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第七七話 霧の女王

 ——お台場で最も高いビル……その屋上に一人の女性が眼下の光景を見ながら、何事かを考えていた。


「……侵入者はそれほど多くない、そう……排除は簡単だと思う」

 青い髪と瞳を持ち、細身の体を黒いレザースーツに包み込んだ美しい女性……超級ヴィランの一人である「フォスキーア」は耳に装着したインカムで何者かと会話をしながらふわりと屋上から身を踊らせる。

 それは自ら死を選んでいるかのように見えたが、彼女は空中で自らを霧の中へと包み込むと、少し離れた場所にある屋上を目指して軽い破裂音のようなものを立てながら実体化と霧化を繰り返しながら空中を高速で飛んでいく。

 霧を発生させるだけ、と思われがちな彼女のスキルだが限界まで研ぎ澄まされた能力はさらなる効果を生み出すことに成功しており、フォスキーアはその名の通り「霧の女王」としてのスキルを手に入れていた。

 自らを霧化させることに成功した同一スキルの所持者は彼女が歴史上初めてであり、さらにはスキル使用においてこれほどスムーズに使いこなせているものは稀であろう。


「……戦況はあまり良くないみたいね、あまり長居すると捕まるリスクがあるか」

 表情を変えずに別のビルへと移動したフォスキーアは音もなく走り始める……体重を感じさせない軽いフットワークはその細身の身体も相まって、吹き抜ける風のように軽やかだ。

 再びビルの屋上からふわりと飛び降りると、彼女は両手を広げて一気にビルの側面を落下していく……左右を見ながら自分が降りられる場所を探すと、体を再び霧化させると視線の先……別の観光施設の屋上へと姿を現す。

 ほっと息を吐いてから、何事もなかったかのように歩き出すフォスキーア……だが数歩進んだところで彼女は立ち止まる。

 じっと美しく輝く瞳を暗闇の中へと向けると、そこから一人の男性がのそりと姿を現した。

「……お嬢ちゃん何者だ? 今このお台場は厳戒態勢にある……」


「……迷っただけですよ、先ほどヒーローに助けられまして……早く逃げろと言伝をされましたので」


「へえ……最近の一般人はスキル使いながら逃げるのかね?」

 姿を現した男……年齢は三十代前半程度だろうか? 黒髪に黒い目をした純日本人的な外見でありながら、無精髭と少しくたびれた様子が彼の年齢を判断しにくくなっている。

 彼の着用する衣服にはいくつかの南京錠がくくりつけてあり、それらは彼が動くたびにジャラジャラと音を立てている……そして肉体はよく鍛えられており、衣服から覗いている腕は筋肉質で格闘家のように筋張っていた。

 フォスキーアはぎこちない笑顔を浮かべながら相手の名前を記憶から掘り出そうとする……そして彼女は一人のヒーローの名前へと辿り着いた。

「ええと、ジ・ロックさんですよね?」


「おお、よく知っているな……そうだ俺はヒーロー「ジ・ロック」……嬢ちゃんはあれか? ヴィランだな?」


「いえいえ、一般人ですよ……」

 笑顔を浮かべながらフォスキーアはなんとかしてこの場を脱しようと思考を回転させる……スキル使用において圧倒的な実力を持つ彼女だが、身体能力はヴィランとしてはそれほど高くない。

 ヒーローとの戦闘において決して彼女は強者とは言えない存在なのだ……対してジ・ロックはヒーローランキングとしては上位に位置し、かなりの実績を持ったヒーローの一人だ。

 特にメディアではジ・ロックの学生時代の後輩にヘラクレスがいるということで彼らの交流などを取り上げるケースが多く、ヴィランからも狙われやすい存在となっていた。

 だが……彼はそういったヴィランの攻撃を受けてもその強力なスキルと身体能力で退けてきている猛者の一人である。

「嘘はいけないなあ……なあ、オジさんと少しお話ししようか」


「結構……ッ!!」

 ジ・ロックが軽くパチン、と手を鳴らすとフォスキーアの体がまるで硬直したように動けなくなる……走り出そうとした瞬間、一瞬の出来事で霧化できなかった彼女は硬直したまま地面へと倒れた。

 とすん、と軽い音を立てて地面に転がったフォスキーアはなんとか逃げ出そうともがくが、意思に反して彼女の体は先ほど走り出そうとした格好のまま動かない。

 そこでフォスキーアは目の前のヒーローが持つスキル「ジ・ロック」の公開されている能力を思い出した。

 強制停止能力……効果時間はそれほどではない、と言われているが彼の視界に入った相手の行動を止められる強力なスキルだ。

 過去にはヴィランに同様のスキルを持つ存在がおり、彼は犠牲者の心臓を止めることに使っていたと言われるほど無制限に強力なスキルの一つでもある。

「おっと動くなよ? 無理に動こうとすると反動があるはずだ……」


「やめてください! 私は何も……!」


「いやいや見ちゃったんだよね……君は霧の女王フォスキーア……だな?」

 フォスキーアはジ・ロックの言葉に思わず言葉を詰まらせる……スキルを使っているところを見られた? 気配はほとんど感じなかったが、どうやら最後の場所について探知が行き届いていなかったのだろう。

 彼女が黙ったことでジ・ロックはやれやれとばかりにため息をつくと、懐から電子タバコの機器を取り出すと黙ったまま軽く吸い込み、ふうっと煙を吐き出す。

 残念ながら身体能力ではこの男に勝つことはできない……フォスキーアは元々戦闘向きのヴィランではなく、後方支援を担当するケースが多かった。

 だが……彼女は口元を歪めて薄く笑うとタバコを吸っているジ・ロックに向けて言葉を投げかけた。

「……ずいぶん余裕ね?」


「そりゃー、捕縛したからね……オジさん面倒ごと嫌いなんだわ」


「そうですか……でもッ!」

 突然彼女の体がボンッ! という音と共に霧と化した……ジ・ロックはそれを見て目を見開くが、フォスキーアは少し離れた場所に実体化すると背中に忍ばせていた大きめの軍用ナイフを逆手に構える。

 ジ・ロックはやれやれ……と呟くと電子タバコの器具を軽く放ると、その電子タバコはまるで空間に留められたかのようにその場に固定された。

 それに気を取られたフォスキーアの視線が一瞬動いた隙をついて彼は一気に前へと駆け出す……シルバーライトニングのような超加速ではないが、身体能力の高さを感じさせる加速にフォスキーアは目を見開いた。

 だがここで彼を倒さなければ逃げ出すこともできない……彼女は霧化と実体化を繰り返しながら幻惑するようにその位置を目まぐるしく左右に変化させていく。

 その動きに舌打ちをしながらジ・ロックはその拳を突き出す……十分に鍛えられたその拳は、実体化したフォスキーアを捕らえたかに見えたが、彼女の体はボッ! という音と共に霧化して消え去る。

「チイッ! オジさん元気すぎる子は嫌いだなッ!」


「……なッ!」

 背後に実体化したフォスキーアがジ・ロックへとナイフを叩き込もうとした瞬間、一瞬だが視線は交錯しフォスキーアの動きが硬直したように止まる。

 その瞬間の隙を使ってジ・ロックは前転しながら距離を離す……危なかった、スキルを使わなければナイフは確実に彼の背中に叩き込まれていただろう。

 見ればフォスキーアはジ・ロックのスキル範囲外に再び実体化して姿を現すと、憎しみに満ちた瞳で彼を睨みつけている。

 フォスキーアがこれほど若い女性だとは知らなかったが、自らを霧化することでジ・ロックの持つスキルを強制キャンセルできるヴィランは彼の経験上前代未聞の出来事だった。

 ジ・ロックは軽く頭を掻いてから、目の前にいるヴィランには聞こえないような小声で面倒くさそうに呟いた。


「オジさん面倒ごと嫌いなんだけどなあ……帰りてえ……」


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