「――お疲れさまです、アベル団長」
ローズマリーの牢獄を出たところで、アベルはだれかから声をかけられた。
振り向くと、後方からテオ・デュパルクが歩いてくるのが見えた。噂をすればなんとやら、だ。
「……あぁ。お疲れさま」
アベルは足を止め、テオがそばまで来るのを待つ。テオは数歩でアベルのもとへ来ると、軽く敬礼をしてから言った。
「牢獄の見回りですか?」
「……あぁ」
アベルは頷く。目は合わせない。
「そうですか」
「…………」
「…………」
沈黙が落ちる。
アベルはいらいらしていた。
たった今、ローズマリーが嬉しそうに話題にした男が目の前にいる。
アベルはこれまで、テオと何度も仕事をしたことがある。だが、彼についてそれほど詳しくはなかった。
アベルはこれまで、他人に興味を抱いたことなどなかったのだ。
アベルにとって重要だったのは、仕事ができるかどうか。テオ・デュパルクという男が女ぎらいだろうが偏屈だろうが、不器用だろうが、かまわない。仕事ができればそれでよかったから。
だが――ローズマリーは、テオと仲がいいらしい。
「…………」
べつにローズマリーがだれと仲良くなろうと、アベルには関係のないことだ。
だが、なんとなく、面白くないと思ってしまうのは、なぜだろう。アベルは今さらになって、テオ・デュパルクという男がどんな人物なのか気になり出していた。
そして、テオのほうもまた、アベルがローズマリーのところへ行っていたことを雰囲気で悟ったのだろう。どこかそわそわと落ち着きがない。
「…………」
テオがなにか聞きたげに口を開く。察したアベルは、黙ってテオの横を通り過ぎようとした。……が、それより早く、アベルの背中にテオが声をかけた。
「……あの」
さすがに無視はできない。アベルは足を止め、ゆっくりと振り向く。
「……なんだ?」
そこでようやく、アベルはテオと目を合わせた。テオはまっすぐアベルを見つめてくる。
「……少し、話をしませんか」
「話?」
「はい。ローズマリーのことで」
アベルはわずかな時間、黙り込んだ。そして、ため息をつく。
「……分かった」
テオに真正面から若々しい眼差しを向けられたアベルは、頷かないわけにはいかなかった。
その後、ふたりは執務室へ移動した。場所など変えずともいいとテオは言ったが、アベルのほうはそうはいかない。
話の流れがどう転ぶか分からないからである。
もし、話題がローズマリーにかけられた容疑の話となれば、話せる場所は限られる。
なぜなら、ローズマリーは無実だ。つまり、真犯人はローズマリーのほかにいる。
もしかしたら、ローズマリーを陥れた犯人は今もこの王宮内にいるかもしれない。あのまま話を続けるのは危険すぎる。
執務室へ入ったアベルは、テオをソファに座るよう促した。テオが座ると、自らも向かい側のソファに腰を下ろす。
「アベル団長は、彼女とどういう関係なんですか」
テオはソファに座ると、単刀直入にアベルに訊ねた。
「……なんだいきなり」
アベルはため息混じりにテオを見る。その視線に、テオは睨まれたように思ったのか、アベルから目を逸らした。
「その……アベル団長にしては珍しく、よく牢獄に足を運ばれている気がしましたので」
なるほど、とアベルは心のなかで呟いた。テオが気にしていたのは、アベルとローズマリーの関係――そちらのほうだったのだ。
「俺と彼女の関係に、名前などない。ただの騎士と罪人だ。会いに行っているのは、監視のためだ」
アベルが淡白に答える。
「本当に? 本当にそれだけですか?」
テオはまだ納得いかないらしく、アベルに疑いの眼差しを向けた。
「……なんなんだ、おまえは」
うんざりしたようなアベルの言葉に、テオは黙り込む。しばらくしてテオは、意を決したように顔を上げ、アベルを見返した。
「では、はっきり訊きます。アベル団長、なにか隠してますよね?」
「…………」
「俺はアベル団長が、こんなにも牢獄に通う姿を見たことがありません」
「そんなことは……」
「そもそもアベル団長の仕事は、罪人の監視じゃないでしょう。牢獄に行く理由は、俺たち騎士にはないはずです。それなのに、牢獄へ通う理由はなんですか?」
訊ねるというより、問いただすニュアンスを含んでいた。もしかしたら、ローズマリーからなにか聞いているのかもしれない。
「俺は騎士であると同時に、ロドルフ王子の側近だ。ロドルフ王子を護る者として、容疑者に面会するのはふつうのことだと思うが」
「毎日ですか?」
なかなかしつこい。
「……今日は監視官へ言伝があったから、それを伝えに行った。それだけだ」
なるべく感情を出さないように言った。
「監視官のなかには俺の親友がいますが、彼が最近、アベル団長がローズマリーと話しているところをよく見かけると言っていましたよ」
「…………」
そこまでバレていたとは。というか、ルドヴィックの奴。仕事上知り得たことを第三者に漏らしていたとは、明らかな守秘義務違反だ。あとで注意しなければ。
苦い顔をしていると、テオが言った。
「ずっと前から思ってたんですが、アベル団長って、俺と似ていますよね」
「は? ……なんだ、いきなり」
アベルは眉を寄せてテオを見る。
「他人に期待しないし、信用もしない。心を開くなんて馬鹿げたことはぜったいにしない。俺もそうだったから分かります」
「……いい加減にしろ。なにが言いたい?」
とぼけながらも、核心を突かれた自覚はあった。
「俺は、ローズマリーと出会って、ひとに興味を抱くようになりました。このひとのことをもっと知りたいと……今のアベル団長も、そうなんじゃないですか」
「…………」
「でも、知れば知るほど、彼女が罪人ということに違和感を感じ始めた。だから、ひとりでこっそり事件をもう一度調べ直している。違いますか?」
黙り込むアベルにかまわず、テオは続ける。
「昨日も図書館で見かけましたし……それだけじゃない。厨房や街にもこのところ頻繁に出ておられる。仕事一筋のアベル団長らしくない行動ですよ」
「……ずいぶんとよく見てるんだな」
テオはじっとりとした目でアベルを見つめていた。どうやら、アベルが話すまで腰を上げるつもりはなさそうだ。
アベルは小さくため息をつき、諦めたように言った。
「……そのとおりだ。俺は今、ローズマリーを陥れた人間を探している」
テオは目を見張ったあと、「陥れた?」と眉を寄せた。
「ローズマリーは犯人じゃないとは思ってましたけど……陥れたって、どういうことです?」
「ローズマリーはだれかに嵌められて、システィーナ暗殺未遂の嫌疑をかけられて投獄されたんだ」
「……ただの誤認ではなく、だれかが意図的にということですか?」
「あぁ。だから俺は、その犯人を探している」
テオが黙り込む。
「話は以上だ。分かっているとは思うが、この話はここだけの話にしてくれ」
そう言って、アベルは立ち上がった。テオに背を向け、デスクに散らばっていた書類をまとめ始める。
「待ってください!」
たまらずテオが立ち上がった。
「詳しく教えていただけませんか。俺も協力します」
しかしアベルは、
「悪いが、これ以上は話せない。今はだれも信用できない」
ときっぱりと拒絶した。それでもテオは、頭を下げたまま動かない。
「お願いします、アベル団長。興味本位じゃありません。俺は、本気でローズマリーを助けたいんです」
テオの強い眼差しに、アベルはため息をついた。
「……なぜ、そこまで?」
アベルが言う。テオはじっと地面の一点を見つめ、しばらく考え込んでからアベルを見た。
「彼女は初めて、俺のことを受け入れてくれたひとだったから」
「…………初めて?」
テオは頷く。
「彼女、俺が魔獣好きだって言ったとき、笑わなかったんです」
そしてテオは、静かに話し始めた。
「俺は、昔からひととは少し違う子どもでした。容姿も、好きなものも」
子どもの社会は残酷で、異端な人間は容赦なく排除される。指をさされ、「変」と言われる。受け入れてもらえない。
「それだから、じぶんのことを話すのが苦手でした」
その苦手を克服しないまま、この歳まで生きてきてしまった。
テオは続ける。
「恥ずかしい話ですが、ローズマリーに出会うまでは、今のじぶんが間違っていることに気付けませんでした」
テオの告白に、アベルは静かに耳を傾けた。
「理解されないのは、俺が悪いんじゃなくて、相手が俺の外側しか見ていないからだって、ぜんぶ相手のせい。でも、ローズマリーと出会って、気が付いたんです。俺は、強がってたんじゃない。子どもの頃からずっと、不貞腐れてただけなんだって」
まっすぐな想いをぶつけてきたローズマリーに、それを思い知らされました。
そう、テオは言った。
テオの話は、アベルにも理解できるところがあった。
正直アベルも、他人にどう見られるかなど意識したことはない。騎士の同僚にでさえ、冷徹だの鬼の団長だの、さんざんなことを陰で言われてきたが、かまわないと思っていた。
それは、テオも同じだった。
しかしテオは、ローズマリーと出会って、受け入れられることの心地よさに気付いたのだろう。
――でも、それは俺だって……。
ふと、ローズマリーの笑顔が脳裏を過ぎる。
過ぎった瞬間、頬の緊張がわずかに緩んだ気がした。アベルが顔を上げると、テオがまっすぐにアベルを見ていた。
「俺も協力します。彼女を無実にするために。ぜったい、ローズマリーは死なせない」
テオの眼差しに、アベルはハッとした。
そうだ。ローズマリーは死刑囚で、いつ刑が執行されるか分からない状態にある。今はそもそも、意地を張っている場合ですらないのだった。
「……分かった。ただし、このことはだれにも口外しないと今ここで約束してくれ。でなければ話せない」
「もちろんです」
テオがしっかりと頷く。