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開店1周年前日 16

「はい、それはお仕事中のことですので、ご心配なく」

 かえって申し訳なく思い、私は頭を垂れながらそう返事した。

「本田さんから伺ったことですが、スタッフとの関係性のことです。雨宮さんのところはご夫婦でやっていらっしゃるからあまり感じていらっしゃらないかもしれませんが、経営者との温度差があるということです」

 この話は何となく予想していた。私も開業前に他のお店で働いていたから、複数のスタッフでやっていくというところには、今とは異なる意識が必要だと頭では分かっていた。

 だが、理解しているのはスタッフ側としての経験からくるものだ。経営者としての立場ではない。こういうことは一方の経験があるからといって全てを把握できるものではないし、スタッフ一人一人の個性や生活の条件も異なる。マニュアルで何とかなるようなことでないし、そこは個別に対応していかなければならないであろうことは推察していた。

「確か、雨宮さんは卒後すぐに開業されたのではなく、何年かどこかでお勤めでしたね。ならばそのご経験からもお分かりでしょうが、この世界はやはりやがては自分のお店を持ちたい、と思っている方が多いですよね。だから、この点をどう克服するか、ということが大切なようです」

 川合の話から、開業前の自分たちのことを思い出した。

 この電話はスピーカーになっているので、話の内容は美津子の耳にも届いている。私は美津子と目を合わせながら川合と話している状態だ。

 美津子も川合の話に頷きながら聞いている。それで今度は美津子が川合に質問した。

「本田さんのところもやはりスタッフの出入りがあったのですか?」

「そうですね。スタッフの人たちの事情がありますからね」

 美津子はこの言葉を聞いて、今後の参考という意識と共に具体例を聞いてみたくなった。前職の居酒屋の場合も同様の問題があったけれど、今度のお店でスタッフを募集するとなると、技術職というだけにすぐに補充するのは難しいだろう。なまじ他でスタッフを雇っていた経験がある分、現実的な心配として出てきたのだ。

「で、その時、本田さんはどうなさったのですか?」

 こういう話になると、私よりも美津子のほうが気になるようだ。

 前職の場合、経営者の妻としていろいろ気を遣っていた経験がある。忙しい時に辞められて仕事の上でとても困った経験がある。

 その中にはかわいがっていたスタッフもおり、結構なショックを受けていた。

 それでもアルバイトを募集したりすることで凌いでいたけれど、癒しの仕事の場合、施術者の手を気に入り通われるクライアントの人もいる。その施術者がいなくなるということで、そのままクライアントの方がお店を離れてしまうことを心配しているのだ。

 川合との話の中で見せる美津子の表情を見ていて、昔のことを思い出しつつ、私も同様の危惧を感じていた。

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