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第38話


 ――システィーナ・ブラシェールは、リカール王国に彗星の如く現れた聖女であった。

 今から約一年ほど前、リカール王国では、原因不明の病が蔓延していた。

 その病は治療法が分からず、ひとびとの不安と不満はどんどん膨らんでいく。次第にひとびとの心も蝕んでいった。

 そして、心を病んだひとびとは、犯人探しを始めた。

『この恐ろしい病を流行らせたのは、だれなのか』

 そのとき、だれかが言った。

 ――病を広めたのは、ユーリア・グラナッシュだ。あの女が、われわれを呪ったのだ――と。

 ユーリア・グラナッシュは、王国郊外に住む平民の女性だった。数年前まで娘と暮らしていたが、現在、ユーリアの娘は公爵家の養子となって別姓を名乗っている。

 ひとびとは、ユーリア・グラナッシュを罵倒し、蔑み、虐めた。彼女が当の病で死してなお、ひとびとは彼女を貶め続けた。

 そのうち、ひとびとの標的は、ユーリア・グラナッシュから、彼女の娘であるローズマリー・ベリーズに向いた。

 母を捨てて公爵家の養子となり、リカール王国第一王子との婚約を取り付けていたローズマリー。貴族の地位を得たせいか、ローズマリーはユーリア以上に罵倒された。

 そして、国民の不満が最高潮に達し、爆発寸前となったそのとき――その聖女は現れた。

 リカール王国で広まっていた流行病は、システィーナの降臨によってあっという間に収束を迎えた。

 そして、システィーナは文字どおりリカール王国の英雄となり、その代わりに――ローズマリー・ベリーズは、王国の災厄姫として、名を馳せることになったのである――。


 執務室へ戻ったアベルは、システィーナの情報を調べ直し、唖然としていた。

 なぜ、今まで気が付かなかったのだろう。アベルは机に肘をつき、額を押さえた。

 今さらだが、やはり彼女の登場には不審な点が多すぎる。

 そもそも聖女とは、国が疫病や魔物などが蔓延したときにのみ降臨し、ひとびとを災厄から救い出すものとされている。だが、リカール王国では、聖女を認定する明確な基準は存在しない。つまり、リカール王国では、本人が『聖女』だと名乗るだけで、他に証明はいらないのである。

 ただし、名乗った当人を聖女だと認めるかどうかは、国民に委ねられることになるため、聖女と認定されるのは簡単なことではないが……。

 しかし、システィーナはだれにも批難されることなく、聖女としての地位を得た。

 なぜ、国民は彼女の言葉を疑わなかったのか。

 それは、システィーナの行動と、それに伴う結果にある。

 システィーナは、じぶんが聖女であると名乗って以降、病に罹患したひとびとのもとへ自ら足を運び、祈りを捧げた。そしてその結果、彼女が接した人間たちは、見る間に回復を遂げている。

 さらに同時期、同じ病に罹患した王子を救ったことで、システィーナは結果的に圧倒的支持を得た。

 しかし、キャンディの存在に気付いた今となっては、話はべつだ。

 ロドルフ付きの騎士であるアベルは、当時、その遠征に同行していた。システィーナが病に伏せる彼らにしていたことは、祈祷と、――。

 アベルが呟くと、ふとすぐそばから声が飛んできた。

「――アベル、なにを調べているんだ?」

 アベルは弾かれたように、声がしたほうを振り向いた。

 さらさらの金髪に美しい碧眼をした青年が、すぐそばからアベルを見つめている。

「ロドルフ王子……」

 ロドルフは、リカール王国の第一王子である。

 アベルは慌てて椅子から立ち、敬礼をした。

 ロドルフが自らアベルのもとへ来ることは珍しい。驚きつつロドルフを見ていると、彼はのんびりとした笑みを浮かべて、「最近、なにかと忙しそうだよな」と訊く。

「いえ……」

「なにをしてたんだ?」

「…………」

 ストレートに問われ、アベルは言葉につまる。つまってから、しまった、と思った。

「彼女のことか」

 ロドルフは鋭い。今の反応で、アベルがなにを調べていたのか、あらかた予想が着いたのだろう。もはや誤魔化すことはできまい。

「……ロドルフさま。ひとつ、お話があります」

 今ここでシスティーナの件を話したら、ロドルフはどういう反応をするのだろう。分からないが、ロドルフはこれでも次期国王である。賢明な判断をしてくれるであろうと願うばかりだが。

 アベルは悩んだ末、ロドルフにことの顛末を話した。話し終えると、ロドルフは目を伏せ「そうだったのか」と考え込んだ。

 思ったより深刻な話だったのだろう。アベルは、とりあえず頭ごなしに否定されなかったことに安堵する。

「話は分かった」

 ――しかし、である。

「だが、アベルの話は所詮、すべて憶測だろう? アベルの言いたいことも分かるけど、システィーナに限ってそんなことするわけはないよ。きっと他人の空似だ。だって、システィーナはいい子だもの」

「……たしかに、憶測の度合いは大きい。しかし、このままでは、無罪かもしれない人間を有罪で裁くことになるやもしれません。いいのですか?」

「それは、なんの根拠もなくシスティーナを疑っている君がいう台詞じゃないだろう?」

 穏やかな声だったが、有無を言わさない芯があった。

「…………」

 さすがにこれ以上はなにも言えない。

 アベルは小さくため息をつく。

 まあ、どの道こうなるだろうとは思っていたが。

 アベルは、ロドルフの説得についてはとりあえず諦め、魔術師について調べを進めることにした。

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