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第35話

 テオの言い分は、おそらく容姿端麗のひとにはよくある心情なのだろう。

 見た目がいいひとは、常に周りからそういう目を向けられて生きている。つまり彼らは、じぶんはひとより優れているのだという自覚が、生まれながらに備わっている。

 だからこそ、逆に凡人に憧れたりするのだが……しかし実際、それを口にすれば、凡人からは嫌味だと罵られてしまう。実際、もとの私も嫌味として受け取っていた。つまりなにが言いたいかというと、美人に凡人の気持ちが分からないように、凡人にも美人の苦労など分からないのだ。

 でも今は違う。絶背の美女であるローズマリーとして生きてみて、ロアナに言葉をぶつけられて、自覚した。

 ローズマリーは……私は、美しい。

 周囲も同じ認識だ。だからこそ、発言には気をつけなくてはならないと思っている。

 現代の経験を思い出す。学生時代、とても美人だと人気のあったクラスメイトに、プリクラの写りを褒められたことがあった。あのときの私は、ありがとうと笑顔を返しながらも、うまく笑えなかった。

 社交辞令。八方美人。そんなことが頭に浮かんでいたから。だから、ありがとうという言葉のあとに、いらない言葉を付け足してしまった。

『でも、私はぜんぜん、そんなことないから』

 じぶんに自信がないから出た言葉だったけれど、あれはちょっと、相手の子に失礼だったような気がする。

 もちろん、あのときの私の感情が間違っているとは思っていない。だってあのときの私には、相手の子の心情など分かるはずもなかった。けれど、今は違う。

 しみじみ頷いていると、テオが檻越しに私の手を取った。顔を上げると、テオの澄んだ瞳と視線が合わさる。

「……でもね? 俺、ローズマリーのおかげで、今はちょっとだけ、じぶんを受け入れられた気がするんだ」

 テオは優しい微笑みを浮かべて、私を見ていた。私はなにも言わず、ただ微笑みを返す。言葉はいらない気がした。

 そのまま、なんとなくお互い黙っていると、テオが再び口を開いた。

「……ねえ、ローズマリー」

 私は顔を上げる。

「ん?」

「……ごめんな」

 テオは申し訳なさそうに呟く。

「え……」

 私は困惑した。突然、なんの謝罪だろう。

「さっきのメイドが犯人なんだろ? ローズマリーの食事にいやがらせしてたの」

 ハッとする。

「……気付いてたの?」

 そろりと顔を上げ、テオを見ると、テオはなんとなくね、と目を伏せ気味に笑って頷いた。

「だから、ごめん。俺のせいで」

 頭を下げるテオに、私はぶんぶんと首を横に振る。

「いや……いやいや、テオはなにも悪くないよ!」

「そんなことはない。責任はぜんぶ俺にある。でも、安心して。この件は、ぜったい有耶無耶にはしないから。あのメイドには、しかるべき対処と刑罰を……」

 厳しい顔つきで話すテオに、私は本気で焦り始める。

「ま、待って待って、テオ」

 私は慌ててテオの話を遮り、言った。

「あの子を責めるのは、本当にやめてほしいの」

 テオが怪訝そうに眉を寄せて私を見る。

「なぜ?」

「私、ロアナともうちゃんと話をしたし、このことはもう解決してるから。だから、もうなにもしなくていいよ」

 ここでテオがロアナを責めたりなどすれば、今度こそロアナはじぶん自身をきらいになってしまうだろう。

 責めを負わせるということが、必ずしも正しいというわけではない。

 しかし、テオは納得していない顔のまま。

「そういうわけにはいかない。前から思ってたけど、ローズマリーは少し優し過ぎるよ」

 優しくなんてない。私はべつに、ロアナを庇っているわけではないのだから。ただ、無闇に問題を大きくして、ロアナとの関係が今以上にこじれることがいやなだけである。

「それなら言うよ。私とロアナの問題に、関係のないテオが口を挟まないでほしい」

 私のいつになく強い口調に、テオがわずかに怯む。少し強く言いすぎただろうか。でも、私は決して遠慮して頼んでいるわけではないのだ。その気持ちだけは伝わってほしかった。

「関係……なくはないだろ。だって、彼女の動機は俺だったんだから」

 テオに言われ、私は目を伏せた。

「……そっか。テオ、ロアナの気持ち気付いてたんだ」

 どうやらテオは、ロアナに想われている自覚があったようだ。聡いテオのことだから、そうかもしれないとは思ったけれど。でも、それならなおさら口を出してほしくはないと思ってしまうのは、私のワガママなのだろうか。

「まあ……昔から、そういう雰囲気を感じ取るのだけは得意だったから」

 テオは若干気まずそうに頬をかいている。

「だから……――」

 続けてテオがなにか言いかけるのを、私は遮って告げる。

「ねえ、テオはだれかと友だちになりたいって思ったこと、ある?」

「なんだよ、いきなり。今はそんな話をしている場合じゃ……」

 テオが訝しげな顔をするが、私はそれを無視してもう一度訊ねた。

「ねえ、ある?」

「…………」

 テオは少しの間唇を引き結んでから、首をわずかに横に振った。

「……いや」

 ない、とテオが呟く。そっか、と私は微笑んだ。

「私はあるよ。ロアナと友だちになりたいって思った」

 テオが驚いた顔を私に向ける。

「……じぶんをいじめてきたメイドと?」

 テオの言いたいことは分かる。じぶんにいやがらせをしていたひとと、わざわざ友だちになりたいだなんて、そんな物好きはなかなかいないだろう。

「まあね……たしかに、彼女の動機はテオの言ったとおりだったよ」

 ロアナは、ふだんだれとも親密にならないテオが、私とだけ仲良くなったことが気に食わなかったと言っていた。

 ロアナは悔しかったのだろう。想いを寄せるひとのそばに、突然見知らぬ女が現れて。しかもそれが、悪女と名高い女だったものだから、なおさら。じぶんのほうが、ずっと前から想っていたのに、と。

「でも、ロアナからはちゃんと動機も聞いてるし、話し合って解決したの。おかげで私はまともな食事ができるようになったんだし、この件はもう終わり。それでいいでしょ?」

 しかし、テオは苦い顔をする。

「けど、話し合いが済んだからと言って、やったことになんのお咎めもなしというのは……」

「ねえテオ。こんなこと、私が言うことじゃないかもしれないけどさ……なんでもかんでも、罰を受ければいいってものじゃないと思うよ」

 罰は、善悪の基準になる大切なものだ。けれど、すべての物事をその基準に当てはめて判断することが、必ずしも正しいことだとは、私は思えない。だってその基準をすべてにしてしまったら、間違えたひとあまりに救いがない。それではひとは成長できない。

 私たちには心がある。だから間違える。

 間違えたとき、それを自覚して、悔やんでいるのなら、その時間こそがいちばんの罰になっていると、私は思うのだ。だから私は、この判断を甘いだなんて思わない。そう断言できるくらい、ロアナには、ちゃんとした良心があると確信している。

「ロアナはただ、寂しかったんだよ。きっとこれまで、私にいやがらせをしながらも、心のなかではすごく葛藤してたんだと思う」

「だからって……彼女のやったことは、許されることじゃないだろ」

 テオが苛立ったように言う。私は目を伏せ、「そうだね」と頷いた。テオの言うとおりである。

「……ねえ、テオって好きなひとはいるの?」

 訊ねると、テオがばばっと顔を赤くした。

「な、なんだよ、いきなり……」

 照れるテオに吹き出しそうになるのをこらえながら、私は、

「ごめんごめん。でもさ、もしこれまでにだれかを好きになったことがあったなら、そのときのことをちょっとでいいから思い出してみてよ」

「だれかを好きになったときのこと……?」

 テオは戸惑いの表情を浮かべながらも、黙って私の言葉に耳を傾けてくれる。

「純粋なままでひとを想い続けることって、とても難しいことだよ」

 だれかを想えばどうしたってじぶんに自信が失くなるし、ちょっとしたことにも過敏になって、だれかに嫉妬してしまったりもする。

 しん、とした沈黙が落ちて、私はハッと我に返った。

「ま、まあそれは、女の子に限ったことなのかもしれないけどさ! なんかごめんね、さっきからくどくどと!」

 しんみりとしてしまった空気を壊したくて、私は軽くおどけてみせる。

「この話はもう終わりにしよっか!」

 すると、テオがふっと表情を緩めた。

「……いや、気にしなくていい」

 テオは一度言葉を切ってから、

「やっぱり、ローズマリーはすごいな。そんなこと、俺は考えたこともなかったよ。……俺は、まだまだだな」

「そ、そう? じゃあこれからは、私を見習うといいよ!」

 私はわざとらしく肩に落ちた髪をさらりとうしろへ流す。やりながら、なんだか恥ずかしくなってしまった。

「おいこら。褒めたからってあんまり得意げになるなよ」

 ツッコまれ、私は「えへへ」と笑う。


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