スイーツを前にはしゃぐ私を見て、アベルが吹き出した。
「幸せって、大袈裟だな」
「そんなことないよ!」
アベルが持ってきてくれたスイーツは、現代で言うマドレーヌによく似た焼き菓子たちだった。ひとつ手に取ると、ほんのりとハチミツによく似た香りがただよってくる。
いざ。
「いただきますっ」
ぱくっとかぶりつく。
「!」
口に入れたその瞬間、顔面からゆっくりと力が抜けていくのを自覚した。
「おいひい〜!!」
ほのかな甘さとハチミツによく似た香りが、ふわりと鼻を抜けていく。優しい味とはまさにこの味のことを言うのだと思う。
ひとつ、またひとつとスイーツを口へ運んでいると、スイーツはあっという間に紙袋から姿を消していく。
「それにしても、宮廷パティシエが作ったスイーツなんて、初めて食べたよ。どうしたの、これ?」
食べながら、私はアベルに訊ねた。
宮廷内のしくみがどうなっているのかは知らないが、宮廷パティシエのスイーツは主に王家の血筋の者のためだけにあるものだと思っていた。宮廷に仕える者も食べることができるとは驚きだ。
「……ちょうど、パティシエたちが新しいスイーツの試作をしていて、その感想を頼むと無理やりこのスイーツたちを押し付けられたんだ」
「えっ……それなのに、私がもらっちゃってよかったの?」
感想を求められていたなら、私よりアベルが食べるべきだったのでは、と私は慌てる。
「俺は、甘いものはあまり食べない。代わりに感想をくれれば問題ない」
「そっか……」
であれば、私が感想を伝えなければならない。
「えっと、王家のかたがたの好みとかはよく知らないけど」と、軽く前置きをしてから、
「どれもすごく美味しかったし、完璧だったと思うよ」と告げる。
思ったままの感想を告げると、アベルはなぜだか私からさっと目を逸らした。
「……アベル?」
少し簡単過ぎる感想だっただろうか。不安になっていると、
「……いや、なんでもない。分かった。伝えておく」と、アベルはさらりと言った。
「う、うん……?」
アベルのほうから感想を聞いてきたわりには、あっさりとした反応だな、と思いつつ、私は「ごちそうさまでした」と呟く。
「美味しかったよ、アベル。ありがとう」
と、礼を言うと、アベルはぴたりと動きを止め、私を見た。目が合い、微笑む。
「スイーツ食べたの、すごく久しぶりだったから美味しかった。……けど、食べたあとでなんだけど、本当に私なんかがもらっちゃってよかったの? アベルからのものなら、ほかにも欲しがる女の子たくさんいたでしょ?」
アベルを見上げると、その頬はこころなしか、ほんのりと赤らんでいるように見える。
「……ん。まあ、俺のまわりには、ローズマリーほどの食いしん坊はほかにいないからな」
「むっ!」
今のは聞き捨てならない。
「言っておきますけどね、私は食いしん坊なんかじゃないからね! そもそも、牢獄の食事があからさまに少ないのがいけないんだしー!」
今日だって、昼食は残さずすべて食べた。けれど、それでもお腹が減るのだ。
そもそも罪人用の食事は十分な量ではない。そのため、この世界へ来てからというもの、私は常に空腹状態にある。おまけに出てくる食事は毎回異物がたっぷりで――と、さすがにここまでは言えないので、黙った。
「やっぱりそうなのか」
私の不満に、アベルは納得したような表情を見せる。私は「やっぱりって?」と眉を寄せた。しかし、アベルはそれには答えずに、
「分かった。であれば、今度からおまえの食事は多めにするよう、厨房に伝えておく」
「えっ!」
ぎょっとした。
「い、いいよいいよ! そんなことしなくて!」
慌てて返すと、
「なぜだ? 食事が足りないんだろう?」
と、アベルは怪訝な顔を私に向ける。
「いや……それはそうなんだけど……」
私は思わず口ごもる。
「なんだ。なにかあるなら正直に言え」
「…………」
理由はもちろん、私の食事には異物が盛られているからだ。異物入りの食事など増やされても、ただただ困るだけである。
とはいえ、異物混入のことをアベルに言うわけにはいかない。
なぜならアベルは、私へのいやがらせの件は既に解決したと思っているだろうからだ。
以前、私の料理に異物が混入していると知ったアベルは、自ら王宮の厨房に乗り込み、食事に異物を盛っていた犯人を突き止め、その場で解雇している。
おかげで私へのいやがらせは、一旦は落ち着いた。だが、まともな食事が運ばれてきたのはそれからたった二日ほどで、すぐにまた食事に異物が混入し始めた。おそらく、またべつのだれかが、私の食事に異物をわざと混入させているのだ。
仕方ない。それくらい、私(ローズマリー)はきらわれているのだろう。
もし今、アベルに食事のことを打ち明ければ、アベルは再び犯人を突き止めようと動いてくれるだろう。しかし、そんなことをしても、きっといやがらせは一時的に収まるだけ。おそらく、完全になくなることはない。
私が無実にならないかぎりは、犯人探しなどしたところで無駄なのだ。
――私は極悪令嬢ローズマリーだから……。
今回のことで、痛いほど思い知らされた現実だった。
それに、アベルには既にローズマリーに罪を着せた犯人探しを手伝ってもらっているし、これ以上甘えるわけにはいかない。
だが、だからといって理由を言わず食事の量を増やしてもらうこともできない。
これ以上異物入りの食事を増やされたら、私の胃が終わるからである。
今の量でさえ、完食すればかなりの時間トイレとお友だちになるのだ。これ以上量を増やされたら、どうなることか。
――けど、残したらそれはそれで、なんか負けたみたいでムカつくし……。
私はアベルに笑みを向けた。
「ほ、ほら、食べ過ぎは太っちゃうし! 今くらいの、少し物足りないくらいの量がちょうどいいんだよ!」
「……そうなのか?」
「うん! これでも私、年頃の乙女だからさ! 体型維持のためにもね!」
言いながら、笑顔がひきつりそうになるのをなんとか堪えた。
これは、うそではない。
現代にいた頃を思い出す。そういえば、あの頃も私は、こうやって無理して笑って、平気なフリをしていた。いつか限界が来ることも知らずに。
人間とは、そう簡単には変われないものらしい。
転生してもなお直らないじぶんの悪い癖に、私は心のなかでため息を漏らす。
「……まあ、ローズマリーがそう言うなら、いいんだが……」
アベルは訝しげに私の顔を覗き込みながらも、しかしそれ以上突っ込んでくることはなかった。私はほっと息を吐く。
アベルのことだからなにか言い返してくるかと思ったけれど……。
どうやらごまかせたようだ。
私はちらりとアベルを見た。最近、アベルはなんだか私に優しい気がする。気のせいだろうか。
目が合った。
なんだ? とでも言いたげにアベルに見返され、私はなんでもない、と小さく首を振り、受け取った紙袋を見る。
「そ、それにしても、これ本当に美味しいね! さすが、宮廷パティシエが作ったスイーツだよ〜」
なかには、たくさんのスイーツが入っている。
現代風に言うと、クッキー、フィナンシェ、マフィンの三種類。
さらに具体的に振り分けるとするなら、ココアとプレーンが混ざったマーブルクッキーにハニーフィナンシェ、チョコチップマフィンといったところだ。
あらためて私は、残っていたスイーツたちを口に運んでいく。
「そうか?」
「うん! どれもすごく美味しいよ!! やみつきになりそう!」
アベルが「そうか」と、ふっと息を吐くように笑った。そのまま食べ進めていると、アベルはなおも、なにか聞きたげに私をじっと見つめてくる。なんだろう。
考えて、ハッとした。
「あ、もしかして食べたかった? 私ひとりで食べちゃってごめん」
もしかしてアベルも食べたかったのかと紙袋を差し出すと、首を横に振られた。違ったらしい。
「……その」
アベルは、どこか気まずそうに頬を掻き、小さな声で言った。
「……嬉しかったか?」
「え?」
――嬉しかったか?
なにが? と思ったが、アベルが言っているのはおそらくこのスイーツのことなのだろう。でもなぜ、嬉しかったか、なんだろう。美味しかったか、ではなく。
「もちろん……美味しいし、嬉しいよ?」
答えると、アベルの表情はなぜか不満げに歪んだ。さらに訊ねてくる。
「……花やぬいぐるみよりもか?」
「……ん?」
――花やぬいぐるみよりも?
またも私は聞かれた意味が理解できず、きょとんとしたまま硬直する。するとアベルは苛立たしげに言った。
「ほかの男からのプレゼントよりも嬉しかったのかと聞いてるんだ」
「あぁ……」
仏頂面で、さらに不機嫌気味に聞かれて、さすがの私も察した。
アベルが、なぜわざわざこんな高級スイーツを持ってきてくれたのか。
これは、お礼だったのだ。
ルドヴィックやテオが私に贈り物をしてくれたように、アベルも私へ、気持ちを贈りたかったのだ。
――なぁんだ。
ふっと笑みがこぼれる。するとアベルが不機嫌な顔で「なぜ笑う」と怒ったが、仕方ない。だって、アベルのことを可愛いと思ってしまったのだ。
「……ありがと、アベル。めちゃくちゃ嬉しかった!」
満面の笑みを浮かべて告げると、アベルは私から目を逸らした。けれどその横顔は、どこか満足そうに見えた。