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2020年、感染拡大前夜 2

「また、ダイヤモンドプリンセス号の話をしているよ。乗客の人、大変だよな」

 私が言った。美津子は私の隣に座り、目線は同じ画面を見つめている。

「そうね。でも、横浜の話でしょう。こんなに厳重に対応しているならここで防げるんじゃない」

 この頃はまだ狭い範囲の中で事が収まると思っていた。

 以前騒がれたMARSやSARSにしても、いろいろ騒がれたけれど日本ではあまり影響がなかった。この時の感じで楽観視していたのだ。

 お店の営業は夕方からになるので、お昼前までは自宅でくつろぎ、その後、開店前の仕込みのために家を出る。食材についてはお願いしている業者に配達してもらっているので、いちいち買い物に行くことはない。事前にその日に必要な量について予想し、余らせないように注意しながらオーダーしている。

 私やスタッフが入る時間に搬入をお願いしているので、その時間までに着くように家を出れば良い。だから、朝のちょっとした一時は格好の夫婦の会話の時間となる。

「でも、この感染症が広がったらどうなるだろうね」

 私はテレビを見ていて一抹の不安を感じていた。

 確かにちょっと前に話題になった感染症は日本では大丈夫だったけれど、インフルエンザは毎年流行し、感染だけではなく、亡くなる人も出ている。あまり楽観視できないような気持があるのだ。

「でも、MARSもSARSも今回と同じコロナウイルスでしょう? 新型と言っても大丈夫よ。もともとコロナは風邪の原因の一つでしょう。あまり気にしなくても良いんじゃない」

 美津子は私の心配をよそに軽く流している。明るい感じで言うこともあり、そんなものかなと思いつつ、適当に相槌を打った。


     ◇


「ところで、新しいメニューを考えたんだけど、どうかしら」

 美津子は新型コロナウイルスの話よりも新メニューのほうに気持ちが向いていた。私もこの時は仕事をほうが気になっており、このまま売り上げが伸びていていけば3号店のオープンも視野に入る、と思っていた。そうなれば新メニューといった話は、プラスになるので私もその話に乗った。

 この時、1号店本店は私、2号店は美津子が店長として運営していた。

 基本的には同じメニューを提供していたが、以前勤めていたお店にやり方に倣い、各店舗の状況に合わせたメニュー作りについてはお互いにアイデアを出し合っているのだ。

 お店の場所によって客層が違うので、それぞれにニーズに応えたメニューを意識することは大切だ。それぞれの店のスタッフにも意見を聞きつつ考えるが、採用されればアイデア料を支払うようにしている。額としては大したことはないが、そういうちょっとしたことがスタッフの意識を変え、明るくやる気のある雰囲気を作っている。こういうことは美津子のアイデアだったが、アルバイトの経験がある分、その立場での発想が出るのだ。

 時期的には春を意識したメニューのようだが、その季節に出る野菜を使ったメニューとのことだった。お店に出す前に具体的に調理し、味付けや盛り付けなどを工夫し、原価から価格も算出しなければならない。飲食店の場合、原価率をどう抑えることができるかがポイントだが、人件費や光熱費などが含まれるので3割以内に抑えることを意識している。

 もちろん、その部分を削りすぎて、そもそもメニューにならないようでは話にならないので、新メニューには気を遣う。

 だが、見方を変えればそれ自体が楽しいことであり、私がこの道を選んだ理由でもあった。

 ただ、まだ今は十分な季節の食材が揃わない。出入りの業者に相談しつつ、まずは頭の中でメニューを作り、揃うようになった時に実際に作ってみようということになった。

 こういう時にはアイデアをノートにしたためるのだが、前のお店の時からあるので、結構な冊数になる。中には以前ボツになったメニューの復活もあるかもしれない。こういうことはきちんと記録としてとっておき、何かの参考にするようにしている。

 これまでは通年メニューを考えることが多く、季節メニューはあまり考えていなかったので、参考になることは少ないが、応用ということではあり得る。だから、もう少しお互いに考えをまとめ、2~3日後にもう一度話し合おうということになった。

 壁の時計を見ると、そろそろ出かけなければならない時間になっていたので、私たちは家を出た。


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