4月に入った頃から、社会的には不穏な雰囲気が流れていた。今後コロナ感染者が増えていき、日本でも外国のような行動規制が行われるのではないかという不安だ。
国から全世帯にマスクを配布するといったこれまでは考えられないようなことが決定し、コロナを恐れてか街を歩く人も少ない。今年は毎年恒例の花見もない。居酒屋にとっては今、繁忙期のはずなのだが、その気配はない。だからこそ、ランチタイムを設け、これまでとは異なる時間帯からの収益アップを行なっている。
そういう中、衝撃的な報道があった。数日前から話に上がり、懸念していた緊急事態宣言が4月7日から実施されるということだ。
感染者が多い東京都の場合、もっと以前から心配されていたことだが、スタッフの手前、心配気な顔はできない。2店舗を有し、会社組織にはしているが、実質的には個人店だ。そういう中で気弱な顔をしていると全員の士気が下がる。だから努めて前向きなところを示し、必要に応じて近況に絡んだことを話し、それで何とかこの閉塞感を打ち破ろうとしていた。
ランチタイム企画もその一つで、みんなの気持ちを高め、それで売り上げをアップさせようと思っていた。
それでも準備中から感染者増に伴い、息苦しさを感じていた。思った以上の来店があったことから少しは気持ちも好転していたが、そこに恐れていた緊急事態宣言の発出だ。北海道の場合、東京よりも前に独自に宣言が出ていたが、どうしても他の地域ということで切迫感が低かった。それが今度はいよいよ自分の身の回りで起こる、ということになるが、どうしても気落ちすることは免れない。
実際に効力が出るのは3日後になるが、私たちは朝のテレビでそのニュースを見て、互いに顔を見合わせ、言葉を失っていた。互いに無言のまま、微妙な空気だけで流れている。
朝食をとった後、リビングでお茶を飲んでいたが、部屋の中ではそれをすする音だけが聞こえていた。時間がとても長く感じる。これまでスタッフと一緒に力を合わせ、何とか乗り切りたいと思っていたのに人の外出が制限される宣言が発令されれば、当然来客数に大きく響く。
今回、接待を伴う飲食店や人が密になるようなところについてはしっかり制限される方針のようだ。具体的には各自治体で細かなところが決められていくのだろうが、案としては夜の営業時間の短縮要請があるとのことだ。
しかし、居酒屋はその夜が稼ぎ時になる。時短要請となれば従わざるを得ないだろうが、そこで生じる損失はどうすれば良いのか、そういった現実問題が頭の中を駆け巡っていた。確かにコロナの問題は大きい。それは分かるが自分たちの生活も守らなくではならない。そのバランスをどう取れば良いのか、私には分からない。身のことは最近、何度も繰り返し私たちの心を襲っている。それは美津子も同じだ。
だからお互いに無口になってしまうのだろうが、ただ時間だけが過ぎ去った。
しかし、時計を見ると針は進んでいない。私たちの心の中ではとても長い時間だったが、実際にはわずかな時間だったのだ。
それに気づき、私は美津子に言った。
「どうしよう」