——心拍数を知らせる定期的な電子音が響く病室……そこに一人の女性が音もなく姿を現した。
「……全く、消毒液の匂いは好かないわ」
まるで最初からその場にいたかのように、女性は自然な動きでベッドサイドへと近づく……ベッドには男性が一人寝かされており、懸命な治療の後を示すようにさまざまな器具やコードが身体中に装着され、静かな寝息を立てている。
ヴィラン「パフアダー」……彼は仲間からもヒーロー協会からもそう呼ばれていたが、先日の戦いにより意識を失ったままこの病院にて治療が続けられていた。
全身の筋肉が破断し胸部の骨はへし折れ、脳内にも致命的なレベルで出血が発生……普通の人間であれば命を落としているような凄まじい怪我をしているにもかかわらず彼はまだ生きていた。
「……良くお眠りで……こうしていればおとなしくていい子なのにね」
女性は意識のないパフアダーの頬にそっと指を這わせるが、その動きにも彼はまるで反応を見せず、その状況を理解したのか彼女は口元に笑みを浮かべた。
「不滅の魔女」ペルペートゥオ、それが彼女の名前であるがそれもまた幾つもある名前の一つにしかすぎず、彼女自身はその立場、状況に合わせて複数の名前を使い分けていた。
彼女が歴史の表舞台に姿を現したのはもう何十年も前のことであり、ヒーロー協会では彼女自身の名前などを把握はしているものの、それが別の人間が同じ名前を使い回しているものだと思い込んでいる。
誰が同一の人間が何十年も歳も取らず、まるで時が止まったかのように美しい姿をしているなどと考えるだろうか?
人間は年老いて亡ぶもの……そんな思い込みがペルペートゥオという脅威の存在を理解しにくく、知覚しにくい存在へと変えていた。
「では、よくお眠りなさい」
パチン、と軽く指を鳴らすとともに全ての計器類が電力を失ったかのようにシャットダウンされ、モニターも全て消えていく。
本来異常が発生した場合は警告音が鳴り響くはずなのだが、部屋の中は静かなまま少しの間時が過ぎていく。
次第にパフアダーの様子がおかしくなっていくのを見つめ、薄く微笑を浮かべる彼女の目には残虐な光が浮かんでいた。
長い間生きてきて最も人が美しいと思えるのはどんな瞬間なのか? 彼女にとってそれは「人が死を迎える瞬間」に他ならない。
口元に指を添えると、指先を艶かしい舌がチラリとなぞる……今彼は死を迎える、死は永遠に通じ永遠は死に通じる。
彼女にとって死は生の始まりであり、生は永遠の始まりである。
「命は美しい、最後の鼓動の音までもそれが死というもの」
ペルペートゥオは指に舌を絡ませて笑うと、そっとその姿を消していく……彼女の姿が消えると同時に、病室内にけたたましい警告音が鳴り響く。
そしてそれと同時に異変に気がついた看護婦や医師が慌てて部屋へと駆け込んでくるが、彼らが異常に気がついた時にはベッドの上に寝かされていたパフアダーはすでに命の火を消し、深い深い息を吐いた後永遠の眠りへとつこうとしていた。
医師の一人が必死にパフアダーの胸を押して人工呼吸を始めるが……すでに命を失ったものが決して元へと戻らないように、瀕死のヴィランは完全に黄泉の国へと旅立っていった。
「ダメだ……どうしてこんなことに……」
「侵入者か?!」
「いや……そんなはずは……計器類の異常……?!」
医師と看護師は必死に原因を探ろうと、辺りを見回すが……そこに原因となるものは見つからない。
そんな中医師の一人が冷静にパフアダーの首筋に指を添えると数秒脈を図るような仕草を見せた後、悲しそうな表情を浮かべて首を振る。
それを見ていた看護師の一人が慌ててドアの外へと飛び出していく……ヒーロー協会に異変発生の報告をするためだが、それを見送った医師の一人が黙って静かに目を閉じているパフアダーを見つめて軽いため息をついた。
おそらく助かった命だったはずだ、治療は成功していたし、あとは本人の体力次第で回復の見込みすら立っていたのだ。
意識が戻らないのは毒物の影響ではあったが、ヴィランやヒーローは毒物の影響に強いため、数週間もすれば彼は普通に目覚めただろう。
「……仕方ない、このことは上に報告してくれ、死因の検査後に火葬しなければな、手筈を整えてくれ」
「どうしてこうなった……」
今私は都内の会場に設置された特接リングの上に立って、怒りを滲ませた瞳でものすっごい睨んでくるスパークを前にしている。
ことの始まりは数日前、病室にいた時にイチローさんと話していた際に、なんというかちょっと微妙な雰囲気になってそこをスパークに見られたことに始まる。
私はすぐに「敵対する気はありませんよー」という姿勢を示すために布団に潜ってあとは当人同士のお話し合いで、という姿勢を示したのだが残念ながらその後の話し合いは不調に終わったようで、スパーク……本名工藤さんから直接ケリをつけようというメールが舞い込んできた。
困り果てた私はエスパーダ所長にどうしたらいいか尋ねたのだが、気がつけば『面白いし金になるから』という恐ろしい理由でとんとん拍子に話が進んでいき、いつの間にか「スパーク対シルバーライトニング特別戦」と言う身も蓋もない試合が組まれていたのだった。
「聞いてねえよ……」
『さあヒーロー協会公認、クラブ・エスパーダおよびカウント・ファイアフライ共同主催のこの特別マッチ、実況はお馴染みナカノがお伝えします!』
『解説は私、ヨシガイでお送りします! いやーナカノさん楽しみですねえ!』
「ここでどっちが強いか決着つけましょうか」
う、私を見つめるスパークの視線が痛い……っ! そもそもイチローさんがちゃんと説明しなかったり、適当な返事を繰り返してるからよくないんだと言いたいのだけど、当のイチローさんはちゃっかりとステージの特等席に座ってエスパーダ所長と談笑なんかしちゃってる。
もとはと言えばアンタが全部説明しないから悪いだろうが、と言う言葉をぐっと飲み込みつつあの時のことを考えている……彼の手は温かくホッとする感じがあってずっと握っていたい気がした。
恥ずかしながら今まで生きてきて彼氏なんていなかったからな……恋愛なんてどうすればいいのか冗談抜きでよくわからない、だけどイチローさんに見つめられるのは嫌いじゃない。
これが恋なのだとすれば……私はイチローさんのことが好きなんだろうと思う、ポンコツと言われて馬鹿にされてきた私の上司兼メンターとなり、訓練につきあい一緒に頑張ってきた仲。
それだけで終わらせたくないと言う気持ちがいつの間にか芽生えていることに気がつき、私は思わず手で口を押さえる……は? もしかして本当に私イチローさんのこと好きになり始めてる?
「……ちょっと、なんで顔真っ赤にしてるの!?」
「あ、いやその……なんでもないっす」
「……ふーん? その割にはまだ頬が赤いわよ?」
スパークは訝しげるような表情で私を見ているが、今顔色のことを考えているような場合じゃない、なんだかどうにも落ち着かない。
どうしたいの? 私はイチローさんとどうなりたいんだ? 恋人になる……いや、いつか彼は遠くに行くと思ってたんだ、メンターの期間が終わったら離れるものだと思ってた。
でも、あの日イチローさんの瞳がじっと私を見た時に感じた感触、なんとなくだけど彼自身の気持ちがそこに詰まっていたような気がしてならない。
どうしよう? 今聞きたい、あなたがどう思っているのか、私のことをどうしたいのか? それを聞かなければ私は……。
混乱し少しふわふわした気持ちのまま、ステージの脇で所長と話しているイチローさんの横顔をじっと見つめる、ああ私本当に。
『さあ、特別マッチがいよいよスタートします! 銀色の稲妻と灼熱の炎はどちらが強いのか、決戦が今始まります!』