部屋のドアが閉まったとたん、アリスは二人っきりの口調に戻った。
「ちょっと、あの子は何なの? 誰にも見破られたことが無いアリスの仮面に気が付くの? あ、久しぶりにサラにあったから、気が緩んでた? それともサラがあの子にアリスのことを話してたの?」
「アリスちゃんのことは話していないし、完璧だったわよ。ただ、ハンナちゃんは妙に鋭いのよ」
「そうなの? いや、それでもダメなの。だってちょっと勘が鋭い人には見破られるってことでしょう。そんなの完璧じゃないじゃない……ってまあ、いまはその件は置いておいて。それよりもっと重要なことがあるのよ。ママって何よ、ママって。いつの間にサラはあんな大きな子供を産んだのよ。相手は誰? 追放されてから生んでたら計算が合わないわよね。まさか、あの子が原因であのバカ王子に捨てられたんじゃないでしょうね。それだったら、なんでアリスに相談しないのよ。あんな子の一人や二人、完璧に世間から隠してあげるのに。まさか、サラの相手って、小屋づくりの指示を出してたあのやせっぽちの男じゃないでしょうね。アレは止めた方が良いわ。社交界で培ったアリスの人を見る目を信じなさい。アレは自分の功名心のことしか頭になく、礼儀も遠慮も知らない、プライドばかり高いダメな男よ。でも、最近なにか心を入れ替えるようなことがあったみたいで、多少まともになった見たいだけど、それでもダメ。サラみたいにお世話女子が相手だと、どんどん依存してダメ男まっしぐらになるわ。ああ、でももう子供を作るくらいまで好きになっちゃたのよね。離婚は考えてないの? 離婚がダメなら、ああいう男は遠くに出稼ぎに行ってもらってお金だけ送ってもらいなさい。それで、ここに親子二人で、いや、アリスも含めて三人で暮らしていきましょう」
美しい金色の髪を振り乱し一気にまくし立てたアリスに、サラは困ったように首をかしげて言った。
「アリスちゃん、色々と間違っているわよ。まず、私はハンナちゃんを生んでないし、ハンナちゃんのせいでジェラール王子に婚約破棄されたわけじゃないのよ」
「あら、そうなの。だったら、あのガキンチョはやせっぽっちの連れ子なのね。だったら、今すぐ別れなさい。そして、昔みたいにアリスのお世話をしてよ」
「それにハンナちゃんはロックの子供じゃないわよ。まあ、アリスちゃんのお世話をするのは別に嫌じゃないんだけど」
「じゃあ、こんな家はあの親子にあげて、ウチに戻って来てよ。パパとママが雇った使用人は全然ダメ。まったく信用できないの。だから、お家でも気が抜けないのよ。それにご飯も美味しくないの。いや、美味しくないわけじゃないんだけど、サラのご飯の方が美味しいのよ。気軽にマッサージも頼めないし、いやなの! アリスはサラにお世話されたいの。バカ王子のときは我慢したけど、あんなやせっぽっち相手なら我慢なんてしない。ファーメン家の全てを使って、あんなやせっぽっちをこの世界から消しさってあげる。もう、それこそ生まれてきたかどうかさえ疑うレベルでその痕跡を消してあげるわ」
「だから、ハンナちゃんはロックの娘じゃないんだってば」
「じゃあ、誰の子なの? サラとどういう関係なの? ねえ、ねえ、アリスとあの子のどっちが大事なの?」
「ハンナちゃんは……」
サラがそう言いかけた時、ドアがノックされた。
「サラ、誰か来ているのか?」
「あ、エリオット、うるさかった? ごめんなさい」
サラがドアを開けると、汗で濡れそぼった髪を光らせ、熱でけだるそうな顔は妙な色気を醸し出しているエリオットがいた。
まだ本調子でないエリオットを見て、サラは心配の言葉をかける。
「まだ、寝てないとダメよ。あら、また汗でびっしょりね。着替えを持ってくるわ。お水は飲んだ? 食欲はある?」
「もう大丈夫だ。食欲も戻って来た。それよりも客人か? 病気をしていて、こんな格好で申し訳ない」
エリオットはこの辺りではまず見かけない、美しく高価な作りのドレスを完璧に着こなす女性に挨拶をする。
「こちらのサラにお世話になっている、エリオットと申します。以後お見知りおきを」
「こちらこそ、ご挨拶が遅れました。アリス・ファーメンと申します。姉サラ・ファーメンがお世話になっております。エリオット様、以後お見知りおきを」
アリスは先ほど、ハンナにしたのと同じようにカーテシーで可憐に挨拶をする。
エリオットはアリスの挨拶を聞いた後、興味を無くしたようにサラに言った。
「サラ、二人で話をしたいんだが……」
「ごめんなさい、その話はアリスちゃんが帰ってからにして」
サラは困ったようにエリオットに耳打ちする。
その様子を見たアリスは瞳を光らせた。
「お姉様、ワタクシそろそろ王都に帰ろうかと思うのですが」
「え! さっき来たところじゃない。ゆっくりしていってよ。ああ、そうだ! 明日、アリスちゃんの好きなプリンを作ってあげるわよ」
「いえいえ、先触れも出さずに来たワタクシが悪いのです。お二人の邪魔になるのはワタクシの本意ではございません。ですので、ワタクシはこれで失礼させていただきますわ」
そう言って、サラにしずしずと頭を下げると、部屋を出ようとする。
それを慌ててサラが止める。
「アリスちゃん、クレープも作るわよ。クッキーもパイも、お姉ちゃんなんだって作っちゃうからゆっくりしていってよ。ね、お願い」
必死になって止めるサラを見て、アリスは満足そうに笑った。
「お姉様がそこまでおっしゃるのでしたら、仕方がありませんわね。では、ワタクシもここにいさせていただくわ。お姉様がそこまで言うのならね」
アリスが家にいる間は、エリオットに発酵令嬢のことを聞かれることはない。そして、時間が経てば、エリオットが忘れるか、勘違いだと思い込むか、良い言い訳が思いつくだろうとホッとするサラにアリスが聞いた。
「お姉様、そちらの殿方とはどのような関係で?」