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第六八話 これで終わりだ

「……彼には今の私の動きが見えていなかった……?」


 パフアダーの狼狽の仕方から私はどうやら先ほどの光景が勘違いでも何でもなく、むしろ私の動きはヴィランからは認識できていなかったということを理解した。

 私自身の感覚からするとあの短い時間の中で、全てが遅くゆっくりとした流れのように見えていたのだが、パフアダーから見ると姿がいきなり消えて背後に出現したように見えたのだろう。

 それが何を意味しているのかはちょっとわからない……考えようとすると酷く頭が痛むし、良い言葉が浮かんでこないからだ。

 頭痛はこれまでに感じたことのない激しい痛みで、まるで神経を直接いじくりまわされているような気持ち悪さと、それに激しい痛みがそれ以上の思考をさせようとしない。

「……と、とにかくさっきの危ない局面は逃れたけど……」


「うおおおおおおおッ!! 絶対殺すっ……!」

 パフアダーが大きく両手を広げてまるでゴリラのように腕を振り回す……先ほどの一撃は躱したけど、状況は大して好転していない。

 気がつけばミシミシ……と肋のあたりがひどく軋んだ痛みを発しており、あまり長い時間動くことができなさそうだ。

 私は咄嗟に超加速で大きく跳躍すると少し離れた場所へと着地すると身構え直すが、ズシンッ!! という音を立てて先ほどまで私が立っていた地面にパフアダーの拳がめり込んでいるのが見えた。

 毒蛇が狩の際にここぞというときに凄まじい瞬発力を発揮するのと一緒で、あの体格にしては恐ろしいまでの速度で移動できるのは動物的とでもいえばいいだろうか?

 だが……私はパフアダーの速度が先ほどよりも大きく遅くなっていることに気がついた。

 体内に入れた毒物も薬品とそれほど変わらない、代謝が進むにつれて効果が落ちていくのだろう……目にとらえられないほどの速度では無くなっている。

 一般人ですら薬品の長期服用は効果を減衰させてしまうわけで、スキル所持者たるヒーローやヴィランの代謝は凄まじいのだ。

「いやいや、酷い目にあったよ……すごいパワーだ」


「……は? てめえなんで生きてやがる……瓦礫に潰されたんじゃ……」


「なんでって……そりゃ僕は最強だからね、あの程度じゃ死ねないよ」

 いきなり声が響くと先ほどの瓦礫の前に、ヒーロー「ヘラクレス」……つまりイチローさんがなんてことはないかのような表情を浮かべて立っていた。

 無傷……というわけにはいかなかったらしい、頭から軽く血を流した跡が残っているし、ヒーロースーツのあちこちには泥や汚れが付着している。

 彼は普段やたら綺麗な格好で、いつも清潔そうにしているのだけど、薄汚れている姿は珍しい光景だったため、思わず吹き出しそうになるが、ミシミシと肋が痛んで思わず悶絶してしまう。

 当のイチローさんはゆっくりと首を鳴らしながら私のそばへと歩いてくる……余裕と言っても良い表情で、肩を回したりして体の調子を確かめながら軽く微笑んだ。

「……よく耐えたね、随分やられたみたいだけど」


「そりゃー、私もヒーローですし……いてて……」


「じゃあさっさとアイツを倒して病院に行くぞ、一緒に戦おう」

 イチローさんは私の返答を聞くとニヤリと笑ってから、重心をぶらさない見事な構えを見せる。

 その姿は見惚れるほどであり、悔しいけれどこの人ちゃんと格好いいヒーローなんだよな、と内心悔しさを感じながら私は軽いため息と共に身構える。

 次の瞬間パフアダーが大幅に速度を落としながら地響きとともに突進してくる……巨大な肉体は威圧感を感じさせ、大きな拳には人を打ち砕くだけの破壊力が宿っており当ったらたたでは済まないことは明白である。

 しかし、イチローさんはその拳に向かって自らの右拳を叩きつける……ドゴオオッ! という爆音を立てて正面から衝突した拳と拳。

 まるでその場に最初からあったかのように空中で衝突した拳同士が静止し、ぴたりと動かなくなった。

「……さっきより出力落ちてるよ」


「な、そんなバカな……ッ!」


「人間ズルはいけないってことだよ……シルバーライトニングッ!」


「はいッ!」

 イチローさんの言葉に合わせて飛び出した私は、超加速の勢いをそのまま加えた全力キックをパフアダーの顎へと叩き込んだ。

 稲妻のような軌跡を描きながら雷鳴のような音と共に繰り出されたその一撃は、クリーンヒットとともにヴィランの巨体を大きく揺るがせる。

 その隙を逃さずイチローさんの拳がパフアダーの腹部へと突き刺さる……ボゴオオッ! という鈍い音を立ててめり込む拳にヴィランの表情が大きく変わった。

 先ほど私に叩き込んだ拳のようになんらかの臓器、もしくは骨に損傷が起きたのだろう、悶絶したまま息を詰まらせ動きを止めたパフアダーに向かって、私は左右の拳を叩きつけた。

 右、左、下からと連続した拳が叩き込まれるにつれて、彼の頭があちこちに跳ね回る。

 このまま脳を揺らして意識を刈り取る……ッ! だが、パフアダーも一筋縄ではいかない、雄叫びと共にカウンター狙いの拳を撃ち放った。

 拳を突き出した体勢の私は咄嗟に反応できず、迫り来る拳を見つめていると、ドンッ! という音を立ててその拳が跳ね上がる。

「やらせないッ!」


「グアアあッ!!」

 イチローさんの一撃がパフアダーの拳を叩いたことで、拳の軌道が大きく上へとずれていく。

 攻撃そのものを無力化するのではなく、軌道だけ変化させることで私への直撃コースを逸れた拳が、はるか上の空間を打ち抜き空転する。

 あまりに大きく軌道のズレた攻撃でパフアダーは勢い余って体制を崩した……かなり無理な体制でカウンターを打ち、そして拳の重さに彼は体を支えることが難しくなっている。

 チャンス……! 私はそのまま相手の体の下……ほんの一瞬超加速を使って潜り込むような態勢をとると、そのまま相手の脇腹に向かって拳を振り抜く。

 ドゴオオッ!! 先ほどイチローさんが拳を叩きつけた場所に寸分違わず正確に叩き込まれた拳に、何かが砕けたような感触が伝わる。

 凄まじい激痛が走ったのだろう、パフアダーは白目を剥いて再び悶絶する……その一撃は明らかにそれまで蓄積していたダメージを噴出させるのにふさわしかったようだ。

「うが……あああああああッ!!」


「うわ……」

 そのまま頭を抑えて悶え苦しむパフアダーは、悲鳴とともに全身より蒸気のような赤い色をした煙を吹き出してヨタヨタと後退していく。

 煙はひどい匂いで、正直その場から逃げ出したくなるような気分にさせられるが、そんなことを考えている合間にもパフアダーへと大きな変化が起きている。

 筋骨隆々とした巨体であったはずの体は、まるで風船が空気を失って萎んでいくかのように小さくなっていき、その姿は以前見た彼本来の姿へとあっという間に変化していく。

 体内に入れた毒物……あのシリンダーに入っていた液体の効果がなくなり、それまで大きく膨らんでいた肉体が強制的に元へと戻っていくのだろう。

 凄まじ痛みを感じているのかパフアダーは何度も顔や腕を掻きむしり、その度に鮮血が地面へと舞い散る様は狂気としか言いようがない。

 これは……と私がどうすればいいのかわからずに戸惑っていると、イチローさんの大きな手が肩へと乗せられる。

 私が彼を見上げると、パフアダーをチラリと見たイチローさんは少し悲しそうな表情を浮かべながら、首を左右に振った。

 つまり今パフアダーを救うには一撃で意識を刈り取り気絶させるしかないという合図……私が黙ったまま頷くとイチローさんは私の背中をぐいっ! と押した。

 イチローさんの超パワーとそこから超加速した私は、銀色に光る放たれた矢と化してパフアダーへと飛び蹴りを放つ。


「これで……終わりだああああッ!!」

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