リビングに通されたアリスはソファーに座ることなく、部屋をぐるりと一瞥すると、いきなりドレスを脱ぎ捨てて、ソファーにダイブした。
「あーもう! なんて遠いのよ! アリス、のど乾いた、お腹すいた! 久しぶりにサラのお菓子食べたい! お菓子持ってきたら足と腰をマッサージして! 馬車なんて大っ嫌い、ガタガタ揺れて、お尻痛くなるし、ねえ、サラ、アリスの話聞いてる? 早く、飲み物ちょうだい!」
ファーメン家の白百合の仮面をドレスとともに脱ぎ捨てたアリスは、王都でサラと二人で住んでいた時と同様、ただのわがままアリスに戻った。
サラはお茶とお茶菓子をテーブルの上に置くと、アリスが脱ぎ捨てたドレスを皺にならないように綺麗に畳むと、慣れた手つきでアリスのすべすべの足を揉み始めた。
「もう、アリスちゃんったら、来るなら先触れの手紙を出してよね。他の人にはそんなことをしていないわよね」
「ちゃんとしてるに決まっているじゃない。外では完璧な淑女を演じてますよ。あーそこ、そこ、やっぱりサラのマッサージが一番いいわ。それにこのクッキーもアリスの好みど真ん中よ。もう、あんな王子なんてどうだっていいから、アリスのために帰って来てよ」
アリスは完全にリラックスした姿で、サクサククッキーを食べていく。
久しぶりのアリスの態度にサラは懐かしく感じながらも、サラは複雑な気持ちで答えた。
「アリスちゃん、お姉ちゃんね。もうあそこに戻る気はないのよ」
「ふーん、あ、お茶おかわり」
「はいはい、ちょっと待っててね」
サラがお茶を入れ直してきたと同時に玄関のドアが開いた。
「ただいまー」
「はーい、おかえりなさい。手洗い、うがいしておいで。お菓子があるわよ」
「やった! ママ大好き」
サラが玄関から入ってきていはずのハンナに声をかけた。サラはハンナがうがいをしている気配を感じて、ハンナの分のホットミルクとクッキーを準備したころでハンナがリビング現れた。
その瞬間にはアリスはドレスを身にまとい、背筋をピンと伸ばして上品に座っていた。
「初めまして、お嬢様。ワタクシはアリス・ファーメンと申します。サラ・ファーメンの妹でございます。以後お見知りおきを」
一瞬にして白百合のガワをまとったアリスはハンナにもカーテシーで挨拶する。
子供だからといって油断しない。
貴族社会には年齢など関係ない。
家柄が全てである。目の前の子供が有力貴族の跡取りであることなど珍しくない。有力貴族ではなくても、その友人でアリスの噂が広がる可能性もある。
そのため、アリスは初対面の相手に油断も隙も見せない。
そんな完全無欠な貴族令嬢を前にして、ハンナはホットミルクを一口飲んだ後、白いひげを生やしたまま首をかしげて言った。
「ママ、なんでこのお姉さん、うちの中でもヨソ行きの顔をしているの?」
華麗で完璧で可愛い仮面の下からアリスは静かにさえずった。
「お嬢様が何を言っているのか、愚かなワタクシには分かりませんわ。ふふふ」
生まれてこの方、サラ以外に本来の顔を見せたことのないアリスの仮面は、ハンナの言葉程度では剥がれない。
その頑丈さを確認したハンナはクッキーをかじった。
「ハンナはどっちでも良いんだけど……それで、お姉さんは何をしに来たの?」
「ワタクシは愛しいお姉様に会いに来ただけよ」
「そうなんだ。ハンナはてっきり、お姉さんがママでしかリラックス(わがまま)できないから、ウチに来たのかと思った」
「あら、誰がそんなことを言ったのかしら……ん? ちょっと待っていただけるかしら、さっきからお嬢様はお姉様のことをなんて読んだのかしら?」
「お姉さん、その話し方しんどくない? ハンナのことはハンナって呼んでいいよ」
ハンナはにっこり笑った。
それに負けじとほほ笑むアリス。
「ではハンナちゃん。さっきお姉様のことをなんて呼んだの?」
「ママのことはママって、言ったよ」
ハンナは朝には「おはよう」、ご飯の前には「いただきます」と言うのが普通だというようにサラのことは「ママ」と呼ぶのが当たり前だと言わんばかりに答えた。
その言葉にアリスの仮面が少しぐらついた。
「そうなのね。ちょっと、お姉様、姉妹二人っきりでお話がしたいのですがよろしいかしら?」
「あら、どうしたの? じゃあ、私の部屋に行く? ハンナちゃん、ちょっと待っててね」
そう言って、お菓子を食べているハンナを置いて、サラはアリスを自室に案内したのだった。