――システィーナ・ブラシェールは、リカール王国に彗星の如く現れた聖女であった。
今から約一年ほど前、リカール王国では、原因不明の病が蔓延していた。
その病は治療法が分からず、ひとびとの不安と不満はどんどん膨らんでいく。次第にひとびとの心も蝕んでいった。
そして、心を病んだひとびとは、犯人探しを始めた。
『この恐ろしい病を流行らせたのは、だれなのか』
そのとき、だれかが言った。
――病を広めたのは、ユーリア・グラナッシュだ。あの女が、われわれを呪ったのだ――と。
ユーリア・グラナッシュは、王国郊外に住む平民の女性だった。数年前まで娘と暮らしていたが、現在、ユーリアの娘は公爵家の養子となって別姓を名乗っている。
ひとびとは、ユーリア・グラナッシュを罵倒し、蔑み、虐めた。彼女が当の病で死してなお、ひとびとは彼女を貶め続けた。
そのうち、ひとびとの標的は、ユーリア・グラナッシュから、彼女の娘であるローズマリー・ベリーズに向いた。
母を捨てて公爵家の養子となり、リカール王国第一王子との婚約を取り付けていたローズマリー。貴族の地位を得たせいか、ローズマリーはユーリア以上に罵倒された。
そして、国民の不満が最高潮に達し、爆発寸前となったそのとき――その聖女は現れた。
リカール王国で広まっていた流行病は、システィーナの降臨によってあっという間に収束を迎えた。
そして、システィーナは文字どおりリカール王国の英雄となり、その代わりに――ローズマリー・ベリーズは、王国の災厄姫として、名を馳せることになったのである――。
執務室へ戻ったアベルは、システィーナの情報を調べ直し、唖然としていた。
なぜ、今まで気が付かなかったのだろう。アベルは机に肘をつき、額を押さえた。
今さらだが、やはり彼女の登場には不審な点が多すぎる。
そもそも聖女とは、国が疫病や魔物などが蔓延したときにのみ降臨し、ひとびとを災厄から救い出すものとされている。だが、リカール王国では、聖女を認定する明確な基準は存在しない。つまり、リカール王国では、本人が『聖女』だと名乗るだけで、他に証明はいらないのである。
ただし、名乗った当人を聖女だと認めるかどうかは、国民に委ねられることになるため、聖女と認定されるのは簡単なことではないが……。
しかし、システィーナはだれにも批難されることなく、聖女としての地位を得た。
なぜ、国民は彼女の言葉を疑わなかったのか。
それは、システィーナの行動と、それに伴う結果にある。
システィーナは、じぶんが聖女であると名乗って以降、病に罹患したひとびとのもとへ自ら足を運び、祈りを捧げた。そしてその結果、彼女が接した人間たちは、見る間に回復を遂げている。
さらに同時期、同じ病に罹患した王子を救ったことで、システィーナは結果的に圧倒的支持を得た。
しかし、キャンディの存在に気付いた今となっては、話はべつだ。
ロドルフ付きの騎士であるアベルは、当時、その遠征に同行していた。システィーナが病に伏せる彼らにしていたことは、祈祷と、――。
アベルが呟くと、ふとすぐそばから声が飛んできた。
「――アベル、なにを調べているんだ?」
アベルは弾かれたように、声がしたほうを振り向いた。
さらさらの金髪に美しい碧眼をした青年が、すぐそばからアベルを見つめている。
「ロドルフ王子……」
ロドルフは、リカール王国の第一王子である。
アベルは慌てて椅子から立ち、敬礼をした。
ロドルフが自らアベルのもとへ来ることは珍しい。驚きつつロドルフを見ていると、彼はのんびりとした笑みを浮かべて、「最近、なにかと忙しそうだよな」と訊く。
「いえ……」
「なにをしてたんだ?」
「…………」
ストレートに問われ、アベルは言葉につまる。つまってから、しまった、と思った。
「彼女のことか」
ロドルフは鋭い。今の反応で、アベルがなにを調べていたのか、あらかた予想が着いたのだろう。もはや誤魔化すことはできまい。
「……ロドルフさま。ひとつ、お話があります」
今ここでシスティーナの件を話したら、ロドルフはどういう反応をするのだろう。分からないが、ロドルフはこれでも次期国王である。賢明な判断をしてくれるであろうと願うばかりだが。
アベルは悩んだ末、ロドルフにことの顛末を話した。話し終えると、ロドルフは目を伏せ「そうだったのか」と考え込んだ。
思ったより深刻な話だったのだろう。アベルは、とりあえず頭ごなしに否定されなかったことに安堵する。
「話は分かった」
――しかし、である。
「だが、アベルの話は所詮、すべて憶測だろう? アベルの言いたいことも分かるけど、システィーナに限ってそんなことするわけはないよ。きっと他人の空似だ。だって、システィーナはいい子だもの」
「……たしかに、憶測の度合いは大きい。しかし、このままでは、無罪かもしれない人間を有罪で裁くことになるやもしれません。いいのですか?」
「それは、なんの根拠もなくシスティーナを疑っている君がいう台詞じゃないだろう?」
穏やかな声だったが、有無を言わさない芯があった。
「…………」
さすがにこれ以上はなにも言えない。
アベルは小さくため息をつく。
まあ、どの道こうなるだろうとは思っていたが。
アベルは、ロドルフの説得についてはとりあえず諦め、魔術師について調べを進めることにした。