わず歓声が出そうになるのをこらえた。
正直、こうもあっさり認めてくれると思っていなかった。
なんだよ、このクエスト。最初はやたら回り道させられると思ってたけど、一度波に乗れば、スイスイ進むじゃないか。こうやって自分の思った通りにクエストが進んでいくって、実はなかなか気持ちがいいもんなんだよな。
「それじゃあ、その下書きを俺達に――」
「だが、『はいどうぞ』と簡単に渡すわけにはいかない」
……だよね。
そんな簡単にいくわけないって、本当はわかってたんだ。
俺は内心で舌打ちしながらも、顔には出さないようにした。
根性悪いギルド長め……。
「バーバラさんはお前達を認めたようだが、俺はまだだ。初対面の冒険者を、無条件で信用するほど甘くない。下書きが欲しいのなら――まず、それに足る人間だと示すことが必要だと、そう思わないか?」
イザークは唇の端を吊り上げ、不敵に笑った。
ちくしょう、完全に主導権を握ってやがる……。
いろいろと言いたいことはあったが、俺はただ黙ってうなずくことしかなかった。
今度こそ、あれだ。無理難題を押し付けられる展開だ。
――いいだろう! やってやるよ!
海賊船とともに沈んだ幻の楽器だろうと、セイレーンの海域に潜む魔物退治だろうと、なんだってやってやろうじゃないか。
「――イザークさんの言うとおりです。構いません、何だって言ってください。認めてもらうためなら、何だってやりますよ」
「ほう……いい顔をするじゃないか。だったら――」
イザークが俺達への要求を口に仕掛けたそのときだった。
「ギルド長、大変です!」
勢いよく扉が開かれ、受付のお姉さんが血相を変えて飛び込んできた。
「おいおい、客人の前だぞ。ノックくらいしろ、まったく最近の若いやつは――」
「ギルド長、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないんですって!」
お姉さんは慌てて早口でまくしたてる。
「たった今、連絡が入ってきたんですよ! 街道で崖崩れが起きて、今晩の歌劇に出演予定だった役者さんが何人か時間に間に合わないって! どうしましょうか!?」
……なるほど、相当な緊急事態らしい。
俺達に難題をふっかけようとしていたギルド長に、天罰でも下ったのか?
――なんて、他人事だと気楽に構えていたのも束の間。
「……来られないのは何人だ?」
「四人です」
「そうか、四人か――」
イザークはゆっくりとこちらに視線を向けると、にやりと笑ってとんでもないことを口にしやがった。
「ここに、都合よくちょうど四人いるじゃないか」
えっ。
俺達は思わず顔を見合わせる。
ま、まさかこの展開は……。
「今晩のステージ、間に合わない四人の役者の代役として、お前達に出てもらう。それをちゃんとこなしてみせたら――下書きを渡してやってもいいぞ」
――やっぱりぃぃぃぃぃ!
『幻の楽譜』探し、やっぱり一筋縄ではいかないみたいだ。
俺達に課せられたのは、舞台という名の試練。
それを超えなければ、楽譜にはたどり着けない……!