——とある廃墟の中で、一人の男が荒い息を吐きながらじっと身を潜めていた。
「……はぁ……はぁ……」
カチカチと手にはめた注射器だらけの手袋を動かしながら、ヴィラン「パフアダー」はじっと部屋の奥で息をひそめる女性の姿に目を向けて荒い息を小刻みに吐いている。
手に装着されたグローブにはいくつもの注射器が取り付けられており、その中へと緑色に輝く液体が染み出すが、パフアダー本人は何らかの影響を受けているのかじっとりと額に汗が滲む。
もう一人その場にいる女性は椅子に縛り付けられ、顔には布が巻き付けられた格好でその素顔は見れないが、布の合間から瞳が見えている。
彼女は必死にその息をひそめ、恐怖で叫ばないように耐えしのいではいるのだが……全身は震え、目の焦点は微妙にあっておらず、異様にギラギラとした光が浮かんでいる。
それもそのはず……女性の腕にはいくつもの注射痕が生々しく残されており、パフアダーが何らかの毒物を彼女へと注射していることは間違いなかった。
「……ひい……ひい……」
「……死ぬことはない、ただ精神に影響を与えるだけだ……」
女性の声に反応したのかパフアダーは血走った眼を女性へとむけて語り掛ける……かれが投入した毒物は軽い痛みと、息苦しさを与えるだけの効果だが、異常な薬物を投入されたという事実が女性の恐怖を煽っており異常なほどの発汗と、荒すぎる息がその毒物の効果を物語っている。
彼女の瞳には周りに密生する黒い触手と人の言葉を喋る不気味な蛇の頭を持つ男の姿がまるで現実のように見えている……恐怖と狂気が思考を鈍らせているのだ。
常に布が巻かれた状態で周りの景色は見えていないにもかかわらず……だ、それほどに強力な幻覚が彼女の脳を焼き続けている。
「……許して……もう勘弁してぇ……怪物はいや……ぁ」
「クハハッ! こりゃすげえな……どうやらこの女の目には怪物が見えているのか……スキル増強の効果があるってのも間違いではないな」
ネゲイションから受け取った特注グローブ……まるでそのサイズ、用途を最初から理解したかのようにパフアダーの手にしっくりと馴染む手触り。
そして自作のグローブだった頃から考えると、スキルで生み出した毒物の効果が高くそれまで生成できなかった幻覚系の毒物も容易に生み出せる。
しかも今までのものよりもスキルの変換効率が異常に高く、彼自身の血液をそれほど多く消費していないことも驚きだ。
目の前で呻く女性はちょうど良い獲物を探していたパフアダーの前に現れた格好の実験材料……彼のことをヴィランとして認識せずに近寄ってきた哀れな犠牲者である。
「……効果は高く薬物への変換効率も高い……どういう構造だ? まあいいか……」
スキル「パフアダー」は人間の体内にある血液、体液などをスキルにより転換し、特殊な効果を生み出す薬効へと変化させるスキルだ。
本来は毒物を生成するためのスキルでは無いためスキル所持者が望めば、治療薬などの生成も可能になっている……本人にその気が無ければ無意味な効果ではあるが。
血液の消費と薬物の生成は比例し、血液を失うことでスキル所持者の生命活動を脅かすことなども判明していて、過去の所有者の中にはスキルの多用により失血死したものも存在する。
そのためスキル使用者によっては自己輸血を行うことで、失血死を防ごうとしたものもいるが自己輸血した血液はスキルによって変換されるまでに時間を要するためその試みは失敗している。
「……フヒヒッ……あのスパークとかいうムカつくヒーローが激痛で泣き叫ぶのを見れたら最高なんだがな……」
憎々しげに吐き捨てたパフアダーだったが、縛り付けられた女性が次第にその命の火を急速に消し始めているのに気がついた。
軽く舌打ちをするとグローブについた注射器の一つを彼女の首へと突き刺し、何らかの液体を体内へと注入していく。
人間……特にスキルを持っていないものはヒーローやヴィランのような耐久力を有していない、薬品への抵抗力も低く彼らからすると簡単に死亡することがある。
実験台として利用した女性の体がビクビクと痙攣する……強力な薬効を持った治療薬、それを注入したことで急速に毒物の影響が消滅し、その生命に火が灯る。
とはいえほぼ仮死状態となった女性はこれ以上毒物の実験に耐えるだけの体力はないだろう……もはや監禁しておく意味もない。
「……やはりスキルもちが……耐久力的にはヒーローが最も良いのだが……」
とそこまで考えたパフアダーの脳裏に一人の女性の姿が思い浮かぶ……銀色の髪、赤い瞳……そしてスキルを満足に扱うことのできないポンコツ女性ヒーロー。
シルバーライトニングはヒーローとしては失格だったとしてもスキル所持者である彼女は一般人よりもはるかに体力、耐久力に優れておりパフアダーの毒にも十分に耐えるだろう。
そして……彼女には
それこそ一般人では強力すぎて心臓が止まってしまうようなレベルの毒物であっても、彼女は耐えるだろう……精神は破壊されるだろうが。
「……シルバーライトニング……今は何をしているんだ?」
ネゲイションから支給された特殊なスマートフォンを手に持ったパフアダーはシルバーライトニングの名前を検索する……だが、その検索結果には最近の彼女が活躍をしているという記事がずらりと並ぶ。
パフアダーはその記事を見ながら少し眉を顰める……戦闘能力が上がっている? 前に会った際にはスキルをきちんと使いこなせていなかったのだが。
正面から戦った場合はおそらく今のパフアダーに勝ち目はないかもしれない……だが、彼は正面から戦うことをそもそも考えていなかった。
腕っぷしだけで考えるとパフアダーはヴィランとしては強力ではない、毒物を利用しての奇襲攻撃が得意であり、前回のようにシルバーライトニングの前に姿を表すことは自殺行為に近い。
『……私は君の勝利を期待しているよ……そして弱気を
突然別れ際に話しかけてきたネゲイションの声が心に響くとドクン! と大きく心臓が跳ね上がった気がした。
それはネゲイションによる恐るべき呪いのようなもの……ヴィランの王が放った言葉には強い強制力が生まれており、パフアダーは彼のいうことを聞かなければいけない、という強い欲求に縛られる。
それはあまりに強力な強制力を持っており、パフアダーの思考はグラグラと揺れるような感覚に陥り、そして次第にその言葉へと侵食されるように塗り替えられていく。
ネゲイションがもつ言葉の力は凄まじく、パフアダーは彼の言葉に従わなければいけないという思考へと自らが疑問すら持たずに信じるようになった。
そうだ、あのポンコツ女ヒーローごとき正面から打ち破れなくてどうする……俺はパフアダー、毒を操り毒を支配する強力なヴィラン。
すり替わった思考が彼の脳内を漆黒へと染めていく……勝てる、負けるはずがない、ヒーローをとらえ実験台へと堕とし……最後はスパーク、あの生意気な女ヒーローをも毒物で支配下に置くのだ。
「ウハハハッ! まずはシルバーライトニングおまえだ……生贄にしてやるぜ……!」