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第36話

 ――と、テオと笑い合っていたときだった。

 扉が、カタンと控えめに音を立てた。

「ん?」

 話をやめ、テオとそろって音のしたほうを見る。すると、扉の前にアベルが立っていた。いつからいたのか、アベルはのんびりと扉に寄りかかるようにして、こちらを見ている。リラックスしているその様子からして、おそらく今来たわけではないのだろう。

「アベル!」

「団長!」

「……おう」

 私たちが驚いた声を上げると、アベルは扉によりかかっていた身体を持ち上げ、私たちのほうへやってきた。

「いつからいたの?」

 姿勢を正し、アベルに対して敬礼をするテオの横で、私はアベルに訊ねた。

「……ついさっき来たところだったんだが、ふたりともずいぶん話し込んでいるようだったから、割り込むのは無粋かと思ってな」

 気にしなくていいのに、と思いながら「ふうん」と相槌を打っていると、ふとアベルの背後に影が見えた。

「ん? だれかいる?」

 私の視線に気付いたアベルが、「あぁ、そうだった」と背後を振り向く。

「来客は、どうやら俺だけじゃないようだぞ」

「え……どういうこと?」

 テオと顔を見合わせて、扉の奥を見る。出てきたのは……。

「えっ、ロアナ!?」

 アベルの背後から顔を出したのは、つい先程まで話題にしていたロアナ・リヴィエールだった。トレイを片付けて、戻ってきたところだったのだろう。しかし、ロアナの顔を見て私は声を上げる。

「って、どうしたの! ロアナ」

 ロアナは泣いていた。瞳から大粒の涙をぽろぽろと流し、しゃくり上げている。号泣だ。

 私は困惑気味にアベルへ視線をやった。アベルは泣きじゃくる彼女を優しく支えつつ私の前までやってくると、なにも言わず、ロアナの背中を優しく押した。

 ロアナは私の前に立つと、檻越しに私を見て、言った。

「ローズマリー……私、あなたに本当にひどいことをした……私が間違ってた。ごめんなさい」

 ロアナはあらためて、私に頭を下げた。彼女の足元には、彼女が落とした後悔の粒の染みが、ぽたぽたと静かに広がっていく。

「……ロアナ、もういいから、顔を上げて。ほら、涙拭いて」

 おずおずと顔を上げるロアナに、私は微笑みを向ける。

 私の顔を見て少し落ち着いたのか、ロアナは涙を指の腹で拭うと、私に向き合い、言った。

「……ねえ、ローズマリー。私ね、正直これまで同性を信用したことってなかったの。だって同性って、ついさっきまで笑顔で話してたと思ったら、影で悪口を囁いてたりするじゃない? それに、恋が絡むとどうしたってライバルになってしまうし。だから私、友だちなんてほしいと思ったこと、一度もなかった」

「…………うん」

 まあ、ロアナの気持ちは分からなくはない。女は強かだ。男が思うより、ずっと。

「でも私、あなたとならなりたいって思ったの」

「え……」

 顔を上げると、ロアナが私を見ていた。

「本当の友だちに……」

 ロアナは自信なさげに私を見つめる。

「今さらだし、私にそんな資格はないって分かってる。でも……なってくれないかしら。私と」

「ロアナ……なに言ってるの」

 嬉しくて言葉が出ないという経験を、私はこのとき初めて実感した。

「……ごめんなさい。虫のいい話よね、こんな……」

 私はロアナの言葉を遮って、彼女の手を取った。

「もちろんいいに決まってるじゃない!! 嬉しい! こちらこそよろしくね!」

 私はつい、ロアナの手を取って大きくはしゃぐ。ロアナは少しのあいだきょとんと呆気にとられた様子だったが、すぐに表情を綻ばせた。

 ふと、ロアナの背後に立っていたアベルと目が合う。アベルは微笑んでいたけれど、どことなくいたずらっぽい笑みに見えた。案の定、

「よかったな。初めて同性の友だちができて」だなんて言われてしまった。

「む」

 初めてってなによ、と言い返そうとしたものの、アベルの微笑みがほんのり色味を変える。アベルの顔は、決して私をからかうようなものではなくなっていた。私はその表情を見て、ようやく理解する。

 アベルが扉の前に佇んでいた理由は、彼女だったのだ。アベルは彼女に、私とテオの話を聞かせるために、わざとあの場に留まっていたのである。

 私はテオを見た。テオは静かに一度頷く。どうやら、私の意見に賛同してくれる気になったらしい。よかった。

「あなたってまるで、魔法使いのようだわ」

 唐突に、ロアナが言う。私は首を傾げた。

「魔法使い?」

「そう。どんなひとの心も解してしまう魔法使い。聖女なんかよりもずっと尊い、この国において幻の存在よ」

「えー、なにそれ!」

 笑う私に、テオまでもが、

「いや、悔しいけど、そのとおりかも」

 なんて言い出す。

「ちょっと、テオまで」

 アベルは黙っていた。どうせならなにか言ってくれたらいいのに、と思ったけれど、それはそれでなんか恥ずかしいからまあいいか。

「ふたりとも大袈裟だよ。私はただ、本音を言っただけだから」

 そう言うと、ロアナはあら、と笑った。

「なに言ってるの、それが難しいんじゃない! 大人になると、どうしても目下の人間には上からものを言ってしまいがちだし」

 たしかに、それは一理ある。そういえば、現代にいた頃の私もそうだったかもしれない。

「でも、それじゃあ相手の心には、真に響かないんだよな」

「あぁ。たとえ相手を思って言った言葉だったとしても、ひとによってはただの八つ当たりやいやがらせに聞こえてしまう場合もあるからな。それが指導の難しいところだ」

 テオに続いて、アベルが大きく頷きながら言う。ふたりとも、さすがよく分かっている。

「ローズマリーには、悔しいがつくづく思い知らされる。……こういうときは、うそのない言葉で話すのがいちばんなんだな」

「えぇ……なにそれ」

 テオの言葉に、アベルやロアナも頷いている。嬉しいけれど、なんだかくすぐったい。

「私、そんな深く考えて発言してないよ?」

 思わず照れていると、

「知ってる」

「だろうな」

「まあ、そんなことだろうと思ったわ」

 と、間髪入れず、アベルとテオ、ロアナまでもが頷いた。

「む。ちょっと! そこは否定してよ! みんなして反応が早すぎだってば」

 これにはさすがに不貞腐れた私を見て、三人は顔を見合わせて笑い出す。そんななか、アベルが言った。

「いいじゃないか。少なくともここにいる全員、おまえの言葉に救われたんだから」

 アベルの言葉に、どきりとする。

「……そ、そう……なの?」

 テオとロアナは、私を見て優しく微笑みながら頷いた。

「うん。だから、ローズマリーはなにも変わる必要はない。そのままでいいんだよ」

 ――変わる必要はない、か……。

 それが本当に良いことかどうかはさておいて、とにかく私の想いは伝わっているということが嬉しい。

「……ありがと、みんな」

 こうしてローズマリーへのいやがらせは、この涙をもって、完全な解決を迎えるのだった。


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