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2020年、感染拡大前夜 1

 ここから話は過去に遡る。私が天職と考えていた居酒屋から癒し家の道に転職した長く、そして辛い日々を静かに話していく。誰にも起こり得る、人生の一大転機の一例だ。


 2020年、新型コロナウイルスは世界中に蔓延した。

 日本ではこの年の1月28日、初めての日本人感染者が確認された。

 ここから日本での新型コロナウイルス感染の報道がされるようになったが、正直言って対岸の火事であった。報道ではいろいろな情報が流れているが、身近には迫っておらず、テレビやネットのニュースを見ても、映画やドラマのワンシーンのような感覚さえ感じていた。

 それでもマスコミでは少しずつ深刻な報道がされるようになった。

 最初に人々の関心を引いたのは、豪華クルーズ船、ダイヤモンドプリンセス号の集団感染だった。

 1月20日に横浜港を出発し、海外への航海中、1月25日に香港で下船した乗客からウイルスが検出されたと2月1日に発表された。

 同船は2月3日に横浜に帰港したが、乗客の下船は認められなかった。感染拡大を防ぐための措置だ。

 このニュースは国内でも、そして海外でも話題になった。連日、感染者数が発表され、発症者や救急搬送が必要と思われる人が病院に運ばれる様子が物々しい雰囲気の中で中継されていた。

 この頃、日本中が新しい感染症に興味を持ったが、それか世界的な流行になり、それまでの日常が一変するまでになるとは誰も予想していなかった。

 だが、ここから私たちの生活も徐々に変化し始めた。


     ◇


 ある日の朝、私は妻と一緒に朝のワイドショーを見ていた。私はこの頃、居酒屋を経営していた。個人経営の店だがそれなりに頑張り、2店舗を運営していた。

 もともと商売がやりたくて、それにつながりそうな会社に就職した。居酒屋などを全国展開する大手チェーンに就職したのだ。そこでは正社員でもまずは現場経験が必要で、その後にポジションが決まるシステムだった。現場経験のない者が経営的な立場になっても、お客様のニーズに対応できないから、すべての社員がまず現場に立つというわけだ。

 私にとって接客は楽しく、この仕事は性格的にも合っていた。

 数年すると店長に昇格し、ますます仕事が楽しくなっていた。

 そうなると、ある程度現場のことは自分で決められるシステムだったので、提供するメニューなどを工夫していた。

 中には私が考案したメニューが正式に採用され、全店舗で提供されるようなこともあり、仕事にやりがいも感じていた。

 私が妻の美津子と知り合ったのはこの頃だった。アルバイトで採用したのだが、正社員以上の能力を持っており、少しずつ私の片腕的な感じで頑張ってもらった。

 仕事の感覚が私と似ており、開店前のミーティングなどでは建設的な意見やアイデアを出し、大変助かっていた。私が考案したメニューについても、まだアルバイトだった美津子の一言がヒントになり、具体的な形にしたというケースもある。

 そういう出来事が続くことで徐々に親しくなり、交際がスタートした。

 それから3年後、私が28歳の時に結婚した。

 そのまましばらくその居酒屋で一緒に仕事をすることになったが、少しずつ独立して自分の店を持ちたいと思い始め、私が33歳の時に退職し、美津子と一緒に居酒屋を始めることになった。

 その妻と今は一緒に朝のテレビを見ている。


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