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第30話


「――お疲れさまです、アベル団長」

 ローズマリーの牢獄を出たところで、アベルはだれかから声をかけられた。

 振り向くと、後方からテオ・デュパルクが歩いてくるのが見えた。噂をすればなんとやら、だ。

「……あぁ。お疲れさま」

 アベルは足を止め、テオがそばまで来るのを待つ。テオは数歩でアベルのもとへ来ると、軽く敬礼をしてから言った。

「牢獄の見回りですか?」

「……あぁ」

 アベルは頷く。目は合わせない。

「そうですか」

「…………」

「…………」

 沈黙が落ちる。

 アベルはいらいらしていた。

 たった今、ローズマリーが嬉しそうに話題にした男が目の前にいる。

 アベルはこれまで、テオと何度も仕事をしたことがある。だが、彼についてそれほど詳しくはなかった。

 アベルはこれまで、他人に興味を抱いたことなどなかったのだ。

 アベルにとって重要だったのは、仕事ができるかどうか。テオ・デュパルクという男が女ぎらいだろうが偏屈だろうが、不器用だろうが、かまわない。仕事ができればそれでよかったから。

 だが――ローズマリーは、テオと仲がいいらしい。

「…………」

 べつにローズマリーがだれと仲良くなろうと、アベルには関係のないことだ。

 だが、なんとなく、面白くないと思ってしまうのは、なぜだろう。アベルは今さらになって、テオ・デュパルクという男がどんな人物なのか気になり出していた。

 そして、テオのほうもまた、アベルがローズマリーのところへ行っていたことを雰囲気で悟ったのだろう。どこかそわそわと落ち着きがない。

「…………」

 テオがなにか聞きたげに口を開く。察したアベルは、黙ってテオの横を通り過ぎようとした。……が、それより早く、アベルの背中にテオが声をかけた。

「……あの」

 さすがに無視はできない。アベルは足を止め、ゆっくりと振り向く。

「……なんだ?」

 そこでようやく、アベルはテオと目を合わせた。テオはまっすぐアベルを見つめてくる。

「……少し、話をしませんか」

「話?」

「はい。ローズマリーのことで」

 アベルはわずかな時間、黙り込んだ。そして、ため息をつく。

「……分かった」

 テオに真正面から若々しい眼差しを向けられたアベルは、頷かないわけにはいかなかった。


 その後、ふたりは執務室へ移動した。場所など変えずともいいとテオは言ったが、アベルのほうはそうはいかない。

 話の流れがどう転ぶか分からないからである。

 もし、話題がローズマリーにかけられた容疑の話となれば、話せる場所は限られる。

 なぜなら、ローズマリーは無実だ。つまり、真犯人はローズマリーのほかにいる。

 もしかしたら、ローズマリーを陥れた犯人は今もこの王宮内にいるかもしれない。あのまま話を続けるのは危険すぎる。

 執務室へ入ったアベルは、テオをソファに座るよう促した。テオが座ると、自らも向かい側のソファに腰を下ろす。

「アベル団長は、彼女とどういう関係なんですか」

 テオはソファに座ると、単刀直入にアベルに訊ねた。

「……なんだいきなり」

 アベルはため息混じりにテオを見る。その視線に、テオは睨まれたように思ったのか、アベルから目を逸らした。

「その……アベル団長にしては珍しく、よく牢獄に足を運ばれている気がしましたので」

 なるほど、とアベルは心のなかで呟いた。テオが気にしていたのは、アベルとローズマリーの関係――そちらのほうだったのだ。

「俺と彼女の関係に、名前などない。ただの騎士と罪人だ。会いに行っているのは、監視のためだ」

 アベルが淡白に答える。

「本当に? 本当にそれだけですか?」

 テオはまだ納得いかないらしく、アベルに疑いの眼差しを向けた。

「……なんなんだ、おまえは」

 うんざりしたようなアベルの言葉に、テオは黙り込む。しばらくしてテオは、意を決したように顔を上げ、アベルを見返した。

「では、はっきり訊きます。アベル団長、なにか隠してますよね?」

「…………」

「俺はアベル団長が、こんなにも牢獄に通う姿を見たことがありません」

「そんなことは……」

「そもそもアベル団長の仕事は、罪人の監視じゃないでしょう。牢獄に行く理由は、俺たち騎士にはないはずです。それなのに、牢獄へ通う理由はなんですか?」

 訊ねるというより、問いただすニュアンスを含んでいた。もしかしたら、ローズマリーからなにか聞いているのかもしれない。

「俺は騎士であると同時に、ロドルフ王子の側近だ。ロドルフ王子を護る者として、容疑者に面会するのはふつうのことだと思うが」

「毎日ですか?」

 なかなかしつこい。

「……今日は監視官へ言伝があったから、それを伝えに行った。それだけだ」

 なるべく感情を出さないように言った。

「監視官のなかには俺の親友がいますが、彼が最近、アベル団長がローズマリーと話しているところをよく見かけると言っていましたよ」

「…………」

 そこまでバレていたとは。というか、ルドヴィックの奴。仕事上知り得たことを第三者に漏らしていたとは、明らかな守秘義務違反だ。あとで注意しなければ。

 苦い顔をしていると、テオが言った。

「ずっと前から思ってたんですが、アベル団長って、俺と似ていますよね」

「は? ……なんだ、いきなり」

 アベルは眉を寄せてテオを見る。

「他人に期待しないし、信用もしない。心を開くなんて馬鹿げたことはぜったいにしない。俺もそうだったから分かります」

「……いい加減にしろ。なにが言いたい?」

 とぼけながらも、核心を突かれた自覚はあった。

「俺は、ローズマリーと出会って、ひとに興味を抱くようになりました。このひとのことをもっと知りたいと……今のアベル団長も、そうなんじゃないですか」

「…………」

「でも、知れば知るほど、彼女が罪人ということに違和感を感じ始めた。だから、ひとりでこっそり事件をもう一度調べ直している。違いますか?」

 黙り込むアベルにかまわず、テオは続ける。

「昨日も図書館で見かけましたし……それだけじゃない。厨房や街にもこのところ頻繁に出ておられる。仕事一筋のアベル団長らしくない行動ですよ」

「……ずいぶんとよく見てるんだな」

 テオはじっとりとした目でアベルを見つめていた。どうやら、アベルが話すまで腰を上げるつもりはなさそうだ。

 アベルは小さくため息をつき、諦めたように言った。

「……そのとおりだ。俺は今、ローズマリーを陥れた人間を探している」

 テオは目を見張ったあと、「陥れた?」と眉を寄せた。

「ローズマリーは犯人じゃないとは思ってましたけど……陥れたって、どういうことです?」

「ローズマリーはだれかに嵌められて、システィーナ暗殺未遂の嫌疑をかけられて投獄されたんだ」

「……ただの誤認ではなく、だれかが意図的にということですか?」

「あぁ。だから俺は、その犯人を探している」

 テオが黙り込む。

「話は以上だ。分かっているとは思うが、この話はここだけの話にしてくれ」

 そう言って、アベルは立ち上がった。テオに背を向け、デスクに散らばっていた書類をまとめ始める。

「待ってください!」

 たまらずテオが立ち上がった。

「詳しく教えていただけませんか。俺も協力します」

 しかしアベルは、

「悪いが、これ以上は話せない。今はだれも信用できない」

 ときっぱりと拒絶した。それでもテオは、頭を下げたまま動かない。

「お願いします、アベル団長。興味本位じゃありません。俺は、本気でローズマリーを助けたいんです」

 テオの強い眼差しに、アベルはため息をついた。

「……なぜ、そこまで?」

 アベルが言う。テオはじっと地面の一点を見つめ、しばらく考え込んでからアベルを見た。

「彼女は初めて、俺のことを受け入れてくれたひとだったから」

「…………初めて?」

 テオは頷く。

「彼女、俺が魔獣好きだって言ったとき、笑わなかったんです」

 そしてテオは、静かに話し始めた。

「俺は、昔からひととは少し違う子どもでした。容姿も、好きなものも」

 子どもの社会は残酷で、異端な人間は容赦なく排除される。指をさされ、「変」と言われる。受け入れてもらえない。

「それだから、じぶんのことを話すのが苦手でした」

 その苦手を克服しないまま、この歳まで生きてきてしまった。

 テオは続ける。

「恥ずかしい話ですが、ローズマリーに出会うまでは、今のじぶんが間違っていることに気付けませんでした」

 テオの告白に、アベルは静かに耳を傾けた。

「理解されないのは、俺が悪いんじゃなくて、相手が俺の外側しか見ていないからだって、ぜんぶ相手のせい。でも、ローズマリーと出会って、気が付いたんです。俺は、強がってたんじゃない。子どもの頃からずっと、不貞腐れてただけなんだって」

 まっすぐな想いをぶつけてきたローズマリーに、それを思い知らされました。

 そう、テオは言った。

 テオの話は、アベルにも理解できるところがあった。

 正直アベルも、他人にどう見られるかなど意識したことはない。騎士の同僚にでさえ、冷徹だの鬼の団長だの、さんざんなことを陰で言われてきたが、かまわないと思っていた。

 それは、テオも同じだった。

 しかしテオは、ローズマリーと出会って、受け入れられることの心地よさに気付いたのだろう。

 ――でも、それは俺だって……。

 ふと、ローズマリーの笑顔が脳裏を過ぎる。

 過ぎった瞬間、頬の緊張がわずかに緩んだ気がした。アベルが顔を上げると、テオがまっすぐにアベルを見ていた。

「俺も協力します。彼女を無実にするために。ぜったい、ローズマリーは死なせない」

 テオの眼差しに、アベルはハッとした。

 そうだ。ローズマリーは死刑囚で、いつ刑が執行されるか分からない状態にある。今はそもそも、意地を張っている場合ですらないのだった。

「……分かった。ただし、このことはだれにも口外しないと今ここで約束してくれ。でなければ話せない」

「もちろんです」

 テオがしっかりと頷く。


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