テオの言い分は、おそらく容姿端麗のひとにはよくある心情なのだろう。
見た目がいいひとは、常に周りからそういう目を向けられて生きている。つまり彼らは、じぶんはひとより優れているのだという自覚が、生まれながらに備わっている。
だからこそ、逆に凡人に憧れたりするのだが……しかし実際、それを口にすれば、凡人からは嫌味だと罵られてしまう。実際、もとの私も嫌味として受け取っていた。つまりなにが言いたいかというと、美人に凡人の気持ちが分からないように、凡人にも美人の苦労など分からないのだ。
でも今は違う。絶背の美女であるローズマリーとして生きてみて、ロアナに言葉をぶつけられて、自覚した。
ローズマリーは……私は、美しい。
周囲も同じ認識だ。だからこそ、発言には気をつけなくてはならないと思っている。
現代の経験を思い出す。学生時代、とても美人だと人気のあったクラスメイトに、プリクラの写りを褒められたことがあった。あのときの私は、ありがとうと笑顔を返しながらも、うまく笑えなかった。
社交辞令。八方美人。そんなことが頭に浮かんでいたから。だから、ありがとうという言葉のあとに、いらない言葉を付け足してしまった。
『でも、私はぜんぜん、そんなことないから』
じぶんに自信がないから出た言葉だったけれど、あれはちょっと、相手の子に失礼だったような気がする。
もちろん、あのときの私の感情が間違っているとは思っていない。だってあのときの私には、相手の子の心情など分かるはずもなかった。けれど、今は違う。
しみじみ頷いていると、テオが檻越しに私の手を取った。顔を上げると、テオの澄んだ瞳と視線が合わさる。
「……でもね? 俺、ローズマリーのおかげで、今はちょっとだけ、じぶんを受け入れられた気がするんだ」
テオは優しい微笑みを浮かべて、私を見ていた。私はなにも言わず、ただ微笑みを返す。言葉はいらない気がした。
そのまま、なんとなくお互い黙っていると、テオが再び口を開いた。
「……ねえ、ローズマリー」
私は顔を上げる。
「ん?」
「……ごめんな」
テオは申し訳なさそうに呟く。
「え……」
私は困惑した。突然、なんの謝罪だろう。
「さっきのメイドが犯人なんだろ? ローズマリーの食事にいやがらせしてたの」
ハッとする。
「……気付いてたの?」
そろりと顔を上げ、テオを見ると、テオはなんとなくね、と目を伏せ気味に笑って頷いた。
「だから、ごめん。俺のせいで」
頭を下げるテオに、私はぶんぶんと首を横に振る。
「いや……いやいや、テオはなにも悪くないよ!」
「そんなことはない。責任はぜんぶ俺にある。でも、安心して。この件は、ぜったい有耶無耶にはしないから。あのメイドには、しかるべき対処と刑罰を……」
厳しい顔つきで話すテオに、私は本気で焦り始める。
「ま、待って待って、テオ」
私は慌ててテオの話を遮り、言った。
「あの子を責めるのは、本当にやめてほしいの」
テオが怪訝そうに眉を寄せて私を見る。
「なぜ?」
「私、ロアナともうちゃんと話をしたし、このことはもう解決してるから。だから、もうなにもしなくていいよ」
ここでテオがロアナを責めたりなどすれば、今度こそロアナはじぶん自身をきらいになってしまうだろう。
責めを負わせるということが、必ずしも正しいというわけではない。
しかし、テオは納得していない顔のまま。
「そういうわけにはいかない。前から思ってたけど、ローズマリーは少し優し過ぎるよ」
優しくなんてない。私はべつに、ロアナを庇っているわけではないのだから。ただ、無闇に問題を大きくして、ロアナとの関係が今以上にこじれることがいやなだけである。
「それなら言うよ。私とロアナの問題に、関係のないテオが口を挟まないでほしい」
私のいつになく強い口調に、テオがわずかに怯む。少し強く言いすぎただろうか。でも、私は決して遠慮して頼んでいるわけではないのだ。その気持ちだけは伝わってほしかった。
「関係……なくはないだろ。だって、彼女の動機は俺だったんだから」
テオに言われ、私は目を伏せた。
「……そっか。テオ、ロアナの気持ち気付いてたんだ」
どうやらテオは、ロアナに想われている自覚があったようだ。聡いテオのことだから、そうかもしれないとは思ったけれど。でも、それならなおさら口を出してほしくはないと思ってしまうのは、私のワガママなのだろうか。
「まあ……昔から、そういう雰囲気を感じ取るのだけは得意だったから」
テオは若干気まずそうに頬をかいている。
「だから……――」
続けてテオがなにか言いかけるのを、私は遮って告げる。
「ねえ、テオはだれかと友だちになりたいって思ったこと、ある?」
「なんだよ、いきなり。今はそんな話をしている場合じゃ……」
テオが訝しげな顔をするが、私はそれを無視してもう一度訊ねた。
「ねえ、ある?」
「…………」
テオは少しの間唇を引き結んでから、首をわずかに横に振った。
「……いや」
ない、とテオが呟く。そっか、と私は微笑んだ。
「私はあるよ。ロアナと友だちになりたいって思った」
テオが驚いた顔を私に向ける。
「……じぶんをいじめてきたメイドと?」
テオの言いたいことは分かる。じぶんにいやがらせをしていたひとと、わざわざ友だちになりたいだなんて、そんな物好きはなかなかいないだろう。
「まあね……たしかに、彼女の動機はテオの言ったとおりだったよ」
ロアナは、ふだんだれとも親密にならないテオが、私とだけ仲良くなったことが気に食わなかったと言っていた。
ロアナは悔しかったのだろう。想いを寄せるひとのそばに、突然見知らぬ女が現れて。しかもそれが、悪女と名高い女だったものだから、なおさら。じぶんのほうが、ずっと前から想っていたのに、と。
「でも、ロアナからはちゃんと動機も聞いてるし、話し合って解決したの。おかげで私はまともな食事ができるようになったんだし、この件はもう終わり。それでいいでしょ?」
しかし、テオは苦い顔をする。
「けど、話し合いが済んだからと言って、やったことになんのお咎めもなしというのは……」
「ねえテオ。こんなこと、私が言うことじゃないかもしれないけどさ……なんでもかんでも、罰を受ければいいってものじゃないと思うよ」
罰は、善悪の基準になる大切なものだ。けれど、すべての物事をその基準に当てはめて判断することが、必ずしも正しいことだとは、私は思えない。だってその基準をすべてにしてしまったら、間違えたひとあまりに救いがない。それではひとは成長できない。
私たちには心がある。だから間違える。
間違えたとき、それを自覚して、悔やんでいるのなら、その時間こそがいちばんの罰になっていると、私は思うのだ。だから私は、この判断を甘いだなんて思わない。そう断言できるくらい、ロアナには、ちゃんとした良心があると確信している。
「ロアナはただ、寂しかったんだよ。きっとこれまで、私にいやがらせをしながらも、心のなかではすごく葛藤してたんだと思う」
「だからって……彼女のやったことは、許されることじゃないだろ」
テオが苛立ったように言う。私は目を伏せ、「そうだね」と頷いた。テオの言うとおりである。
「……ねえ、テオって好きなひとはいるの?」
訊ねると、テオがばばっと顔を赤くした。
「な、なんだよ、いきなり……」
照れるテオに吹き出しそうになるのをこらえながら、私は、
「ごめんごめん。でもさ、もしこれまでにだれかを好きになったことがあったなら、そのときのことをちょっとでいいから思い出してみてよ」
「だれかを好きになったときのこと……?」
テオは戸惑いの表情を浮かべながらも、黙って私の言葉に耳を傾けてくれる。
「純粋なままでひとを想い続けることって、とても難しいことだよ」
だれかを想えばどうしたってじぶんに自信が失くなるし、ちょっとしたことにも過敏になって、だれかに嫉妬してしまったりもする。
しん、とした沈黙が落ちて、私はハッと我に返った。
「ま、まあそれは、女の子に限ったことなのかもしれないけどさ! なんかごめんね、さっきからくどくどと!」
しんみりとしてしまった空気を壊したくて、私は軽くおどけてみせる。
「この話はもう終わりにしよっか!」
すると、テオがふっと表情を緩めた。
「……いや、気にしなくていい」
テオは一度言葉を切ってから、
「やっぱり、ローズマリーはすごいな。そんなこと、俺は考えたこともなかったよ。……俺は、まだまだだな」
「そ、そう? じゃあこれからは、私を見習うといいよ!」
私はわざとらしく肩に落ちた髪をさらりとうしろへ流す。やりながら、なんだか恥ずかしくなってしまった。
「おいこら。褒めたからってあんまり得意げになるなよ」
ツッコまれ、私は「えへへ」と笑う。